どうしようもないほどに 最終回
仕事が終わって病院を出たら雨が降っていた。
昼までは日が差していたのにと、重く垂れ込める雨雲を見上げて溜息をつく。
広げた折り畳み傘を手に私は寄り道せずに家へ帰った。
学生時代に住んでいたアパートよりは随分と良いマンションだがセキュリティが今一つ。
せめてオートロックのエントランスがあるマンションに越したいなと思いつつエレベーターのボタンを押した。
エレベーター降りた途端に頬に雨が散った。
風にあおられて廊下に雨が吹き込んでくる。
それを避けるように壁側によって角を曲がれば、自分の部屋の前に人影があった。
足が止まる。
扉に背を預けて立っている人は、既に響いてくる靴音に気付いていた。
ゆっくりと扉から背を起こした人が真っ直ぐに私を見る。
「なんで・・・」
「嫌になるくらい寒いんですけど。中に入れてもらえませんか?」
もともと色白の観月だけれど、廊下に並ぶライトに照らされた観月には顔色がなかった。
スーツの上に黒いロングコート、なのに襟元は肌蹴てネクタイが無造作に緩められている。
雨の中を歩いてきたのか、それとも廊下に吹き込む雨に濡れたのか、観月の髪が水を含んでいた。
腕に抱えている段ボールは何かとよく見れば、それは私が送った観月の荷物だった。
初めて見るような気崩れた姿と段ボールの取り合わせ。
まとまらない思考で呆然と観月を見つめる。
「絶対に風邪ひきます。」
前にもこんなことがあった気がする。
そう観月が初めて家に泊まっていった日と似ている。
挫けてはいけないと僅かに首を横に振った。
途端に観月は憤った目で手にした段ボールを床に投げた。
段ボールは横倒しになり、中から観月のパジャマやコップが転がり出てくる。
陶器は割れてしまったかもと頭を掠めるより先に、観月が震えるような声で叫んだ。
「自分だけが言いたい事をいって、人の話も聞かないで自己完結するつもりか?
このまえ電話で言われたことを、そっくりそのまま返してあげますよ。
僕だって十年以上、君が好きだった。
好きだけど嫌いだ。君は僕に心を開いてくれない。本当には好きになってくれないっ」
「違う、そんなことない」
思わず口にしてから、あの日の観月が電話口でいった言葉だと気付く。
口元を押さえて震える私に向かって、観月が大股で近付いてきた。
視線の強さに圧倒されて後ずされば、強く肩を掴まれる。
「なにが違う?説明しなさい!」
「だって観月・・・他に恋人が」
「どこのどいつが恋人ですって?誰のことだ?」
「電話した時・・・名前を」
やっぱり、と観月が項垂れた。
間近で見た髪に雨の雫が光って輝いている。
「そうじゃないかと思いました。だから説明したでしょう?
トラブルがあって深夜でもオフィスに居るんだと。」
「でも・・・はじめって、名前を」
「彼女は僕より十も上の上司ですよ。
日系人でね、部下は親しみをこめて名前で呼んでるんです。
ハイ、ひとつ誤解は解けた。次は何ですか?早く言いなさい!」
観月は完全に怒っていた。
その昔、コートの隅で後輩たちを叱り飛ばしていた感情的な観月を思い出す。
赤澤君が肩をすくめながら『落ちつけよ』と宥めていた姿が浮かぶ。
「大学祭の時に、綺麗な人が」
「大学祭だって?いったい何年前の話だ!
そんなこと、その時々に訊けばいいだろう?思い出すから詳しく説明しなさい!」
いつもの喋り方は、どこに行ったんだろう。
私は混乱しながらも、たどたどしく言葉を続ける。
その度に頭っから厳しく否定されて、段々と涙が滲んできた。
だって、こんな観月を知らない。
こんなに必死になって、なりふり構わず向かってくる彼を私は知らない。
ボロボロと涙を流し、子供みたいにしゃくり上げて訴える。
あの冬、どうして突然にキスをしたの?
どうして真っ直ぐに目を見て、好きだと言ってくれなかったの?
電話は冷たいし、連絡だってマメにはくれない。
私がどれほど不安で、心細くて、悲しかったか。
観月を信じないことで、期待しないことで、私は私の心を守ってきた。
それはただ・・・一日でも長く観月の傍にいたかったから。
「馬鹿ですね、あなた。」
言って、観月は私の肩を抱き寄せた。
雨の匂いがするコートに強く押し付けられて、私は観月の声を彼の胸から聞く。
「本当は卒業式の日に言うつもりだったんです。
なのに・・人が多くてチャンスがなかった。
あなたときたら、明日も会えるみたいにあっさりと帰ってしまった。」
「待っててって言ってくれれば良かったのに。」
「そうですね・・・あなたに振られるのが怖くて躊躇った僕がいけない。」
観月も怖かったんだ。
私こそ観月を追えばよかった。伸ばせば掴める腕があったのに。
「イブの前日、あなたに公園であったのは偶然だった。でもね、それは場所だけの話だ。
僕はね、あなたに会いたくてバイト先へ訪ねていく途中だったんだから。
あれは危なかった。もう少し時間がずれてたら、バイト先に訊ねていっても会えなかったかもしれない。
これは僕の一方的な想いだと我慢に我慢を重ねてきたけど、
街が浮足立ってくると我慢できなくなってしまって・・・君に会いに行ったんですよ。
会えて嬉しかった。君は相変わらずで、僕は嬉しくて浮かれてた。
だからキスをした。どうしてもしたかったから。嫌・・・でしたか?」
私が首を振れば、観月がホッとするのが分かった。
「それから後は、なし崩しに自分のものにしてしまえと、ね。
僕だって必死だったんですよ。けど、僕は僕だ。
ひと前でデレデレなんて恥ずかしくて出来ないし、仕事に熱中すれば周りが見えなくなる。
口だって悪いし、そうそう飾った言葉も言ってやれない。
君はいつだって冷たいし、あっさりしてるし。
なのに僕が求めれば応えてくれる。
素直じゃない君のことを知っていたはずなのに・・・いつの間にか忘れていたんですね。」
零れてくる涙を窮屈な腕の中で拭えば、不意に観月から引きはがされた。
途端に胸へと流れてくる冷たい空気に戸惑っていたら、観月が真っ直ぐに私を見下ろして口を開いた。
「あなたがどうしようもなく好きです。
好きで、好きで、どうにかなってしまいそうなほど・・・好きなんです。」
何とかしてください。
初めて聞く、観月の切実な願いだった。
強く抱きしめあって、冷たく震える唇を重ねる。
僅かに残った温もりをお互いが分け与えるかのように強く。
背中でエレベータの開く音が響き、弾かれたようにお互いが離れるまで私たちは抱き合っていた。
テレビの前には拾い集めた荷物とひしゃげた段ボール。
お風呂で温まったはずなのに寒い寒いと恨み事を言う観月をシングルベッドに押しこんだ。
時差のせいでクラクラすると観月が零すのに愛しさが増す。
体を観月の隣に潜り込ませ、そっと私より大きな体を抱きしめた。
するとすぐに温かい手が伸びてきて、柔らかく胸に抱きこまれる。
「愛しています。」
恋人の優しい囁きに緩んだ涙腺が熱くなった。
ひとつの布団にくるまって、温もりを分かち合う。
それは、どうしようもないほどに・・・幸せだ。
どうしようもないほどに 最終回
2008/01/07
666666ヒットキリリク ゆっき様に捧げます
戻る テニプリ連載TOP