本気の恋 1
「忍足君!この前の試合、応援に行ったよ〜」
「そりゃ、おおきに。どうやカッコよかったやろう?」
「オッシーコール、聞こえた?」
「おお、聞こえた聞こえた。あれで元気でたわ。」
廊下の真ん中で女子に囲まれた忍足が愛想よく答える。
気軽には話しかけられない下級生たちが羨ましそうに彼女たちを見ている傍を一人の女子が足早に過ぎていく。
その姿に忍足の視線が動く。
彼女はチラリとも忍足には視線を向けず、水色のファイルを手に先を急いでいるようだった。
「でさ、今日ってテニス部の練習ないんでしょう?皆で遊びに」
「あっと、ゴメン。後でな。」
言うなり女子の群れを素早く抜けた忍足の背に不満の声が上がるが、彼は振り向かなかった。
その視線の先には背筋をピンと伸ばした美しい後姿しか映っていない。
「ちゃん」
名前を呼びながら隣に並んでみたが、彼女は前を向いたまま自分の顔さえ見てくれない。
そんなものは慣れているので怯まない。
他の女子が見たら頬を染めそうな極上の笑顔を浮かべ、忍足はの顔を覗き込んだ。
「どこに行くんかな?跡部なら部室やけどなぁ。」
ピタッとの足が止まり、やっと忍足の方を見た。
跡部と同じく西欧の血が混じっているという琥珀色の瞳が忍足を映す。
この美しい瞳にだけは慣れることがない。
いつまでたっても自分の鼓動を跳ねさせることを彼女は知っているのだろうか。
「部室?なんで?」
「昨夜は寝てないらしいで。なんや生徒会の方が大変なんやろう?」
は少し考える素振りをして小さく息を吐く。
睡眠不足の跡部が部室で寝ていることを察したのだろう。
形の良い眉を僅かに寄せ、は抱いていたファイルを抱き直した。
「跡部に後は私がやると伝えておいて。」
「そりゃええけど、お前も大変なんやろう?」
「別に。」
素っ気なく答えると、歩いてきた廊下を戻ろうとする。
彼女が跡部に負けないぐらい忙しく過ごしているのを知っている忍足は、咄嗟に彼女の腕を後ろから掴んだ。
「ちょっと、待てって・・痛っ」
一瞬で強く振り払われた自分の手。
は憤った顔で忍足を睨みつけていた。
忍足は大げさに払われた手を摩りながら溜息をつく。
廊下での出来事に周囲を歩いていた生徒たちが目を丸くして二人を見ていた。
「勝手に触らないで」
「なら『今から触れます〜』って宣言したらええんやな?」
「馬鹿じゃないの。いいわけない。」
「腕ぐらい別にええやろ。押し倒したわけじゃなし、なぁ?」
ああ・・また嫌われると思いながらも口が勝手に言葉を紡ぐ。
整った顔を更に険しくしたは、まるで汚らわしいものでも見るような目で忍足を見ると無言で背を向ける。
今度は引き留められない。
今日も失敗したと心の中で独りごちながら、忍足はの背中に声をかけた。
「あんまり無理せんようにな。」
心をこめた優しい声。
彼女からは何の反応も返ってこなかったけれど。
は誰もいない生徒会室でパソコンに向かっていた。
本当は会長である跡部のチェックを受けてから作る資料だったが、彼の考えていることはだいたい分かっている。
なんといっても生まれた時からの付き合いだ。
同い年の『いとこ』とは、幼い頃から兄妹と間違われるほどに容姿が似ていた。
あそこまで唯我独尊ではないが、も自分に厳しい完璧主義な性格。
誰にも文句は言わせないほど自分を律して生きてきた。
デスクいっぱいに広げた資料が肘に当たって落ちた。
忌々しく思いながら拾い上げようとした時、ふと肘にあった感触を思い出した。
忍足に後ろから掴まれた腕。
力強い手の感触が生々しく残っている。
は拾った資料と一緒に忍足が触れた肘のあたりを押さえた。
その部分は熱を持って、の鼓動を刺激する。
振り払うように軽く頭を振ったは、再びディスプレイに向かった。
僅かにしかない自由時間が削られていく。
それでも出来なかった分は、跡部と同じく睡眠時間を削っていくしかない。
今に始まったことではないけれど、自分は不器用な人間だとつくづく思って嫌になる。
「いるか?」
ノックもなしに生徒会室に入ってきた声の主が分かっているから、は顔を上げなかった。
跡部は真っ直ぐにの元へくると当たり前のように肩を寄せ、彼女の背中からパソコンの画面を覗き込んだ。
遅れて生徒会室に足を踏み入れた忍足は静かにドアを閉めて、その場に佇む。
「なんだ、もう形はできてるじゃねぇか。」
「景吾が言ってたのは、こんな感じ?」
「ああ。ここは?」
「そこはね」
忍足はただ黙って二人を見ていた。
あうんの呼吸で話し始めた跡部とは兄妹にも見えるし、美しい恋人同士にも見える。
彼女と頬を寄せ合うかのようにしてディスプレイを見ている跡部に僅かながらも嫉妬が芽生えた。
「ふん。ま、そんな感じでいいだろう。おい、忍足。」
「なんや?」
跡部が発した名前で、はじめて忍足の存在に気付いたが驚いたように視線をあげる。
じっと二人を見ていた忍足と目があったが、弾かれたかのように視線を逸らした。
忍足は隠しもせずに溜息をつくと、ゆっくりと二人に近付いていく。
「で、俺のお仕事はなんでございましょう。」
「を手伝ってやってくれ。」
「景吾、いいよ。ひとりで出来る。」
「ばーか。お前だって大会が近いんだろ?
部長不在で負けたなんて言われたら俺が嫌なんだよ。
それじゃなくても、お前には負担をかけてばかりだからな。」
そう言って、跡部は笑顔を見せる。
付き合っている女にも見せないような柔らかな笑みは、心を許した者にだけ与えるものだと忍足は知っている。
それにも心が軋むのを感じながら、困惑しているに微笑みかけた。
「というわけで、秘書の忍足です。よろしくな。」
作り笑いは自覚済みだったのだが、それは彼女にも分ったようだ。
忍足が恋をしている彼女は、とても嫌そうに視線を逸らしたのだった。
本気の恋 1
2008/06/05
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