お慕いしております 〜幸村・切原編〜 壱
これといった急ぎの用もないで、ふらふらと城内を歩いていた。
口うるさい真田になど見つかった日には、嫌な雑用を押しつけられるに決まっている。
赤也は人に見つからぬよう注意しながら、馬屋のほうにまで歩いてきた。
そこには馬番の人間がいるが、赤也に用事をいいつけるようなことはない。
ちょいと時間つぶしに喋っていくかと近づけば、遠目にも肌色の違う男が木陰で握り飯を食べていた。
「あんた、そこで何してんすか」
「うわっ」
背後から気配を消して声をかければ、相手は思ったとおりの反応を見せた。
危うく手にした握り飯を落としそうなほど驚いた男はジャッカルといい、異国との交渉事に携わっている。
彼は浅黒い肌とハッキリとした目鼻立ちをしており、知らぬ者から見たら完全な異国人だ。
実は日本生まれの日本育ちで、容姿の異なる自分を取り立ててくれた立海に対する忠誠心は厚い。
「なんだ、お前か。驚かせるなよ」
「ちょっと!それ・・・まさか」
また握り飯に食いつこうとしていたジャッカルの腕を赤也が横から掴んだ。
「おいっ、落っこちるだろ」
「その握り飯は」
「ん?ああ。さっき、御方様が」
最後まで聞かず、赤也はジャッカルの腕を掴んだまま、食いかけの握り飯に食らいついた。
何するんだと喚くジャッカルを無視して、彼の親指も噛んでしまったが気にしない。
「ああ、うまかった。で、御方様はどっち?」
「お前なぁ」
「もう残ってないかな。食ってないからって、特別に握ってもらうのもいいか」
ジャッカルの恨みがましい視線など気にもせず、握り飯を飲み込んだ赤也が笑みをこぼす。
度を過ぎた赤也の御方様贔屓に、ジャッカルは指先に残った米粒を拾いつつ溜息をついた。
立海の城主である幸村には正室しかいない。
大国を治める身では側室を持たない事のほうが珍しく、それだけ正室への寵愛が深かった。
正室であるは大きな国の出身ではないが、凛とした美しさと知性があり、かつ気どらない性格。
綺麗な着物を纏い飾られているだけの正室ではなく、身軽に動き、城で働く者たちにも心を配る。
厨で米を炊く下女の名前まで知っている大国の正室など、そうはいないだろう。
「これは書庫の整理を手伝ったものに振る舞われたものだ。赤也は逃げただろ」
「げっ、あれか。柳さんの仕事は容赦ないから嫌だったんだよなぁ」
「そうだ。容赦なく扱き使われたからこそ、御方様の握り飯が食えたんだ」
語調を強くして訴えたジャッカルだったが、赤也は聞いてない。
御方様の握り飯つきだと知ってたら手伝ったのにとブツブツ呟いている。
奥に引っこんでいる性質ではないとはいえ、やはり殿の御正室だ。
そうそう顔を合わせる用があるでなし、ましてや手ずから握った握り飯が食べられる機会など僅かなものなのだ。
「あ〜、失敗した」
「いいじゃないか。俺のを食ったんだし」
「そういう問題じゃないっすよ。俺は御方様に会いたかったの」
「元気そうだったぞ」
「だ、か、ら、そういう問題じゃないって」
じゃあ、どういう問題だよ。俺の貴重な握り飯は大問題だ。
心の中で罵りつつも、言うだけ疲れるので口をつぐんだジャッカルだった。
もしかしたらと厨の裏口に行くと、柔らかな声が漏れ聞こえてきていた。
何かを作った後は片づけもする。そんな人柄だから、城の者は城主の妻を慕う。
そろっと裏戸を引けば、下の者たちと笑いながら台所に立つ姿があった。
多くの女たちが立ち働く中にあって、彼女の凛とした横顔は美しく輝いている。
あの黒髪からは優しい花のような香りがするはずだ。
近く話す時、その香りを感じるたびに赤也の胸は高鳴った。
気が短く、乱暴者、扱いかねると言われ続けてきた赤也に、
あなたには良いところが沢山ありますよと指を折って数えてくれた。
皆が厳しく叱るのは、あなたに期待しているからなのだとも教えてくれた。
だから赤也は御方様が好きになった。
幸村に嫉妬してしまうほどに。
こんな場所から声をかけるなど、よくないことは重々承知。
それでも話したいという誘惑には勝てず、声を発しようと口を開いた時だ。
「ぐえっ」
蛙を潰したような声が出て、体が傾く。
後ろ襟を力いっぱい引っ張られて息の詰まった赤也は、咳きこみながら背後を確認しようとした。
「たわけが!働きもせず、こそこそと」
その声に振り向かなくても相手が誰か分かった赤也は、がっくりとうなだれた。
覗き見に夢中だったとはいえ、気配もなく背後を取られたわけだ。
己の失態に舌打ちすれば、容赦ない真田の拳骨が落ちてきた。
カンカンと木刀の打ち合う音がする。
不機嫌な真田の後について歩いていた赤也が、弾かれたように顔を上げた。
「お前のせいで蓮二に楽しみを奪われたな」
眉根を寄せた真田の言葉で、赤也は誰と誰が打ち合っているのかが分かり足が速くなる。
真田に続いて執務室に面した庭に出ると、やはり幸村と柳が木刀を手に向き合っていた。
赤也たちの姿に気づいた柳が木刀を構えたまま笑みを浮かべる。
「さすが、弦一郎。赤也を探すことにかけては天才的だな」
「お前は楽しそうでいいな」
世に名を轟かす幸村の相手を誰でもができるわけではない。
他国から剣豪として恐れられる真田でさえ、幸村と剣を交えるのは特別なことだ。
「殿、後で私とも」
「真田が相手だと疲れるんだよなぁ」
気のない返事で木刀をおろした幸村は、落胆する真田に笑って縁に腰を下ろした。
「お呼びだったようで。お手間を取らせて申し訳ございません」
真田に引っ張られてきた赤也は、幸村の前に膝をついて頭を下げた。
まだ下っ端の赤也には居心地の悪い場所だが、ここに呼ばれたとなると何かがあるということだ。
それよりなにより、幸村と柳が打ち合うのを見たかったのにと悔しくてならない。
「用というほどのものでもないよ
ちょっと暇ができたから、皆が期待をかけている赤也の腕を見てみようかと思って」
思いもかけない言葉に、赤也は目を見開いて幸村を見た。
いつ見ても女のような優しい面立ちをして、神とも恐れられる剣の天才とは思えない。
「ほ、本当に?」
敬語も忘れて幸村に問う。
剣の腕以外に他から褒められることのない赤也にとって、強い者と戦えるのは何よりの喜びだ。
「真田にでも相手してもらうか。力があり余ってるみたいだから」
「ま、待ってください」
「なんだい?」
「俺も・・俺も殿とさせてください」
庭の砂利に頭をすりつけるようにして、赤也は深く頭を下げた。
後ろで真田が怒っているが、そんなものは耳に入らない。
こんな機会は二度とないと赤也は思った。
少し驚いた顔をした幸村だったが、次には笑みを浮かべる。
「いいだろう。怖いもの知らずは嫌いじゃないよ」
でも、その前にお茶が飲みたいな。
闘志をむき出しにする赤也に目を細め、幸村は呑気に茶を欲しがったのだった。
お慕いしております 幸村・切原編 壱
2012.09.01
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