「行ってくる」
「行ってらっしゃい。気をつけて・・・」



言葉を交わしたあと、暫し見つめ合った。
そっと手塚の手が伸びてきて、愛しそうに頬を包まれた。


何度繰り返しても慣れない寂しさには堪らず目を閉じる。
すると、またいつものように温かく優しい唇が重ねられた。


それは二人が離れ離れになるときの儀式。
これから9ヶ月間、二人は別の国に離れて暮らす。










          光り 1










コンコン。と、ノックの後にの返事を待ってから病室に入ってきたのは大石だった。



「どう?」
「相変わらず。大石君は、今おわったの?」


「今、インフルエンザや胃腸にくる風邪が流行っててね、小児科は満員御礼なんだ。」



穏やかな笑顔を浮かべる大石は白衣の肩に真っ赤の聴診器をかけていた。
そのまま外来から上がって来てくれたのだろう。
は申し訳なく思いながらも彼の穏やかな笑みに救われる思いだった。



「手塚、準々決勝進出だね。当然だけど、よかった。見てた?」



のベッドの隣に置かれたテレビに視線を流しながら大石が尋ねれば、それは嬉しそうにが微笑んだ。


可愛い人だと、大石は思って苦笑した。
二人が結婚して四年以上たつが、いまだに初々しくお互いがお互いを想い合っている。
特にが手塚を想い気遣う様子は独身の身には羨ましくなるほどだ。



「ところで、まだ手塚には入院している事を知らせてないのかい?」
「まだ・・・。とりあえずは全豪オープンが終わってからと思って。」


「後で知ったら手塚は怒ると思うよ?俺も怒られそうで怖いんだけど。」
「でも・・・もつか分からないし、」



そう言葉を濁して、は自らの左手に繋がった点滴を見上げた。
大石もつられてボトルを見上げる。



が入院したのは手塚がオーストラリアに発った翌週だった。
友人である産婦人科の医師に知らされて慌てて病室を訪れた大石には言った。



     国光さんには内緒にしてて欲しいの。
     去年も流産して・・・そのせいで大事な試合を棄権してしまったの。


     出血が止まらないし今度も駄目かもしれない。
     国光さんには試合に集中して欲しいの。だから、お願い。大石君も黙ってて?



確かに手塚が知れば試合どころではないかもしれない。
何より彼女を愛している親友のことを思えばの言う事も分かる。
だが、これから後も全仏、全英、全米と秋まで大きな大会が続く。
その間にも世界中でトーナメントが開催され、ランキングを上げる為に選手達は連戦につぐ連戦だ。
予定では手塚も秋まで帰国しないはずだった。



     駄目だったら・・・彼には知らせないままにしたいの。
     去年は私が取り乱しちゃって、すごく心配をかけてしまった。
     国光さんの大事なテニスの邪魔をしてしまったのが・・・辛かった。

     もしも安定期までもつ事が出来たなら、ちゃんと言うから。



瞳に涙さえ浮かべてお願いされれば、人の好い大石は頷くしかなかった。
主治医である友人に訊ねれば『今は何とも言えない』と言われた。



親友の知らないところで命の光を守ろうとしていると生きようとする命。
小さな生命の力を信じるしかない。
せめて自分が近くで見守ろうと心に決めた大石だった。



夜、の携帯がなる。
ディスプレイに浮かぶ名前に笑みを浮かべて耳に当てた。



『俺だ』
「おめでとう。テレビで見てた。」


『仕事は?』
「あ・・・ちょっと仕事の合間に。」


『あんまりサボってると叱られるぞ?』
「気をつけます」



ふっと、手塚が笑う息遣いが伝わってくる。
病院の窓から月を見つめながらは遠い場所にいる夫を思い浮かべた。



『そっちは変わりないか?』
「・・・ないわ。」


『風邪とか引いてないか?仕事も無理をするな。』
「大丈夫よ。風邪も引いてないし元気。国光さんこそ大事にして。」


『ああ、』



仕事は診断書を出して休んでいる。
突然の事だったから引継ぎも出来てなくて同僚に何度か足を運んでもらっていた。


愛している人に嘘をつくのは辛い。
ましてや自分の体の中で生きようとしているのは、父親である彼の子だ。


それでも言えない。
大切な時期に心を乱すような事はどうしても言えなかった。


あまり長く話すのが得意ではない夫を知っているから、から「そろそろ休んだら?」と促す。
本当は一分でも長く話していたい。



毎日、今日は胎児の心拍が止まっているんじゃないかと不安でたまらない。
トイレに行くたび、もしも出てきた胎児を見てしまったら気が狂うかも知れないと思ってしまう。
寝ていても血液の流れる感触に吐き気がして震えてしまう。
生理痛のような鈍い痛みに泣きたくなる。


こんな時、傍にいてくれたらと思わずにいられない。


それでも耐えるのは、手塚の夢は自分の夢だから。
グランドスラム達成を夢にして頑張っている彼を応援したい。



「おやすみなさい。明日も応援してる。」
『心強いな。・・・おやすみ。』



オーストラリアとの時差が少ないおかげで、お互いが『おやすみ』と言葉を交わして電話を切った。



切れた携帯を耳に、は小さく溜息を落とした。





また、の長い夜が始まる。





















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