張りつめた空気の中、凛とした横顔が真っ直ぐに的を見つめていた。
見る者が息さえ堪えるような雰囲気なのに、弓を引く彼女は水面のように静かだ。
ギリギリと引かれてしなる弓から光のような矢が放たれる時、彼女の短い髪が僅かに揺れた。
ただただ美しく気高い。
忍足は自分が瞬きを忘れていたことに気付き、苦笑いしながらメガネを押し上げた。
本気の恋 2
跡部の親戚が転入してきたと知って、顔を拝みに行ったのがファーストコンタクト。
「ええっと、って・・どいつや?」
自分とは違う教室に足を踏み入れて名前を呼んでみた忍足。
跡部に次ぐ人気のある忍足が顔を出せば、途端に女子たちが集まってくる。
「オッシー、どうしたの?さんに用事?」
「いや、跡部の親戚っていうから話のネタに見とこうかと。」
「さっき職員室に呼ばれてたけど?それよりさぁ、いつ映画に連れてってくれるの?」
「ああ、そういえば約束しとったなぁ。忘れてた。」
「酷い・・・知ってるんだからね。東高のコとは行ったんでしょう?」
「それ人違いや、多分。とにかくがいないんやったら・・・」
「私になんの用?」
入口に立ちふさがっていた忍足たちの後ろから声がした。
なにの心構えもなく振り返った忍足は、自分より僅かに目線が低い人物と真正面から目が合った。
綺麗な瞳の色やな。
それが第一印象。
跡部の瞳も真っ黒ではないが、それよりも更に色素の薄い瞳だった。
ショートの髪は自然な栗色で見るからに柔らかそうだ。
透明感のある白い肌に意志の強そうな目元と引き締まった唇。
なにより綺麗な瞳は教室に射しこむ光りを集めて魅力的に輝いていた。
「なに?」
美しい人が再び訊ねてきた。
見惚れていた忍足は我にかえったのだが、直ぐに言葉が出てこない。
心臓が勝手にバクバクしはじめたのに自分でも驚いている。
すると忍足に映画を強請っていた女のコがお節介にも割って入ってきた。
「話のネタに跡部君の親戚の顔を見に来たんだって。オッシーはテニス部だからさ。」
「いや、あ・・・まぁ、そうなんやけど。」
目に見えて眉根を寄せたの視線が強くなる。
つい怯んでしまった忍足だったが、その綺麗な瞳から目を逸らすことはできなかった。
「なんというか・・・跡部に似てるよな。言われへん?」
「それが何か問題なの?」
「いや・・問題にはならんやろうけど。」
「ならいいでしょう。」
それだけ言うと、はさっさと自分の席へと向かい座ってしまった。
読みかけだった本を出してきて、すぐに活字へ没頭してしまった横顔を見ながら思った。
これは、ヤバいかもと。
来るもの拒まず去る者追わず。
誰にでも優しいけれど本気にはならない。
それが今までの忍足侑士という男だった。
心って、どこで何にスイッチが入るのか想像もつかない。
確かには今まで出会った誰より綺麗な顔をしていた。
顔だけではない。日本人の女性にしては高い身長と均等のとれたスタイル。
細くて長い手足はしなやかで、何もかもが整っている。
だが今まで美人だけを好きになったわけでもないし、そう面食いだと思ったこともない。
どちらかというとパーフェクトな人間はツクリモノっぽくて好きじゃなかった。
なのにと出会ってから、忍足の目は常に美しい彼女の姿を探してしまう。
自分も世の男たちと同じ『見た目重視』の人間だったのかと自己嫌悪に陥りそうになった時、目が覚めるような出来事があった。
氷帝学園には立派な弓道場があり、もちろん部活も盛んだった。
しかしテニス部とは違い実力よりも先輩が優先される世界で、無駄に権力を振りかざす三年生に下級生は小さくなっていた。
その三年生と真っ向勝負をしたのがだった。
「アイツは昔っから曲ったことが大嫌いな奴なんだ。
ぶつかるのは時間の問題だったろうよ。よく我慢したほうじゃねぇか。」
跡部は呑気に笑っているが、忍足はそれどころではなかった。
は三年の男子を相手に一歩も引かなかったらしい。
それも自分のために食ってかかったわけではなく、同じ下級生の部員が理由もなく苛められているのに激怒したらしかった。
忍足が見に行ったとき、の頬には大きな湿布が貼られていた。
頭に血が昇った三年生に平手打ちされたのだと言う。
腹の底から湧いてくる怒りをその時に初めて忍足は知った。
「アホッ!男相手に何してるんやっ」
抑えきれずに声を荒げた忍足をは瞳を大きくして見ていた。
切れているらしい口の端を細い指で押さえて、は小さく笑いだす。
「これで馬鹿な三年生を排除できる。そうすれば弓道部は良くなるよ。」
「お前・・まさかそのためにわざと?」
「心配かけたね、忍足。」
いつの間に自分の名前を覚えてくれていたのか。
は綺麗な瞳で忍足を見上げ、初めて柔らかな笑顔を見せてくれた。
その微笑みを見て、
自分は絶対にを本気で好きになってしまうだろうと確信した忍足だった。
綺麗なはどこにいても目立つ。
おまけに彼女は冷たいようでいて人に優しく、そして常に正しい。
転入生でありながら、あっとい間に学園へと溶け込み人気を集めていった。
女子には王子様のように慕われ、男子には観賞用のごとく美しさを愛でられる。
カリスマ的な人気を誇る跡部をキング、美しいをクィーンと呼ぶ生徒まで現れる始末だ。
忍足は彼なりに誠実な気持ちでと向き合っていた。
なのにいつの頃からだろう。
は忍足を避けるようになり、段々と態度が冷たくなっていった。
もともと優しく接して貰った記憶はないけれど、少しぐらいは微笑んでくれたし他愛ない話もしたはずだ。
何故なのか。
すれ違った思いをどうすることもできず、苛立ちが更に状況を悪くしている。
そんな中で跡部に頼まれた仕事はの手伝いだった。
「表はこれでええか?」
渡された数字を表に仕上げて声をかければ、椅子から立ち上がったが傍に来た。
椅子を脇にひいてやると遠慮がちにがディスプレイを覗き込む。
無意識に置かれた手が白くて目を奪われる。
こんな華奢な手で、よくあの大きな弓が引けるものだと笑みが零れた。
「ここは」
「ん?ああ、どこや?」
何故か笑っている忍足を見て、が変な顔をした。
気持ち悪げに思われるのも面白くないと、忍足は視線を彼女の手に落とした。
「お前の手って、細いやろ?よくこんな手で弓が引けるもんやなぁと思ってな。」
ハッとしたらしいが慌てて机についていた手を引っ込めた。
あからさまな態度に肩をすくめた忍足だったが、よくよく見れば引っ込めた手を握りしめているの頬が僅かに赤い。
間近で可愛い表情を見てしまったと、また頬が緩んでしまった。
「細くない。他の子より手が大きくて」
「そんなことないやろ?ほら、俺の手と比べてみても」
そう言って忍足は自分の右手を広げての前に差し出す。
眉を寄せながらも目の前に出された手のひらを見たは黙ってしまった。
忍足の手のひらはラケットを握る部分の皮膚が硬くなって色を変えていた。
これと同じ手のひらを持つ人を知っている。
幼い時からラケットを握り続けてきた跡部も同じ手をしていた。
たゆまぬ努力を続けてきた人間が持つ手だ。
の瞳が和らいだ。
ふっと力を抜いたように微笑むと、華奢な手を忍足の手のひらに合わせた。
忍足よりひとまわりも小さくて柔らかな手。
じんわりと僅かに触れた手のひらから温もりが伝わってくる。
まさか本当に手を重ねてくれるとは思いもしなかった忍足は驚いた顔でを見つめた。
そんな彼と目が合った途端、音が出るかと思うほど顔を赤くしたが重ねた手を引く。
思わず、あ〜と残念そうな声を出しそうになった忍足。
「テメェら、真面目に仕事しろよ。」
それより先に奥のデスクでパソコンに向かっていた跡部の呆れた声がした。
本気の恋 2
2008/06/05
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