お慕いしております 〜幸村・切原編〜 弐











落ち着かない赤也をよそに、幸村はのんびりと汗を拭っている。
そこへ茶器を運んできたのは、幸村の正室であるだった。


幸村は執務中でも、何かにつけてを呼ぶ。
茶を淹れてくれ、小腹が空いたなど、幼子のような我儘を言っては傍に呼ぼうとするのだ。
のほうは執務の邪魔になるのではと遠慮しがちなのだが、
柳たちにとっては正室がいるほうが幸村の能率が上がるので歓迎している。



「今日も暇なのですね」
「たまには暇な日もないとね」


「殿は暇そうな時が多いようですけど」
「俺には優秀な両腕がいるからね」


「柳殿、真田殿・・・ご苦労様です。御茶をどうぞ」



男兄弟ばかりの中で育ってきたは、はっきりとした物言いをする。
父親に『お前は男に生まれるべきだった』と嘆かせた姫だが、
本来は思いやり深く、他者への細やかな気遣いが自然とできる女性だ。


に労われ、側近ふたりは笑みで返した。



「赤也殿も、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」



綺麗だなぁと憧れの人を見つめていた赤也は、名を呼ばれて声が裏返った。
重臣たちと並んで腰を下ろすのも躊躇われ、どうしようかと視線を泳がせているとと視線が合う。
柔らかく微笑んだは赤也を手招きし、幸村たちと離れた縁に茶を置いてくれた。
赤也は恐縮しながらも、の元に行き腰を下ろす。


すぐそこに幸村たちがいるものの、今のは赤也の傍らにいた。



「赤也殿も殿にお付き合いですか」
「あ・・いや、俺がお願いしたというか。初めて手合せしてもらえることになりました」


「それは、楽しみですね」



緊張と高揚感を隠せない赤也に、は優しく微笑んだ。
幸村ほどの相手に手合せしてもらえる興奮は、にも少しだけ分かる。



「お、俺、頑張りますから」
「はい」



間近で美しい微笑みを向けられ、赤也は赤面しながらも益々闘志を燃やした。





一服した幸村が、やっと腰を上げる。
はやる赤也は既に木刀を握り、ギラギラとした目で幸村の姿を追う。
そんな視線を向けられても幸村は涼しい顔のまま、にこやかに真田の手から木刀を受け取った。


ふと気付けば、赤也の隣に柳が立っている。
高揚した気持ちのままに視線を向ければ、柳は小さく笑って赤也の耳元に口を寄せた。



「遠慮はするな。殺す気でいけ」



ぎょっとする赤也の肩を叩き、柳は唇に笑みを乗せたまま続ける。



「それぐらいの気持ちでなければ相手にならないということだ」



唖然とする赤也の視線は、柳から幸村に向かう。
背を向けていた線の細い幸村が、木刀を手にゆっくりと振り返った。


にっこりと微笑み、そよぐ風に黒髪を撫でられながら立つ姿に無駄な力みはない。
柔らかに木刀を構え、幸村の唇が弧を描いた。



「さぁ、やろうか」



赤也は奥歯を噛むようにして頭を下げた。
そして再び幸村に視線を向けた時、赤也は息をのむ。
柔らかな雰囲気を纏っていたはずの幸村が、瞬き一つの間に変化していた。
僅かでも意識を逸らせば負けてしまう。
肌が粟立つ様な感覚に襲われ、無意識に喉がなる。



『殺す気でやれ』   



柳に言われたことの意味が分かった時には、圧倒的な力で幸村にねじ伏せられていた。



「悪いね。俺だって、には良いところを見せたいから」



歯ぎしりする赤也に向かい、涼しい顔で幸村は合わさった木刀を押し返す。
渾身の力で向かっていくのに、その差は歴然としていた。
あの細い体のどこに、これほどの力を秘めているのか。



くそっ、化け物かよ。



唸るように呟いて隙を探すが、どこにもないのだ。
視界の隅に手合いを見守っている柳と真田、縁に座したがいる。
心配そうな色を瞳に浮かべて赤也を見ていた。



俺、かっこ悪りぃ。



実力の差に折れそうだった赤也の心に小さな火がつく。
せめて悠然とした相手に冷や汗の一つもかかせてやりたい。


細く息を吐いた赤也は、汗で滑る木刀を握りなおして構える。
ふっと力みの抜けた赤也の立ち姿を見て、幸村が微かに笑った。










青い空に木刀が弾き飛ばされていく。
その軌跡を無意識に目で追った赤也は『ああ、今日は天気がいいな』と思った。


研ぎ澄まされていた全身の感覚が緩んでくると、自身の荒い呼吸が聞こえてくる。
手のひらを見れば、汗に濡れて小刻みに震えていた。


意識せず笑みが浮かぶ。



「こら、赤也。さっさと礼をせんか」



真田の怒鳴り声で我に返り、赤也は己の手のひらから視線を上げた。
目前には呼吸ひとつ乱れていない幸村が、赤也の木刀を拾って差し出してくれている。



「あ・・ありがとうございます」



なんだよ、息さえも上がってないのか。



少々落胆しつつ木刀を受け取って頭を下げた赤也。
その癖のある赤也の黒髪を突然に幸村の手が乱暴に撫でた。


わけが分からず顔を上げた赤也の呆けた表情を見て、幸村が声を上げて笑う。



「うん。お前が真田たちに可愛がられる理由が分かった」
「は?」


「もっと可愛がられて強くなったら、また相手をしよう」



可愛がられた覚えはないが、また相手を・・・という言葉は素直に嬉しい。
赤也は瞳を輝かせ、雪辱を誓って再び頭を下げた。



、汗を拭いてくれ」



一直線に妻へ向かう幸村の背を見送り、赤也は再び己の手を見る。
その手に影が落ち、視線を上げれば笑顔の柳がいた。



「柳さん・・・」
「まだまだだな。が、悪くはない」


「俺、もっともっと強くなりたいです」



手合いの前とは違い、表情の引き締まった赤也に柳は目を細める。



「それは楽しみだ。弦一郎、赤也が稽古をつけてほしいそうだ」
「ええっ、今はちょっと」



とんでもないことを言い出した柳に赤也は慌てるが、呼ばれた真田は幸村に頭を下げて近づいてくる。



「柳さん、ひどいっす」
「書庫の整理をさぼった罰だ。弦一郎に可愛がってもらえ」



その後、幸村と手合せできなかった鬱憤を抱える真田に、散々しごかれた赤也だった。




















お慕いしております〜幸村・切原編〜 弐 

2012.09.03




















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