君を選ぶのは俺の意思 (後)
真っ白の保健室が西日でオレンジに染まる中、俺はが眠るベッドの脇に座っていた。
は規則正しく静かな呼吸をして眠っていた。
駆けつけた医師は『脳震盪だから直ぐに目覚める』と言った。それと打撲。
念のために目が覚めたら病院で検査しようと言って、その手配のために職員室へ向かったままだ。
脳震盪なのに、まだ目が覚めない。
ヤブ医者じゃないのかと、イライラしながら時計ばかりを見ている。
ウチが贔屓にしている大学病院に連れて行ったほうがいいんじゃないかと携帯を開いた時、
の長い睫毛が震えるように動いた。
「。おいっ、」
「あ、とべ・・クン?」
薄っすらと目を開けたが、ぼんやりと俺を瞳に映す。
ひどくホッとしている自分が居心地悪くて、わざと返事をせずに視線を逸らす。
「怪我・・は?」
「軽い脳震盪だそうだ。詳しい検査は病院に行って、」
「違う・・・あなた、は?怪我、しなかった?」
「俺は平気だ。」
「そ、う。ヨカッタ・・・大事な・・試合・があるから」
が心底安心したように、ふんわりと微笑んだ。
俺は思いもしなかった笑顔に言葉も出ない。
『あの時、お前の後ろに女が立ってて。俺は一瞬、なにが起こったのか分からなくてよ。
でも、はプリントなんか放り投げてて、落ちていくお前の胸を押したんだ。
その瞬間に俺は跡部の腕を掴めた。代わりに・・・はそのまま落ちていったけど、』
俺に怪我をさせないため、庇ったというのか?あの一瞬で?
は息を細く吐くと、眩しそうに天井を見つめた。
白いの頬を夕日がオレンジに染めて、睫毛の長い陰が落ちていた。
「お前、」なんで俺なんかを庇ったんだ?その問いを言い終わる前に、が口を開いた。
「ついでに、この前から言おうと思ってた事・・・言うね。」
「なんだ?」
「私、夏休みに入ったら・・・イギリスに留学する。」
「なに?」
「ピアノの先生に薦められたの。お父さんは猛反対してるけど・・・お母さんは応援してくれてる。
だから・・・婚約は、なかったことになると思う。
もう・・景ちゃ、ううん、跡部クンは自由だよ。」
天井を見つめながら一気に喋ったが、僅かに首を動かし俺を見た。
瞳には涙が溢れて夕日を映し、息を呑むほど美しく輝いている。
俺の胸を押した白い指が胸元のシーツに深い皺を作っていた。
混乱する思考の中、自然と口を突いて出たのは。
「何故だ?」
「何故?」
「お前は跡部の名が欲しくて婚約したんだろ?」
「違うよ」
「なら、親の言いなりと言えばいいのか?」
「それも違う」
「だったら何故、」
「景ちゃんが好きだったの。
ずっと・・・ずっと小さい時から、あなたしか見えてなかった。」
の泣き笑い。
苦しそうに眉根を寄せながらも、口元は笑っていた。
ゴメンね。
あなたが嫌がってたの知りながら・・・それでも私は傍にいたいと思ってしまった。
辛い思いをさせてゴメンなさい。
もう・・大丈夫だから。
留学すれば、もう二度と会う事はないでしょう。
医師が戻ってきた。
ベッドを覗き、が目覚めたのを知ると急き立てるようにして病院へ連れて行こうとする。
はおとなしく従い、担任は『跡部君は、もういいから』と俺の肩を押す。
俺は馬鹿みたいに突っ立って、保健室を出て行くの小さな背中を見送った。
家から婚約破棄の話がきたのは夏休み直前の事だった。
俺は変わらず熱いコートに立っている。
最後の夏、どうしても勝たなければならなかった。
「跡部、ここにきて調子落としてんじゃねぇよ。」
「うるさい!」
隣に立つ宍戸を睨んでも、奴は怯まない。
それどころか挑戦的な目をして、俺を睨み返してきた。
「、イギリスに行くんだってな。行ったら、いつ帰国するかも分からねぇって。」
「ふん。俺には関係ない。寂しいんなら、テメェが泣いて縋ればいいだろう?」
「跡部!」
宍戸に襟元を掴み上げられ、お互いが睨み合った。
ちょうどいい。ここ最近、イライラが極限に達しているんだ。
「ちょっ、駄目だって!亮ちゃんっ!跡部も!」
一触即発の俺たちの間にジローが割って入ってくる。
宍戸の手が離れ、俺は皺になった胸元を乱暴に直した。
「跡部、お前は知らないだろうけど。な、大会のたびに応援に来てたんだぜ?
いつも目立たないよう隠れるようにして、お前の試合を見てた。
お前が活躍するたび、そりゃ嬉しそうに笑ってたぜ。な、ジロー?」
「うん。いつも跡部のこと話してたよね。
小さい時の話して、跡部のこと『とっても優しいの』って幸せそうに笑ってたよ?
なのに学校じゃ、二人ともよそよそしいし。
とてもじゃないけど跡部が優しくしてるように見えなかったから、俺たち不思議に思ってて・・・」
「俺らが理由聞いても何も言わねぇし。
どんなに、お前の取り巻きの女たちに苛められても黙って耐えててよ。
もっと強く言えよって言っても首を横に振るばっかで、お前は無視だし。なんか、可哀相だろ。」
「俺、一度だけ・・・ちゃんが泣いてるの見たよ。
ちゃんが渡した誕生日プレゼントを跡部・・・捨てたよね。
あの後、ちゃんはゴミ箱からプレゼントを拾って泣いてた。あれ・・・酷いよ。
ちゃん、跡部のこと・・・すげぇ好きだったんだと思う。」
なんだよ、それ。
そんなこと、俺は知らないんだよ!
顔を背けたら、馬鹿力の宍戸に腕を掴まれた。
昔からちっとも変わらない真っ直ぐな瞳で俺を見つめて、
まるで慰めるかのように声のトーンを和らげた。
「跡部さ、何をゴチャゴチャ考えてるのか知らねぇけどよ。
一番大事なのって、気持ちだろ?
お前が何を思って、何を選ぶのか。それが大事なんじゃねぇの?」
「知ったような事を・・・」
「は今日の午後、イギリスに発つらしいぜ。」
ポンと、掴んでいた腕を軽く叩いた宍戸が背を向ける。
ジローもニッと笑って、俺の背中をポンポンと叩いた。
やっぱり、どいつもコイツもお節介なヤローたちだ。
空を見上げた。
今日も青い。そして、眩しく美しい。
あの頃と変わらない夏の空が確かにあった。
好きだったんだ。
ずっと、ずっとだ。気づけば、しか見えていなかった。
親の仕組んだ繋がりだと知って、俺は傷ついた。
は俺なんか好きじゃないんだと、勝手に思い込んじまったんだ。
好きだったからこそ、残酷なほど冷たくできた。
泣かせたかった。傷つけたかった。
俺の気持ち、全てを負の方向でアイツにぶつけたんだ。
の気持ちも知らないで・・・
簡単なことだ。
出会いにこだわって、何になる。
たくさんの女と嫌になるほど出会っても、心惹かれたのは一人だけじゃないか。
選ぶのは俺の意志。
望んだのは、だ。
「おいっ、宍戸!」
「ああ?」
向こうのコートにラケット片手に入ろうとしている宍戸が振り返った。
「今日の部活、お前に部長代理を頼む。」
「は? あ、・・・いいぜ。」
一瞬わけの分からない顔をした宍戸だったが、意味が分かったらしく手を上げて笑った。
宍戸に借りが出来た事を苦々しく思いながらも俺は振り返らない。
急ごう。
コートから駆け出して、のもとへ。
「君を選ぶのは俺の意思」
2006.06.20
人でなしに捕まえてもらいましょう
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