花信風 6











失われていく命に対する畏敬の念なのだと言った。


未来があると思うから傷つくことを恐れる。
安易な方へと流れてしまう。


だけど先のない命だったなら?
それでも最期の一秒まで人は精一杯生きる。


なら俺たちは恐れてはいけないと、そう思うんだ。





医師である元の恋人は、その強い心で私の背を押した。





この想いをどう伝えればいいのだろう。


あの頃みたいに『好き』と無邪気に言える歳ではないし、『付き合ってください』も違う気がする。
付き合いたいのかと訊かれれば、よく分からない。
手塚君と映画に行ったり、買い物に行くことなど想像できないし、そんなことを望んでいるわけでもない。


ただ心を私に向けて欲しいと願う。
彼の瞳に映っていたい。
ただ傍にいたい。
高校生の私たちが・・・そうだったように。


どこに遊び行くわけでもなく、ただ傍にいて視線を交わし温もりに触れた。
あの優しい時間が愛しくて、いつまでたったも私の心を放さないから。










日々は過ぎていく。


中間試験の準備があったり、テニス部も三年生が最後の夏に向けて始動していた。
一日はあっという間に終わり、随分と遅くに帰宅しては携帯を見つめる毎日が続く。
会いたいと言ってくれた手塚君からの連絡はなく、あの日に出来なかった返事を後悔してばかりだ。


これでは今までの私と同じ。
そんな焦りを感じ始めた頃、片山君から留学についての報告を受けた。



ステイ先やスクールがある程度は決まったこと。
もうひとつは手塚君がアメリカに戻ってしまうという話だった。



「渡米って、一時的に?」
「それが何か向こうであったみたいで、詳しくは分からないんです。
 マネージャーさんみたいなアメリカ人の女性がいるんですけど、その人と一緒に戻るって。」


「戻る?」



戻るという言葉に動揺を見せた私に、片山君が困ったような表情で続けた。



「明日って言うんだから急ですよね。
 おまけに次はいつ帰国できるか分からないって。
 それでも俺のことはキチンとするからって約束してくれたし、渡米する分には心強くていいんですけど。」



彼にとってアメリカは『行く国』ではなくて、『戻る場所』だということに少なからずショックを受けた。


手塚君がいなくなってしまう。
また手の届かない遠いところへ帰ってしまう。



「片山君、明日って何時に行くか訊いた?」



気付いた時には勝手に口が動いていた。










成田へ向かう電車の中、車窓の風景さえ頭に入らない私は携帯を開いていた。
偶然にも飛行機は午前の便だった。
今日は休日のうえに部活は午後からで、この偶然が私を逃がさない運命のように思える。



『今ね、成田に向かっている。
 何を言っていいのか、自分がどうしたいのかも分からない。
 成田行きのキップを買う時、手が震えて小銭を落としてしまった。
 とにかく会わなくちゃ。そればかりなんだけど、その先がなくて困ってる。』



メールの送信ボタンを押してから、急に恥ずかしくなって中止を押す。
しかし僅かな逡巡の間にメールはキャンセルされずに送信されてしまった。



また大石君に頼ろうとするなんて。馬鹿だ、私。



『ゴメン、また甘えてしまった。大丈夫。ちゃんとする。』



大石君からの返事は来なかった。
休日など関係ない仕事なのだから忙しいのだろう。
携帯を強く握りながら彼がくれた言葉を思い出す。



もう次はないかもしれない。
恐れずに行くのは無理だけど、私は行こう。
明日はもう・・彼に会えないのだから。


大きく息を吐くと、やっと窓の外の風景を見ることができた。
広がる緑に心が緩む。


今日も風は花を誘っているのだろうかと、ふと思った。





久しぶりに訪れた成田は広くて、上ばかりを見て歩く。
手塚君を探し出すのは奇跡ではないかと思えるほどの広さと人に絶望的な気持ちになりつつ、
片山君がうる覚えだけどと教えてくれた情報を頼りに探した。


確実な搭乗時刻と飛行機が分かっているわけじゃない。
手塚君に電話して聞けば早いのに、それが出来なかった臆病者。
偶然に賭けるようなことをして、大石君に叱られそうだ。


目当てを付けたロビーで探していると、背中で「手塚」という言葉を聞いた。
思わず振り返ると、二人連れの若い女性がお互いの携帯を覗きあって騒いでいる。



「やった〜、写真とっちゃった!」
「横顔、綺麗に撮れてる。あ〜あ、握手して欲しかったなぁ。」


「なんかそんな雰囲気じゃなかったよね?」



慌てて彼女たちが歩いてきた方向を確認すれば、直ぐ近くに黒髪の人が背を向けて立っていた。
見間違うはずがない、ずっと追いかけてきた背中。



一歩、二歩と足が手塚君に向かう。
鼓動が喉の奥で打ち始めると迷いは消えて、引き寄せられるように足が動いた。



「隣にあんな綺麗な人が立ってたら声掛けられないよ。恋人かな?」



聞こえた言葉に足が止まった。
手塚君の背中しか見えていなかった私は、彼の脇に立っている女性が視界に入っていなかった。
美しいその人は手塚君にチケットを渡しながら何事か話しかけている。


手塚君が彼女の方を向き、やっと彼の横顔が見えた。
まるで雑誌から切り抜いてきたかのようにバランスのとれた二人。


目の前で手塚君が僅かに微笑んだ。





音が消え、膝が震えた。



















花信風 6 

2008/05/04




















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