見初められたら諦めましょう 1
出張に向かう空港で珍しい人に声をかけられた。
「久しぶりじゃねぇの」
バランスのいい長身に黒のコートをまとった男は、外国映画の諜報員みたいだ。
整った顔はしているが女性ぽくはなく、意志の強い瞳と皮肉っぽく歪んだ口元は相変わらず。
会うのは四、五年ぶりだ。
「なんだ跡部じゃない。仕事?」
「まぁな。お前は?」
ちらりと私の隣に立つ後輩の女の子に視線を流す。
あっという間に彼女の頬は赤くなり、夢を見るような目で跡部を見ていた。
小さく息を吐き、「九州に取材」と答える。
「忙しいのか?」
「跡部ほどじゃないとは思うけど、ほどほどに」
跡部の後ろには見るからに仕事のできそうな男が影のように控えている。
若くして企業の上層部で働く男の秘書か何かだろう。
「俺は札幌だ」
「西と東ね」
それぞれが日本の端に行くのが面白くて、つい笑ってしまった。
跡部もつられたように笑ってから、思いついたようにコートの胸に手を入れる。
出してきたのは名刺で、それに何かさらさらと書き込む。
ほらよと渡された名刺には手書きの数字が並んでいた。
なに、これ。
疑問が顔に出ていたのだろう。
胸に名刺入れを戻す跡部が小さく笑った。
「プライベートで使ってる俺の携帯の番号だ。帰ってきたら、電話しろよ」
電話って・・・なにか跡部に電話する用ってあったっけか。
名刺を手に考えたところで、私たちが搭乗する便の案内がアナウンスされた。
「もう行かなきゃ」
「ああ。気をつけてな」
「そっちもね。じゃあ」
「ああ」
軽く手をあげた跡部に別れを告げ、私たちは搭乗口に向かう。
もらった名刺を無造作に手帳に挟んでいると後輩が興奮した様子で訊いてきた。
「あ、あの人、誰ですか?友だち?まさか、元カレですか」
「高校の同級生」
跡部の名前は知らなくても、彼の一族が経営する企業のグループ名は誰もが知っているだろう。
それを告げると、彼女は更に瞳を輝かせた。
「知ってますよ。有名なとこですよね」
「そこの創業者の直系、御曹司よ」
「ええっ!それって、すごい人じゃないですか」
「まあ、すごいったらすごいのかな。跡部はピカピカに輝くベンツで登校してたからね」
「ひ〜、そんなお金持ちが行く学校に通ってたんですか?さん、お嬢様だったんですね」
「なに言ってんの。うちの親は公務員。私は特待生だったから」
「へぇ。頭よかったんだぁ」
そう言われると悪い気はしないけど、我が家の経済力では行けない学校だったのよ。
「あの人、独身ですか?」
「そうじゃない?結婚したとは聞いてないけど」
「じゃあ、玉の輿が狙えますね」
瞳をキラキラさせて、後輩が言う。
玉の輿ねぇ。苦労するために結婚するようなものだと思うけど。
「言っとくけど、跡部と付きあうのって大変だと思うよ?」
「さんより?」
悪気もなさそうな様子で聞かれ、今晩は美味しいものでも奢ってやろうかと思っていたけどやめた。
そう大きくはない出版社だ。
今の私は女性をターゲットにしたファッションやコスメを中心にした雑誌を作っている。
といっても、それだけで売れるわけもなく。
読者が買いたくなるような付録も作らなくてはならないし、今回のように旅特集の取材にも行く。
美肌に良いとか、秘湯とか、女性が好みそうな所なら西へ東への日々だ。
九州から戻った後は『女友達と行く秘湯』の原稿を仕上げるべく、デスクにかじりついていた。
その合間にバレンタインデーに向けた企画の打ち合わせもあり、とにかく忙しい。
女ばかりの職場には色々なスタッフが持ち込んできた飲み物が豊富にある。
へとへとになって僅かな休憩にカフェラテをすすっていたら、共に取材旅行をした後輩が隣に座った。
「さん、例の御曹司に電話しました?」
「御曹司?ああ、跡部ね。忘れてた」
そういえば携帯の電話番号をもらったっけ。
あれはどこにやったかなと思い出していると、隣で後輩が「信じられない」と目を丸くしている。
「あんなにイケメンでお金持ちの電話番号ですよ?だからホテルで電話したらって言ったのに」
「すっかり忘れてた」
何故か悔しがっている後輩が、今からでも遅くないから電話しろと急きたてる。
電話しても、こっちには話すことがないけど。
「なに言ってるんですか。むこうにはあるから番号を教えてくれたんでしょ?」
「そうかな。もし、同窓会の幹事をやれとか言われたら嫌だな」
「そんなことのためにプライベートな方の番号を教えます?」
「さぁ。跡部の考えてることなんて、昔から分からないなぁ」
マイカップを両手で包み首をかしげると、後輩が嫌そうな顔で溜息をついた。
「さんて頭はいいけど、ボケですね」
それは昔、誰かにも言われたようなセリフだった。
見初められたら諦めましょう 1
2012/12/22
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