お慕いしております 〜幸村・切原編〜 完


















満身創痍とは、このことだ。
真田に容赦なくしごかれた赤也は重い足を引きずって歩いている。
詰所に戻って残りの仕事もしなくてはならないのだが、とても気力が持ちそうにない。
手の皮が破れてしまい、それを舐めたらヒリヒリと沁みた。



「赤也殿」



優しい声に名を呼ばれ、疲れも忘れて振り返る。



「御方様」



廊下に立つを見て、赤也は嬉々として近づいて行った。



「今日はお疲れ様でした。お腹が空いたでしょう?」



ねぎらいの笑みを浮かべたが、盆に載せた握り飯を見せた。
感激の表情と共に握り飯を見つめた赤也は、頬を染めて頭を下げる。



「ここで食ってもいいですか?詰所に持って帰ると丸井さんに食われます」
「いいですよ」



おかしそうに笑って廊下に座したの隣に、赤也も腰を下ろす。


日は傾き、あたりは茜色に変化しつつある。
鮮やかな色彩の中にの黒髪が映え、漆黒の瞳も輝いていた。
自分の美しさなど知らないだからこそ、自然な振る舞いが魅力をひきたてるのだ。



「赤也殿?」
「あ、はい。いただきます」



ぼんやりと見惚れていた赤也は慌てて握り飯を手に取った。
幸村の大好物と呼ばれる握り飯は、絶妙な塩加減だ。
かたすぎず、柔らかすぎず、ちゃんと米の甘みが感じられる握り方。
赤也にとっても、の握り飯は大好物なのだ。


腹も減っていたので、遠慮もなくガツガツと食べた。
その間もは穏やかに笑って、赤也の傍らにいてくれる。


腹も満ちてくると、昼間に圧倒的な力で捻じ伏せられた手合いを思い出してきた。
あれを始めから終わりまでに見られたのだと思うと情けない。



「あ・・あの、昼間」



言い訳にもならないが、何か言おうとした赤也の声にの声が重なった。



「よい手合いでございましたね。殿も満足そうでした」
「マジっすか?」



真田がいたら拳骨を食らいそうな物言いだが、はくすくすと笑って頷いた。



「直向きで力強い。赤也殿の性質がよく出ていました」



思いがけず褒められて、赤也は癖毛の頭をかく。



「でも・・・まったく歯がたちませんでした」
「殿は強うございますから」


「天から与えられた才には勝てないんですかね」



気が緩んで愚痴ってしまった赤也は、俯いて拳を握りしめた。
病に侵されたこともある細い体なのに、信じられないほどの力がほとばしっていた。
常に鍛えている真田たちとは違い、のんびりと執務室に座している姿が多いのに。



「確かに殿には天から与えられた才がございましょう
でも、それだけではないと思うのですよ」


「どういう意味ですか?」
「与えられた才だけで頂点に立てるほど容易いものでしょうか?」


「それは・・・」
「殿はご自分の強さも弱さも、よくお分かりですよ」



そう言って赤也を見たの顔は、やわらかな夕焼け色に染まっていた。


こんなにも美しい人に会ったことがないと、赤也は思う。
直情型だと自他とも認める赤也の口から、考えるより先に想いが零れ落ちた。



「俺は貴女が好きです」



夕日の輝きを集めていた瞳が、驚きに見開かれる。
その変化に己の失言を知り、さすがの赤也も慌てた。


相手は城の主である幸村の妻だ。
本来なら赤也など、姿を見るのも叶わない相手であるはずだ。
その人に想いをうちあけるなど、下手をしたら切腹ものであった。



「あ、俺」



うろたえる赤也の傍らで、は小さく笑みをこぼす。
ふふふ・・と袖で口元隠すと、嫌悪も見せずに目を細めた。



「赤也殿は冗談がお上手ですね」
「冗談なんかじゃ」



冗談と言われて、気まずさも忘れて反論しかかった。
だが、の慰めるような眼差しに気づいて言葉が止まる。



「どこかに赤也殿と出会うために生まれ、生きている方がいるはず
 わたくしが殿と出会い、お傍にいるのと同じように」



お分かりでしょうと言葉ではなく、微笑みで教えてくれた人は
やはり赤也の手が届くような人ではなかった。



「赤也殿のお気持ちは大事に仕舞っておきます」



白い手を胸に添え、は慈しむように笑ってくれた。
だから少しだけ鼻の奥がツンとしたけれど、笑って「忘れてください」と赤也は言えたのだった。










日は沈み、一番星が瞬いている。
庭に伸びる影は濃く、先ほどから動きの止まることがない。



「殿、冷えてまいりました。お体に障りましょう」



一心に刀を振るう背中に、は声をかけた。
随分と前から声をかける機会をうかがっていたのだが、幸村の鍛錬は終わらない。
黙っていれば延々と続けることが分かっているので、時を見ては止めることにしていた。




「熱いお茶も淹れましたよ」
「うん」



やっと腕を下ろした幸村は刀を鞘に戻して振り返る。
その額に汗が滲むのを見て、は布を差し出す。



「着替えも用意いたしておりますが」
「いや、先に茶を貰おう」



答えて縁側に腰を下ろした幸村は、手渡された布で汗を拭った。
こめかみあたりから汗が流れ落ちるのをは見つめる。


他人に己の努力をひけらかすような人ではない。
孤独の中で、己に負けずに努力をし続けている人なのだ。



「ん?どうした」



の視線に気づいた幸村が穏やかに微笑んで問う。
じっと見ていたことに気恥ずかしくなったは、何もないですと首を横に振った。



「なんだか可愛い反応だね。俺に見惚れてた?」
「知りません」



からかう声に、が拗ねたように答える。
幸村は可笑しそうに笑ってから、横目でを見た。



「あんまり城の者をたぶらかさないでくれよ」
「た、たぶらかしてなどおりません」



何を言いだしたのだとは慌てた。
まさか、先ほどの会話を聞かれたのではと少々焦る。
やましいことはないにしても、後で赤也が咎められては困る。
赤也の想いがただの憧れであることぐらい、とて分かっているのだから。



は誰にでも好かれるから、俺としては面白くない」
「では、皆に嫌われているほうが良いのですか?」


「それはそれでの良さが分からないのかと腹立たしく思うだろうな」
「殿…」



顎に手をあてて考えていた幸村が溜息をついた。



「皆に好かれて欲しいが、やっぱり俺が一番でありたいな」



赤面するようなことをさらりと言い、幸村は茶を手に取って口をつける。
には、何がよくて幸村が己だけを傍に置くのか分からない。
だからといって幸村の真実を疑うほど愚かでもない。
疑う余地もないほどに愛されていることを知っているから。



「殿は一番が好きですね」
「好きだよ」



即答だった。
穏やかな笑みの中にも、絶対的な強さが滲み出る。



「ではご安心ください。わたくしの一番は殿でございますから」



が悪戯っぽく笑って本心を明かせば、眩しそうな目をした幸村が嬉しそうに笑った。











今夜は満月。
赤也は独りで藍色の夜空を見上げる。


刀を握った手は痺れ、顎からは汗がしたたり落ちていた。



「強くなりてぇ・・」



小さな呟きが闇に溶ける。



いつか、一番になれるように。
いつか、誰かの一番になれるように。




















お慕いしております 幸村&切原編 

2012.09.03




















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