片恋 最終章
ガラガラと引き戸の音がして、本から顔をあげた店主は出かかった言葉を飲み込んだ。
パタンと手にしていた本を閉じると、カウンターの下から木の札を取り出して立ち上がる。
の肩をポンと叩くと
「カウンターの椅子にお座り。今日はもう、店じまいだ。」
そういって、表に『臨時休業』という札をぶら下げてしまった。
のろのろとカウンターの椅子に座ったの姿に、小さな溜息を落とし。
「あったかいココアを淹れてこよう。」
言い残して奥へ入っていった。
の顔は明らかに、さっきまで泣いていた顔だ。
何があったかまでは分からなくても、彼女が泣きじゃくるような出来事が起こったということだ。
店主は孫のように可愛がっている彼女の話を、ゆっくり聞いてやるつもりで湯を沸かし始めた。
カチカチカチ・・・と時計の音だけが響く店内で、は俯いて座っていた。
ここへ来るまでに、なんとか流れる涙は止めてきたものの。
何かあったことなど一目瞭然の姿だろう。
だが、このまま家に帰るよりは、店にきたかった。
温かい店主と本の匂いに慰められたかったのかもしれない。
心配をかけると分かっていながら、足は自然と本屋に向かっていた。
『大石が好きだったんだな。・・・それならそうと早く言ってくれれば、大石に伝えてやったが?』
初めて聞く、冷たい声だった。
手塚に、大石が好きなのだと誤解された。それも悲しかったが。
『大石に伝えてやったが?』その言葉は聞きたくなかった。
告白せずとも失恋したようなものだ。
友達との仲をとりもってやる・・・と言われたのだ。
自分は手塚の恋愛対象には、なっていない。
そんなこと始めから分かっていたことなのに。
彼が優しくしてくれるから、心のどこかで期待していた。
それがどんなに馬鹿げた自惚れであったのか思い知らされたのだ。
おまけに感情的になって『違うっ!』と叫んで逃げてきてしまった。
定期も彼の元に残して。
今頃、彼は呆れているだろう。
ひょっとしたら取り乱した姿に、彼に向ける気持ちも気づかれてしまったかもしれない。
私の好意など迷惑以外の何ものでもないだろうに。
本を通した繋がりも切れてしまうかもしれない。
ううん、きっと。もう二度と、あの優しい時間は戻ってこないだろう。
そう思うと悲しくて、切なくて。
また視界が涙に滲んでいく。
私という本に少しずつ残していった彼が・・・唐突に消えてしまう。
店主は丁寧にココアを入れていた。
たっぷりのミルクと砂糖も多めに入れて。
甘く、まろやかなココアを厚めのマグカップに注いで、自分の分と二つをトレイに乗せた。
涙のわけは・・・彼かな。
端正な顔をした、歳よりは大人びて見えた彼の顔を思い出す。
彼もちゃんのことを・・・と思っていたのだが、見当違いだったろうか。
まあ、とにかく話を聞いてみよう。
こんな年寄りでも、少しは彼女の役に立てるかもしれない。
考えながら、トレイを手に店へと出て行った。
『臨時休業』の札が風に揺れて、カタカタと音を立てる。
しかし店内には明かりもついて、まったく何時もと変わらない。
窓から覗いた小さな後姿。
手塚は迷いもなく、引き戸に手をかけた。
「ちゃん、ココアだよ。」
「失礼します。」
店主の声と引き戸が開く音、そして手塚の声が同時だった。
顔をあげて振り向いた。
の顔を見て、眉根を寄せた手塚。
そんな二人を見て、ホッ・・と息を吐いた店主。
「いらっしゃい。さあ、どうぞ。入って。」
「・・・すみません。臨時休業とあるのに。」
「いいんだよ。ほら、ちょうど良かった。ココアを入れたから、二人で飲むといい。」
店主はトレイをカウンターに置くと、読みかけの本を手にした。
縋るような瞳で自分を見つめてくるに微笑んで頷いてみせると。
「奥にいるからね。大丈夫、勇気を出して。」
そう囁いて、の前にある椅子を手塚に勧めた。
手塚は店主に深々と頭を下げてから、ゆっくりとの前に座った。
店主が奥の部屋に引っ込んでしまっても、しばらく二人に言葉はなかった。
は口元にハンカチをあてたまま俯いている。
彼女の赤くなった目元が前髪の間から見えて、手塚は胸が締め付けられる思いがした。
このまま黙っていても仕方がない。
彼女の本当の心が知りたい。
手塚は心を決めて、ポケットから定期入れを出してきた。
の前に差し出して「」と名を呼べば、彼女の肩が目に見えてビクッとする。
「さっきは・・・すまなかった。を泣かせてしまったな。」
いつもの柔らかな手塚の声に、ほんの少しが顔をあげた。
「この・・・写真のことなのだが。が想っているのは誰なのか聞かせて欲しい。」
目を見開く。
手塚は、大石と自分。どちらを想っているのかと聞いてきている。
本人を目の前に『あなた』だと?
は自分の唇が震えるのが分かった。
真っ直ぐにを見つめていた手塚が、フッ・・・と表情を緩めた。
「ずるい・・・聞き方だったな。悪かった。俺の気持ちを先に言う。
俺は、・・・が、好きだ。」
言葉も出ない。瞬きも忘れて手塚の顔を見つめる。
ハンカチを握る指先も震えてきた。
好き?誰が?誰を? 嘘。
「だから聞かせて欲しい。が誰を想っているのか。
もしも・・・大石だと言うのなら。その時は・・・」
「違う。・・・違うの。」
「聞かせてくれ。何が違うのか。俺に・・・聞かせてくれ。」
「私が好きなのは・・・」
手塚は息を呑んだ。
呼吸を止めて、の言葉を待つ。
本当に言っていい?私は・・・私が好きなのは。
「て・・づか・くん、なの。」
数秒の沈黙後。
手塚は止めていた息を吐き出して、そのままガックリと俯いた。
体中の力が抜けていくような感じだった。
は感極まってポロポロと涙を流す。
手塚は俯いたまま、赤い定期入れに納まった小さな自分の横顔を見つめて笑った。
緊張が解けて、替わって体の中に満ちてくる高揚感。
自分の片想いは。彼女の片想いでもあった。
可笑しくて、嬉しくて。手塚は、肩を揺らして笑った。
目の前で笑い出した手塚に、は涙を零しながら呆気に取られる。
「ああ、すまない。・・・嬉しくて。」
「手塚くん。」
「。まだ、傷の手当てをしてもらってないんだ。頼む。」
手塚は笑いを耐えたまま、定期の上に絆創膏を乗せると再びの前に差し出してきた。
は、まだ夢を見ているような気持ちで定期を受け取ると、大切にポケットへ仕舞う。
それから、目の前に出された彼の人差し指に絆創膏を張るべく紙をはいだ。
じっと手塚が見つめてくるから緊張する。
吐息さえ感じられる距離が信じられない。
それでも、ぎこちなくだが彼の指を丁寧に絆創膏で包むことができた。
ほっとして離そうとした右手を手塚が突然ギュッと掴んだ。
は咄嗟に右手を引いたけれど、手塚は離さない。
絆創膏の巻かれた人差し指が、の小さな手の甲を包んでいる。
泣きそうな顔で自分を見上げてくるに。
手塚は想いを込めて、再び告げた。
「好きだ」と。
また泣き出してしまったと不器用に彼女の肩を抱き寄せる手塚。
二人の優しい時間は、また動き出す。
甘いココアの湯気が、ゆったりと昇っていた。
「」
「手塚君」
夕闇が迫った窓の外を見ていたが振り返ると、ラケットバッグを背負った手塚が歩いてきた。
「待たせたな」
「ううん。思ったより早かったよ。」
「クリスマスイブぐらい早く切り上げて、さっさと行けと言われた。おせっかいな部員が多くて困る。」
「よかったのに。待つのは平気。」
その言葉に手塚がポンポンと軽く彼女の頭を撫でると、は恥ずかしそうに肩をすくめて微笑む。
クリスマスを初めて二人で過ごす。
まだ待ち合わせをした図書室で顔をあわせただけなのに、
心の中に満ちてくる幸せは溢れるほどだ。
「雪が降りそうだったぞ」
「うん。私も、そう思って・・・外を見てた」
図書室の奥。
それは手塚がの本を取ってやった場所の窓際で、は雲の広がる空を見上げた。
後ろから不意に伸びてきた手。
の体を挟んで左右に伸び、窓枠に節のある長い指がかけられる。
背中にふんわりと寄せられる手塚の体には驚いた。
慌てて顔を向ける。
「てっ、手塚君っ」
「ん?ああ、もう降るな。」
焦るをよそに、彼は楽しそうにの横に顔を並べて空を見上げている。
背中から抱きしめられているような、いたたまれない体勢から体の向きを変えて
腕の中から逃げ出そうとするが、彼の両手はの体を挟んで左右に置かれたまま。
向きを変えてしまっては真正面が手塚の胸になってしまい、尚更困った体勢になってしまった。
「手塚君。あのっ」
この体勢を何とかして、と続くはずだった言葉。
彼に訴えようと顔をあげたに落ちてくる影は。
静かに。
柔らかく。
重なっていった。
『メリークリスマス、』の囁きと共に。
「片恋」
2005.03.30
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