勘違いも甚だしい 1
夜だというのに車両トラブルで遅れた電車は混んでいた。
残業もあって、チーフにも怒られて、散々な一日の最後がこれ。
目的地のドアが開いた時には疲労がどっと押し寄せた。
アパート近くのコンビニによってアイスを買おう。
今日は奮発して高いやつ食べてもいいよね。
この混雑から一分でも早く解放されたかった。
それはもう、前の人を突き飛ばしちゃうぐらい切実に。
ヤバッと思った時には前につんのめっていた。
つま先が何かに突っかかってバランスを崩したんだと思う。
混んでたからホームを歩いてる人も多かった。
ひとりで転べば笑い話で済んだのだけど、条件反射で伸ばした手は前を歩く人の背中を押していた。
「すみません!すみません!すみません!」
ホームの端っこで米つきバッタのように頭を下げ続ける。
本物は見たことないけど、きっと頭を下げまくるバッタなんだろう。
相手の人は体をひねり靴の踵を確認すると視線を私に戻した。
明かりが反射する眼鏡フレームを長い指が押し上げる。
「別にいいですよ」
感情のない声。
ですます調だけど抑揚がないっていうか、ちょっと違うアクセント。
この人、絶対に怖い人だ!!
いいと言った男の目は、ちっともよさそうじゃなかった。
不機嫌に寄せられた眉と鋭い視線を注がれ、背中に冷たい汗が流れる。
ピンストライプの入った黒いスーツをまとった長身の男は、ノーネクタイで開襟のシャツを着ていた。
整髪料で後ろに流した髪は一糸の乱れもなく、整った目鼻立ちに神経質そうな眼鏡。
そして黒光りする磨き抜かれた靴に、銀色の重厚そうな腕時計。
ホストか、ヤのつく職業か。
どちらにしても普通のサラリーマンには見えなかった。
とにかく謝るしかないと頭を下げれば、男は溜息をついて腕時計を確認する。
俳優みたいにカッコイイ仕草だが、そんなこと考えている場合ではない。
「本当にすみませんでした」
「もういいです。じゃあ」
「あ!」
男が軽く手をあげた時に、赤いものが見えた私は思わず声を出していた。
不思議そうな顔をした男が私の視線を追い、自らの手のひらを見て目を眇める。
実は・・突き飛ばしたうえに男の靴の踵まで踏んでしまい、地面に手をつかせてしまった私だ。
その時に擦ったのだろう手のひらは血が滲んでいる。
法外な治療費を請求されたら。
浮かんだ想像に青くなった私は、自らのカバンに手を突っ込むと荷物をあさった。
「あった!ありました」
とにかく男の逆鱗に触れる前に怪我を何とかしなくては。
その一心で男の手をとると、えらく大きな掌に絆創膏を貼り付けた。
「そっちの手は?」
「・・・大丈夫ですよ」
迫力ある外見の割には丁寧な言葉使いをやめない男は、もう片方の手を隠すように握りこむ。
そして絆創膏を貼った方の手のひらを無表情で凝視していた。
「すみません。その・・柄つきで」
貼ったのは可愛いクマちゃんの柄つき絆創膏だ。
眺めたところで和めそうもない雰囲気どころか、絆創膏を見つめる男の表情が強張っている気さえする。
さすがに、まずかったかと焦った。
「あの、そのままだと服が汚れるかもしれないし。血が止まったら速攻で剥がしてください」
「・・・わかりました」
微妙な沈黙の後に男は頷き、それ以上の文句を言うでなく背を向ける。
慰謝料払えだとか、名前と住所を教えろとか脅されるのではと身構えていたが何もない。
あっけなく去っていく後ろ姿に『刑事ドラマの見過ぎ?』と思いながら、
安堵の息を吐いた私だった。
勘違いも甚だしい 1
2011/05/28
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