Freedom 1
部活の後に居残り練習をしていたら携帯が鳴った。
ベンチの上に放り投げていた携帯を手に名前を確認して溜息。
わざわざ少し間を置いてから嫌々通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『若!大変です!おやっさんが倒れて・・』
「なに!?」
俺のただならぬ声にコートの向こうに居た長太郎が走ってきた。
「わかった、直ぐ行く。迎え?いらねぇよ、んなもん。待ってるうちに着いちまう。ああ。」
爺さんちからの電話を切ると、慌てて脱ぎすてていたジャージをスポーツバッグに押し込んだ。
「どうしたんです?」
「爺さんが倒れたって言うんだ。命に別状があるってことじゃないらしいけど、ちょっと行ってくる。」
「分かりました。あ、後は俺が片付けておきますから、宍戸さん行ってください。」
「そうか?助かる。悪いな、長太郎!」
「いいえ。気をつけて行っきてください!」
長太郎に後を頼み、俺は練習中のウェア姿のままテニスバッグを担いで走り出した。
あの爺さんが倒れるなんてヤバイって。
やけにドクドクと鼓動を感じながらバスに飛び乗った俺だった。
下町の商店街を抜け、古びた一軒家が延々と続く中に重厚な門構えが見えてくる。
風雨に耐えた筆書きの表札を横目に門をくぐれば、直ぐに若い者が飛び出してきた。
「若!おかえりなさいませ!真樹さん、若のお帰りです!」
「若って呼び名は止めてくれって何度言えば分かるんだよ。」
言っても無駄だと思いながら奥に進めば、玄関からニコニコ顔の真樹さんが現れた。
俺に電話をくれた本人だ。
「若、お帰りなさいませ。」
「ココ、俺んちじゃない。で、爺さんは?入院しなくていいのか?」
「まま、そんな堅苦しい話は後で。さぁさぁ、上がってください。」
「堅苦しいって何だよ。こっちは爺さんが倒れたからって・・・」
「はいはい、そうでした。
おやっさん血圧が高いのに塩分を控えないんですよ。若から何とか言ってやってください。」
真樹さんは白の開襟シャツに黒ズボン。
惚れ惚れする男前に白い歯を見せて満面の笑みだ。
もしや?そう思ったときには既に遅い。
一番奥の座敷に通されれば、倒れたはずの爺さんがピンピンして座っていた。
老眼鏡と本を片手に棋譜を並べてやがる。
「ん?なんだ、亮じゃないか。どうしたんだ、学校の帰りに寄り道は感心せんな。」
「違うよ!真樹さんが爺さん倒れ、」
「亮さんは、おやっさんの体を心配して様子を見に来てくださったんですよ。
ホラッ、この前の検診で血圧が高かったでしょう?若はお優しいから。
大丈夫です。帰りは真樹がこの命に代えても若を無事に送り届けますから、ご安心下さい。」
真樹さんがズズッと前に出てきて俺の言葉を遮った。
やっぱ、はめられたんだ。
「命に代えて貰わなくても一人で帰れるよ。爺さん、そんなに血圧高いのか?」
「たいした事はない。真樹たちが大げさなだけだ。つまらんことを亮の耳に入れるんじゃない。」
「申し訳ゴザイマセン」
真樹さんは畳に頭を擦り付けてはいるが、顔が笑ってるって。
その証拠に俺たちが話している僅かな間に、
世話係りの安田さんがタイミングよく「夕飯の準備が・・・」と入ってきた。
ちょっと言いにくいけど嘘をつくのは嫌だし、俺は母さんに電話して爺さんちで夕飯を食べて帰る事を伝えた。
母さんは爺さんに挨拶したいと言って、二人は礼儀正しく電話で遣り取りをしている。
もう三年以上も顔を合わせていない俺の両親と爺さん。
最後に会ったのは婆ちゃんの七回忌法要だったか。
別に嫌いあってるわけじゃないけど・・・父さんの立場があって表向きは絶縁状態だ。
本当は俺だって、あんまここに出入りするのは良くないんだけどな。
爺さんは任侠の世界に生きる組長だ。
爺さん一代で築いた組は大きな組織に属しているわけでもないが、
古くからの親分衆に顔がきくから一目置かれている。
爺さんは父さん側の祖父だけど、俺とは苗字が違う。
というのも、俺の父さんは組を継がずに教師になるという夢を貫いた。
教師になるために爺さんとは絶縁するしかなくて、母さんの家へ養子に入ることで苗字も変えたからだ。
名前を変えてから一度もこの家には足を踏み入れたことがないという父さん。
婆ちゃんの法要だって、こっそりと墓参りに参加しただけだった。
「若、北海道に行った舎弟からカニが来たんですよ。」
「マジか?え、誰だよ。」
「ほら、徹也ですよ。
アイツ、おやっさんに言い含められましてね。堅気になって父親の跡をついだんですよ。
それがカニ漁船でして。で、こうやってカニが送られてくるんですよ。」
「へぇ」
爺さんは行き場がなくて暴れてる若い者を拾って来ては面倒を見ている。
そして一つ一つ礼儀から言葉遣い、生活態度までを躾けていって、最後は堅気の世界へ戻していた。
だから、ここの若い者はいつの間にか居なくなる。
ずっと残っているのは、爺さんを心底敬愛している古参の組員ばかりだ。
確かに『ヤクザ』って言えば、俺だって好い印象は持てない。
けど身内の贔屓目って言うのかもしれないけど、爺さんの組は違うんだ。
薬と賭博はご法度。
この古い商店街に根付き、警察とかが直ぐに解決できないような紛争を話し合いで解決させる。
町の揉め事を治め、時には他所から流れてくる荒くれ者を追っ払い治安を守る。
義理と人情で真っ当に頑張ってるんだ。
「うめぇ」
「そうか、もっと食え。」
鍋を挟んで爺さんとサシでカニすきを食べる。
真樹さんをはじめ幹部達は俺たちの後ろに正座して控えていた。
「二人で鍋を食べても美味くないだろう。真樹たちも食べればいい。」
「そうそう、そんな後ろで見られてても食いにくいし。」
「そうですか?」
遠慮がちに膝で進んできた真樹さん達だったが、10分もすれば賑やかな食卓になった。
よその組は知らないけれど、ここは皆が一緒に食事をとるから合宿所みたいだ。
俺もテニス部の仲間達と一緒にワイワイ騒ぎながら食べるのが好きだから、ここの雰囲気も気に入っていた。
結局爺さんは元気で俺は真樹さんに騙されたんだけど、まぁ美味いカニも食えたし許してやることにした。
そして命を懸けて俺を送ると言った真樹さんが運転する車の中、やっぱり言われたのは・・・跡目のこと。
「若、考えてみてくださいませんか?
若が跡目を継ぐと言ってくだされば、おやっさんも安心して百は生きてくださると思います。」
「無理無理。爺さんだって、ンな事は一言だって俺に言わないし。まぁ、長生きはして欲しいけどよ。」
「おやっさんは心根のお優しい方ですから。
心では強く強く願っておいででも・・ご自分の口からは仰いませんよ。ですから、ここは若からビシッと。」
強く強くにヤケに力を込めて言う真樹さん。
最後はいつも跡目の話になるから気が重い。
父さんが跡を継がなかったからって俺にお鉢が回ってきたんだ。
「真樹さんが跡を継げばいいだろ?」
「滅相もない。真樹はそんな器も資格もございませんよ。」
「俺もないぜ?」
「若は充分にございますよ♪」
どこが?なにが?ただ単に爺さんのDNAを引き継いでるだけって事だろう?
ずっと真樹さんのセールストークを聞きながら、俺は早く家に着くのだけを願っていた。
「宍戸さん、お爺様は大丈夫でしたか?」
「長太郎、昨日は悪かったな。お詫びに、ほら。ブリオッシュだ。」
「うわっ。宍戸さん、朝から焼いてくれたんですか?」
「おお。今日は部活が午後からだったしな。焼き立てだからウマイぞ。」
日曜日の部活が始まるのは午後二時からだが、俺たちはいつも早くに来て練習をする。
今日は昨日の詫びにパンを焼いてきたから木陰で先ずは腹ごしらえだ。
「美味い!相変わらず宍戸さんの作るパンって美味しいですよ。」
「ハハ。焼き立てだから美味く思うんだよ。」
「そうかなあ?これ、趣味の域を超えてると思うんですけど。」
「窯とかあれば、もっと美味いのが作れるんだろうけどな。窯が欲しいぜ。」
「自宅にパンを焼く窯があるって言うの聞いたことないですよ?」
「そりゃな。いつか店とか持てたら窯を置くんだけどよ。」
「いいですね、それ。宍戸さんの店が出来たら毎日通いますよ、俺。」
「夢だな、夢。俺んち、教師の家だからなぁ。」
三食がパンでも苦にならない俺は、好きが高じてパン作りが趣味になった。
もともとは母さんがパン教室に通っていたせいで、小さい頃から焼きたてパンを食べてた影響も大きい。
一番の俺の好物は母さん自慢の食パンで作ったチーズサンドだからな。
いつかパン職人になれたらなぁ・・・漠然と思っている。
「あ、鳳くん。」
「さん、部活?」
「ウン、これ。」
俺たちが座るベンチに、黒いケースを抱えた彼女が近づいてきた。
思わず緊張して強張る俺をよそに、長太郎は人好きする笑顔を彼女に向けた。
彼女は重そうなケースを少し掲げて笑う。
これから吹奏楽部に行くということだ。
ということは、彼女の美しいフルートの音が聴けるって事。
「宍戸先輩、こんにちは。」
「お、おう。」
「あ、パン食べてるんだ。美味しそう。」
「これね、宍戸先輩が作ったんだよ。すごく、美味しいんだ。」
「コ、コラッ、長太郎!よけいなこと、言うなよ!」
「え?すみません。でも、本当に美味しいですよ?」
「そういう問題じゃねぇ!」
さんの前で、ンな事を言うなって事だよ!恥ずかしいだろっ。
赤面しそうになって怒っていると、彼女がマジマジと俺のパンを見つめている。
なんだ?と窺えば、ハッとしたように彼女が口元を押さえた。
「あ、す・・・すみません。売ってるのみたいに綺麗だし、なんか美味しそうでビックリしちゃって。」
「そ、そうか?」
「はい!テニスだけでもスゴイのに、宍戸先輩って才能の多い方なんですね。」
唖然としてしまった。
が、次には無性に恥ずかしいというか照れるというかで慌てまくる。
「そ、そんなことねぇけど。長太郎、ひ、ひとつ、彼女に分けてやれよ!」
「ハイ。どうぞ、さん。焼きたてなんだよ。」
「いいんですか?」
「いいよ。」
おいおい。なんて、ぶっきら棒な言い方するんだよ。
もちっと優しく勧めればいいのに。自分で自分にダメ出しだ。
長太郎の手からブリオッシュを一つ受け取ると、彼女は楽器を置いてパンを両手で大事そうに包んだ。
上から下からブリオッシュを眺めると、次には香りを嗅いで「美味しそう・・・」と呟く。
「食べていいですか?」
「ど、どうぞ。」
「いただきます」
桜色した彼女の唇がブリオッシュに触れる。
ドクンと俺の心臓が大きな音を立てた。
家族と長太郎以外には食べさせたことのない俺のパン。
ひどく緊張して、さんの顔を見つめた。
モグモグと口を動かし、直ぐに細くて白い指を唇にあてた彼女。
そしてブリオッシュと俺の顔を交互に見て、弾けるように言った。
「お、美味しい!宍戸先輩、すごく美味しいです!本当に、とっても美味しい!」
「そっ、そうか?」
「ハイ!なんか感激しました!」
いや、俺のほうが感激してるって。
長太郎に初めてパンを食べてもらって『美味しい』って言われた時も嬉しかったけど、んなもん比じゃないほど嬉しい。
だって、ホラ。やっぱ、特別だろ。
想いを寄せてるコに『美味しい』って言って貰うのって。
長太郎と同じクラス、年下のカワイイ女のコ。
彼女が俺の片想いの相手。
美味しい、美味しいを連発しながら、彼女はブリオッシュを完食してしまった。
パクパクと美味しそうに食べる姿も好ましい。
「ごちそうさまでした」
深々と頭を下げる姿に、つい笑顔が零れる。
カワイイよな、ホント。
「また、」
「は?」
「また・・・食わしてやるよ。」
「本当ですか?」
「ああ。来週も、この時間に・・・ここな。」
「あ、ありがとうございます!」
「長太郎、いいだろ?」
「もちろんいいです。良かったね、さん。」
「うん!」
彼女は再びペコペコと頭を下げると、黒いケースを手に校舎に向かって走っていった。
そんな後姿を幸せな気持ちで見送っていたら、隣で長太郎が可笑しそうに呟く。
「さんね、宍戸先輩に憧れてるみたいですよ。」
「え?」
バカッ!そういうことは、もっと早くに言えよっ!
その日の部活。
頭が彼女のことでイッパイになってしまった俺のコンディションは最悪で、
跡部に『お前、頭が沸いてんじゃねぇの?』とボールを頭に放られても腹が立たなかった。
だって、これ。
チャンスって言うんだろ?
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