君の幸せ、僕の幸せ 〜後編〜
『大石君。今まで、ずっと・・・ありがとう』
小さなブーケを手にした君が手塚の隣で微笑んでいた。
俺が今まで見てきた君の笑顔の中でも最高に幸せそうな・・・
手にした花のように美しい笑顔だったんだ。
パーティーからの帰り道。
空に浮かぶ銀色の星を見て思う。
の幸せな笑顔を俺は見たことがあっただろうか。
俺が言うのもなんだが、には幸せになってほしいと願っている。
そう考えると俺の存在は邪魔なんだろう。
ましてや他の誰かと結婚するのなら、尚更。
分かっていて心のうちに淀む怒りとも呼べる感情に戸惑っている。
どうして結婚?
結婚までしようとする恋人がいながら、俺を受け入れ続けてきたのは何故だ?
そんな器用なことができる女だったとは思いもしなかった。
好きな人がいて手を伸ばした自分を棚に上げてと頭で理解していても感情がついていかない。
長く想い続けてきた友達の恋人と関係に名前もつけず長く傍にいた。
こんがらがった気持ちは自分にも分らずに、ただどうしようもなく苦しくて息が辛い。
どうして?
そればかりが繰り返し浮かんでは消える。
の家へと向かう広い通りの前で足が止まった。
ここを曲れば見慣れた家並みが待っている。
暫し息を止め、俺は通りに背を向けた。
数日たって、からメールが来た。
学会でカナダに来ているのだと、美しい並木路の写真が添付されていた。
結婚のことなど一言も記されずに、学会のテーマや旅先でのエピソードが簡単に語られ、
最後には俺を気遣う言葉がさりげなく書かれている。
いつもなら直ぐに返信をする俺だけど、言葉を探せずにパソコンの画面を見つめていた。
直接聞いたわけでもないのに結婚の話題を出すのは躊躇われ、
それでいて何も知らないフリで普段通りの返信をするのは苦痛だった。
恋人だったわけじゃない。
が誰かを選んでも仕方ないし、それで寂しがるのも勝手なことだ。
独りになるだけじゃないか。
そう思って、愕然とする。
今まで独りじゃないと思っていたのか。
どんなに辛くても、がいるから独りじゃないと。
確かに彼女は傍にいた。
それも俺が耐えられないような痛みや孤独を感じた時ほど、傍に。
俺が手塚の彼女を想い続けてこられたのも、ある意味・・・がいてくれたからじゃないのか?
気付けば、の存在は大きくて。
俺はディスプレイだけが光る暗い部屋で頭を抱えた。
『大石ぃ、元気?いま、大丈夫?』
「エージ?ゴメン、これから出るところなんだ。」
上着に袖を通しながら携帯を顎に挟んで話す。
この夜に病棟から呼び出しを受けたせいだ。
『ひょっとして、これから仕事?お医者さんって大変だぁ。』
「呼ばれれば行くのが仕事さ。急ぎの用件?じゃなければ、あとでかけ直すよ。」
『えっとね、時間は午前11時。場所は・・』
エージが都内にあるホテルの名前を口にした。
意味が分からず問い直すより先に、肝心なことを最後に口にしたエージ。
『そこで結婚式だって、明日だよ。不二が直接確かめたんだから、間違いない。』
誰の・・と訊こうとしたけれど声が出ない。
息をのむ俺を気遣うようにエージの言葉は続く。
『さ、好きでもない男と結婚するんだって不二が言ってた。』
「なんでそんなこと・・・」
『大石が応えてやらないからじゃないか!』
エージが俺との関係を知っているとは思ってもいなかった。
声を荒げたエージが一呼吸置いて、小さく息を吐く。
『ゴメン。俺・・・手塚のことも、なんにも気付かなくて。
大石のコト、誰より知ってるつもりでいたのに・・・馬鹿みたいだ。』
「違うんだ、エージ」
『違ってないよ。不二が全部を知ってるの、すごく悔しかった。
けど大石の背中を押してやれるのは俺だけだって言われて、そうだとも思った。
俺ね、高校の頃・・・が好きだったんだ。』
「え?」
そんなこと知らなかった。
言葉を失う俺の耳に、楽しそうな笑い声が響いてくる。
『告白する前にフラれたんだ。
昼休みの屋上でさ、ずっと好きな人がいるんだって言われた。
と俺たちって仲良かったじゃん?だから大石にも言えなくてさ。
でもやっぱりの好きな人が気になって、じっと観察してたんだ。
直ぐにわかったよ。
が大石の話をする時の顔って、すごく嬉しそうな可愛い笑顔だったから。
不二が言ってた。は、ずっと大石の傍にいたんだよって。
きっと俺なんかより、もっと辛かったんだ。
大石より、もっともっと苦しかったはずだよ?
だからさ、早く仕事に行って、さっさと済ませて、それでのとこへ行ってやってよ。
そんだけ。じゃあね、また!』
「エージ、待って」
俺の言葉を聞かず、電話は切られた。
不二は全てを知っていた。
そしてエージの言葉には逆らえない俺のことも分かっている。
携帯をポケットに収め、靴を履く。
冷たい車のキーを握りしめ、玄関の明かりを消すと暗い玄関のドアを見つめた。
エージの言葉が頭の中で繰り返されている。
それを噛みしめながら玄関のドアを開き、夜の匂いがする空気を肺に吸い込んだ時、目が覚めたような気がした。
俺には誰が必要なのか、と。
セメントの階段を一段飛ばしで昇っていく。
あの雨の夜以来に訪れたマンションは、なにひとつ変わらずに俺を迎え入れた。
ここで一分一秒を焦ったところで何がどう変わるものでもないと知っていて、俺は急いでいる。
患者を診ている医師の間だけは冷静だったのが幸いだ。
病院から彼女の部屋の扉まで二十分ちょっと。
深夜とはいえ、驚異的な早さだと苦笑いして息を整えた。
扉の向こうに、俺を愛してくれた人がいる。
その愛に今まで何一つ応えられず、傷つけてゴメンと謝りたいんだ。
婚約者がいたら、どうしよう。
恐れは俺の指を強張らせる。それでも顔を見て謝りたい。
いや、それは口実だ。できることなら奪い返したい。
ないがしろにしてきたくせに、よく言う。
それでも今の俺は、のことでイッパイなんだ。
思い切って、インターフォンを押した。
答えるまでの数秒が酷く長い。
『はい?』
「俺」
『大石クン?』
変わらない君の声。
すぐにインターフォンは切られて、部屋の奥から音がする。
ロックを外す音がして、開いていくドアから部屋着姿の君が顔を出した。
「久しぶり。どうしたの?こんな夜遅くに」
君が瞳を細めて微笑んだ。
ああ。君はこうやって、いつも俺を迎えてくれていたんだね。
嫌がるふうでもなく当然のように「入って」と微笑む君に、胸の奥から愛しさが湧いてきた。
「結婚しないでくれ」
玄関先で、考えるより先に言葉が飛び出ていた。
は目を丸くして、結婚って・・・と小さく呟く。
「不二とエージから訊いたんだ、君が結婚するって。
だからって俺が止められるような立場じゃないのは分かっている。
分かっているけど、俺は嫌なんだ。
君が・・君が俺以外の誰かのものになるなんて、たまらなく嫌なんだ!」
化粧っ気もないの白い唇が震え、荒れた細い指が口元を押さえる。
見る間に瞳へ涙を湛えた君が困ったように首を傾けた。
「大石クン、騙されてる。不二君は知ってるはずよ。
結婚するのは私の妹で、私じゃない。
私は・・・ずっと待っている人がいるから、結婚なんてしない。」
「嘘・・だろ」
俺は間抜けな声を出し、そのまま膝を床につきそうな脱力感に襲われる。
それでもが泣き笑いで俺を見ているのが愛しくて、痺れたような自分の手を彼女に伸ばした。
ひき寄せれば簡単に抱ける彼女のからだ。
いつもと同じ洗った髪の香りが酷く懐かしいんだ。
こんなにも近くに俺の求めていた人はいたのに。
「ゴメン。俺・・・本当にゴメン・・」
「謝らないで。私はただ待っていただけ。
あなたが好きだから、いくらでも待っていられた。」
それでも待たせすぎだろう?
遅くなって、ゴメン。
これからは俺が君を愛していくよ。
そう告げれば、腕の中でが幸せそうに微笑んだ。
俺が咲かせた幸せの花だ。
君の幸せ、僕の幸せ 後編
2008/05/19
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