本気の恋 最終話
朝練のために登校した忍足は部室のドアを開けて驚いた。
いつもは重役出勤の跡部が自分より先に来ていたからだ。
着替えもしていない制服姿の跡部は、忍足の顔を見るなり立ち上がり外に向かって腕を引いた。
入ったばかりの部室から外へ引きずり出された忍足が声をあげる。
「な、なんや朝から。」
「いいから来い!」
「来いって、どこへ?」
「のところだっ」
憤った顔の跡部が吐き捨てるように言った。
「あいつ、俺にも内緒で転校手続きしてやがった。」
「なん・・やて?」
「アメリカに行くそうだ。」
静かな弓道場に忙しない靴音が響いてくる。
独りで練習していたは構えていた弓をおろし、もう直ぐ開くであろうドアを見た。
景吾は来るだろうと思っていた。
昨夜のうちに一家が渡米することは母親経由で伝わったはずだったから。
だが忍足まで伴ってくるとは思っていなかったから、内心では怯んだが表情はうまく繕えた。
「なぜ言わなかった?俺様に相談もなしかよ。」
「相談も何も父の仕事の都合だし。
今までだって私が転校を繰り返してきたの、景吾は知ってるでしょう?」
「今回は大学受験もあるから、ここで卒業するって言ってたじゃねぇか。」
「父も暫くは動かないですむと思っていたの。でも、急にね・・・仕方ないでしょう?」
苛立ちを隠しもしない跡部と冷静なの会話を忍足は黙って聞いている。
ただ視線だけは痛いほど強くに向けられていた。
「部の方と生徒会には申し訳ないと」
「そんなことで怒ってるんじゃないっ」
「何を」
「忍足から逃げようってのか?
どんなに逃げても自分の気持ちからは逃げられねぇぞ。わかってんのか?」
は口を開いたままで言葉が出せず、忍足は険しい表情で跡部を見た。
「跡部、あとは二人で話させてくれるか?」
チラッと忍足の顔を見た跡部は何も言わずに背を向ける。
その背中に「ありがとうな」と忍足が呟いた。
ふたりだけになると、もうは顔が上げられなかった。
どんなに意志を強くしようと思っても、忍足の顔を見たら直ぐに折れてしまいそうになる。
恋だけはの思うようになってくれず、心が掻き乱されてしまうから。
「返事を聞かせてくれ」
唐突に忍足が切り出した。
思わず何のことかと顔を上げ、漆黒の瞳を見て全てを理解する。
迷いなく向けられる真摯な瞳は、の忍足に対する気持ちを尋ねていた。
「私は」
声が掠れそうになる。
嘘を上手につくには、忍足の視線が真っ直ぐすぎる。
目が合わせられずに逸らせば、忍足の大きな手が両肩を掴んできた。
「今更、嘘は欲しくない。本当の答えが欲しい。」
「言え・・・ない」
「なんで?もう遠くへ行くんやろう?
振るんなら後腐れなくバッサリと、そうでないなら」
そうでないなら?
心の中で問えば、険しかった忍足の瞳が困ったように細められる。
そして肩に置かれた手が、そっと慈しむように頬を撫でた。
「そんな泣きそうな顔で見られたら期待してしまうやろ?
なにが悲しい?好きでもない男を振るのに泣くこともないやろ?
なぁ・・・聞かせて。俺は・・お前の本当の気持ちが知りたいねん。」
ああ、やっぱり彼には黒がよく似合う。
自分だけに向けられる黒い瞳は、ずっと心から求めていたものだ。
こんな時になって信じられる想いを手にしてしまったなんて。
「もう会えなくなる。」
「お互いが会おうと思えば、地球の端と端にいても会えるもんや。」
「会えないと気持ちが・・・離れる」
「それを怖がってくれるんやったら、俺は喜んでええんやな?」
何故とが潤んだ瞳で問う。
愛した琥珀色の瞳が朝の光りに輝くのを溢れるほどの想いで見つめる忍足は幸せそうに微笑んだ。
「離れたくないほどの気持ちが俺にあるってことやろ?
お互いが離れたくないと思ってるんやったら、俺らの気持ちは一緒や。」
な?
念押しするように微笑んだ忍足は、ゆっくりと彼女の頭を抱き寄せて自分の肩に押しつけた。
怖がらせないように髪を撫でて、想いを込めて囁く。
「ずっと・・・お前だけに言うから。
が好きや。本気で好きやから、俺のものになって?」
「でも」
「俺の本気は時間をかけて証明する。
お前が帰ってくるまで、俺はずっと待ってるから。だから、な?」
気持ちを聞かせて?
自分の肩で震える人が、小さく小さく囁いた言葉を忍足は忘れない。
この美しい人が自分だけのものになってくれた証の言葉だった。
銀色に輝く翼が見えなくなっても、忍足は空から視線を落とさない。
跡部は展望台の手摺に凭れて、いつまでも動かない忍足に溜息を落とした。
「なんで引き止めなかったんだよ?だけ日本に残れば良かったんだ。
お前が本気で止めりゃ、残っただろうによ。」
「今なぁ、ちょっと後悔してるとこ。」
「ふん。馬鹿だ、馬鹿。」
「なぁ、跡部は知ってるか?」
「ああ?」
「会えない時間が愛を育てるってヤツや、昔の歌でな。」
「知るかよ。会ってた方が良く育つに決まってんだろう?」
「そうか?けどな、俺は思ってる。
今度ふたりが一緒にいられるようになった時、俺らは本気で付き合える。」
茶化すこともできない真剣な忍足の言葉に、跡部は項垂れて頭をかいた。
聞かされている方が恥ずかしいというものだ。
「そうかよ。まぁ、はあれだけの女だからな。
あっちの優男に持ってかれないように、せいぜい頑張るこった。」
「お前、本当に性格悪いな。
の気持ちに気付いてて俺に教えてくれんかったことも恨んでるんやで、俺。」
「忍足、知ってるか?愛は障害があってこそ燃えるってもんだ。」
やっと空から視線を戻し顔を顰めた忍足を見て、跡部が楽しそうに笑った。
忍足は大空に向かって深呼吸すると目を閉じる。
抱きしめた腕の中の感触、温もり、香り。
自分を見上げて映した琥珀色の瞳。
『ゆう・・し?』と、何故か疑問形で小さく呼んでくれた自分の名前。
帰ってくるからと彼女は言った。
白くて細い指と日に焼けた自分の指を重ねて約束した。
大学受験には戻ってくる。
だから待っていて。私だけを好きでいて。
そして、本気の恋を私に教えて。
教えてあげよ。
だから早く帰っておいで、俺のもとに。
この空は恋人へと続いている。
そう思えば、少しは寂しさも紛れるというものだ。
忍足は先に歩き出した跡部の後を追い、よく晴れた展望台を後にした。
本気の恋
2008/06/08
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