花信風 最終話












手塚君は気持ちを表情に出すのが苦手な人だった。
彼の笑顔を賭けて面白がった仲間たちが随分と奔走したものだ。



『なんだよ。手塚の笑顔を見ようと思ったら、つれてくりゃスグじゃん。』
『当然だろう?さすがの手塚だって好きな子には笑顔にだってなるさ。』



目の前でそんな会話をされ、ふたりして赤くなった日。
私に視線を落とした手塚君が肩をすくめて、僅かに微笑んだ。


はにかんだような彼の温かい瞳がとても好きだった私。
その笑顔を再び見た。


私ではない誰かに見せた笑顔を。





ドクドクと耳に響く鼓動を聞きながら歩く。
足早にエスカレーターを駆け下りて、とにかく外を目指す。


息ができない。
とにかく外に逃げ出したかった。


柱の陰から出てきたサラリーマンに肩がぶつかり、すみませんと頭を下げる。
その時だ。聞きなれた着信音がカバンの中から聞こえてきた。
感覚の鈍い手で携帯を取り出せば、ディスプレイには大石君の名前が浮かんでいた。


途端に泣き出しそうになって、口元を押さえる。
その間も携帯からは着信音が鳴り続けていた。
震える指で携帯を耳にあてる。


館内では出発便の案内が繰り返しコールされていた。



「はい・・」
?良かった、まだ成田にいるよね。』


「も・・帰る」



子供のように呟くと、駄目だと大石君の声が厳しくなった。



『駄目だよ、。ここで逃げてしまったら、何もしてないのと同じだ。』
「でも」


『手塚が待ってる。君を探してるよ?』



言葉の意味を飲み込むより早くに、電話の向こうから淡々と場所が告げられた。



『そこで手塚が待ってるから、早く行くこと。
 俺のお節介もココまでだからね。もうすぐ救急車が来るんだ。じゃあ。』


「待って、秀一郎!」



思わず名前を呼べば、彼が息をのむ気配がした。


沈黙は僅かな時間。
すぐに彼は穏やかな声で二度目の別れを告げてきた。



『さよならだ、
 君に呼ばれる名前、好きだったよ。できればずっと呼んで欲しかった。
 だけど絡まった運命も丁寧に解いていけば一本に繋がってしまう。
 繋がった先が俺でなくても、君には幸せになって欲しい。
 手塚の傍で笑っている君を見るのが俺は大好きだったんだ。
 もう一度と願ってしまうのは俺だけじゃない。
 だから行くんだ。行って、ちゃんと手塚に言ってやれ。
 ただ傍にいて欲しいと言ってやればいい。』



ウン。



頷けば、彼は私の姿が見えているかのように笑った。










時間を逆戻しするように、手塚君がいたフロアに向かっていく。
私を待っていてくれるのは大石君に頼まれたからだろうことは推測できた。
彼は手塚君の隣に立つ美しい人を知らないから。


でも、いい。
さっき挫けた気持ちだったけれど、今は大丈夫。
心は竦んで怖がるけれど、秀一郎の抱えてきた痛みに比べれば何でもない。
今度こそ本当に手塚君を失うことになっても後悔しない。



エスカレーターを昇っていけば、段々とフロアーが見えてくる。
その先に私の姿を捉えている漆黒の瞳が現れた。



駆け上がることもできず、じっと自動で運ばれていくのを待つ。
視線を合わせたまま、お互いが黙って近づいていった。



ざわめくフロア内に私たちは向かい合って立つ。
こうやって真っ直ぐに見つめ合うのは、再会してから初めてだったかもしれない。



「ごめんなさい。時間は・・大丈夫?」
「気にしなくていい。」



会話が続かないのに視線が外せない。
あなたの深い色の瞳を見ていると今でも嘘はつけないと思ってしまう。
だから心を隠す時にはいつも視線を逸らしていたけれど、今日は必要ない。



「手塚君」
「ああ」


「私・・・ずっと傍にいたかった。」



手塚君は黙っている。
驚いているのか、困っているのか、彼の表情が動かないから分からない。


ただ視線だけは合わせられたまま


もう一言を





「あなたに傍にいて欲しい。」





唇が震えたのが自分でも分かった。
それは数秒だったろうか、私には酷く長く感じた時間だったけれど刹那だったのだろう。



彼が手にしていたチケットが舞うように落ちていくのを見た。
見たと思った時には大きな胸に抱きすくめられて、一瞬は息ができなかった。



「すまない」



胸から直接響いてきた低い声に、ああ・・・と思う。
覚悟はしていたが瞳の奥が熱くなるのを感じて、頭を横に振った。


手塚君は悪くない、謝って貰うことじゃない。
言いたいのに、声を出せば泣き声になってしまいそうだ。



「向こうで世話になった人の容態が悪いんだ。
 息子のように可愛がってもらった人だから、最期まで付き添いたいと思っている。だが・・・」



急に腕の拘束が緩んだと思ったら、両手で頬を包まれ顔を上に向けられる。
その手の大きさと温もりに戸惑う私を漆黒の瞳が見つめていた。



「必ずお前のもとに戻る。戻るから、今度は待っていてくれ。」



私の目は驚きに見開かれた。
同時に溢れそうだった涙が頬に零れたのだが、拭う余裕もない。
今度は待てと手塚君が言ったのだ。



「い・・いいの?」
「日本でやっていくのは決めていたことだ。」


「そうじゃなくて。その・・・向こうに恋人とか。」


「恋人がいて待ってくれとは言えないだろう?
 それよりお前だ。俺でいいのか?
 本当に大石はいいのか?


 考え直すなら今しかない。
 そうでないと、きっと俺は二度とお前を放せない。」





胸の内を吐き出したような手塚君の言葉だった。


どこで擦れ違っていたんだろう。
思えばお互いが口に出して問うこともできずに想いだけを募らせていた。
臆病者の愚かさだったけれど、大事な想いだからこそ私たちは必死だった。



手塚君は首を傾けるようにして、私の頬を親指で撫でる。
その感触に身を震わせた私の前で、親指についた涙の雫を口に運んだ手塚君がいた。



「泣かないでくれ。お前に泣かれると、俺はどうしていいのか分からなくなる。」





ただ笑っていて欲しい、そう願って別れたのに
傍にお前の笑顔がないことが酷く辛くて
そして、気づいた


俺が守りたかった笑顔は
俺の隣だけにある、お前の笑顔だったんだ











空は青い。


風は南風で、私の身長より高くなった向日葵の蕾を揺らしている。
明日には開くであろう花を想像すると自然と笑顔になった。


私のもとに手塚君が帰ってくる。


空港で会った美しい人と共に帰国することが数日前に知らされてきていた。
彼女はずっと手塚君を支えてきた大事なスタッフの一人だと紹介されている。



『あなたが国光の忘れられない恋人なのね!』



そう言って彼女に抱きしめられた私は自分の思い込みが恥ずかしくて顔があげられなかった。
思い悩む彼の相談相手となり、考えるより行動しろと背中を押してくれたのも彼女だった。



『お前の話をすると表情が緩むと、さっきも散々からかわれて困っていたんだ。』



少し照れの混じった手塚君の笑顔が愛しかった。










  久しぶりだね。元気?
  俺は今、神戸。学会に出席してるんだけど、当直明けで眠いったら。
  それはそうと手塚が帰ってくるんだってね。俺にも連絡くれたよ。
  感謝してるとかって、何やらお土産まで買ってきてくれるらしい。
  まぁ成田に電話した時には色々とアドバイスしてやったからね、少しぐらいいいかな。  
  あの時の手塚の驚きっぷりをいつか本人の目の前で君に披露してやりたいと思うよ。


  そのうちに三人で会えたらいいなと思う。
  いつか三人がわだかまりなく笑える日が来たら。
  本当に、いつか。遠くない未来に、きっとね。


  君がいつも笑顔であるように祈ってる。










大石君らしいメールだった。


あなたの幸せを私も願っている。
強く優しい心に寄り添える誰かが、あなたの傍で微笑んでくれることを。





空を見上げれば銀色の飛行機が白い雲の尾を引きながら飛んでいた。
髪を撫でていく風は夏の香りがする。


花信風が花を咲かせるのと同じように、帰ってくる恋人も私の心に花を咲かせる唯一の人。





帰ってきたら、とびきりの笑顔で彼を迎えよう。




















花信風 

2008/05/05 完結




















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