『お慕いしております 〜不二周助編〜』 肆
姫が国を出立したと聞いた、翌々日。
城内での勤めを終えて屋敷に戻ってきた不二は、門前に立つ人影に気付く。
それは向こうも同じだったようで、不二の姿を認めるやいなや「周助様」と叫んで駆けてきた。
夕日を背に駆けてくるのが古くから仕えている家人だと見て、何事かと首をかしげる。
「あ、あの・・・た、大変なお客様が」
前に立つなり息も切れ切れに訴える家人の背を不二は軽く叩いてやった。
「客は家の姫様かな」
「ご、御存知だったのですか?」
とんでもなく身分の高い姫が先触れもなく訪ねてきて、不二家は大変な混乱に陥っていた。
知っていたのなら前もって教えていただきたかったのにと恨みがましい目で見てくる家人に
不二は笑って首を振る。
「青学に来るのは知っていたけどね。城にも寄らず我が家にいらっしゃるとは思っていなかった」
よく家が分かったよねと呑気に不二が呟く。
「ご苦労だったね。知らせてくれれば直ぐ戻ってきたのに」
「それが・・お勤めの邪魔をしてはいけないので知らせないでくれと姫様が仰いまして
おまけに夕餉が作りたいとか、正室様とお子様たちに挨拶をしたいとか訳の分からないことを」
眉をハの字にした家人の心労が分かるというものだ。
不二は老いた家人の背を撫で「なんだか分からないけど、お疲れ様」と労ったのだった。
不二家の庭は風流な先代の好みで、常に美しく整えられている。
特に客人を通す部屋からは眺めが良く、訪れる人の目を楽しませる。
そうはいっても城にある広大な庭とは比べようもないと思うのだが。
廊下から見える客間にお行儀よく座した姫は、暮れていく庭を感嘆したように眺めていた。
後ろには姫付きの者が一人だけ控えており、他には誰もいない。
家の家紋が入った輿を残し、他の者は城下の宿へ下がったそうだ。
我儘な行動をするかと思えば、不二家に迷惑をかけないような心遣いを見せる。
理解し難い姫だけれど、なかなか面白いと思う。
廊下を渡ってくる足音に、は弾かれたように顔を上げた。
視線をめぐらせ、不二の姿を見るなり思わずといったふうに腰を浮かしたが、
はしたないと慌てて裾を整え頭を下げる。
が、勝手に緩む頬は止められない。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
「いいえ・・・」
ああ、記憶に違わず澄んだ声だ。
嬉しい、などと言う簡単な言葉では表現できないだった。
想像していた以上に美丈夫となった不二を前に、心の臓が飛び出しそうなほど打っている。
考えていた挨拶も口に出来ず、優雅な所作で前に腰を下ろす人を穴が開くほど見つめてしまう。
「姫様」
後ろから侍女に囁かれ、はっと我に返ったは再び丁寧に頭を下げた。
頬と耳が熱くて、熱くて、声も緊張して上ずりそうだ。
「ご、ご迷惑もかえりみず突然に参りましたことをお許しください
できることなら夕餉など作らせていただき、一通りの家事ができますと証明したく思いまして」
の言い訳を不二は怒るでもなく可笑しそうに訊いている。
本来なら青学の城を訪ね、まずは城主である手塚に挨拶をするのが筋。
たとえ城へ向かう途中で不二家の屋敷を見つけてしまったとしてもだ。
ちょっとだけ慕う御方が住むところを覗いてみたいと皆が止めるのも聞かずに輿を下ろさせてしまっただ。
見るからに高貴な輿が門前に止まれば、不二家の者が出てくるのも当然で
城での堅苦しい挨拶よりも『娶っても害のない女だと証明したい』という誘惑に勝てずに留まってしまったのだ。
こうやって客間に通されてからも後ろに控えている侍女は、姫を止められなかった己の無力さを嘆き悲しんでいた。
「姫様の手料理ですか。それは楽しみですね」
断るではなく、柔らかく微笑んだ不二。
不意打ちの美しい笑みに、は口を半開きにしたまま見惚れてしまい
後ろでは侍女も頬を染めていた。
可愛い姫だと不二は思う。
仕草にしても、話し方にしても姫様らしい育ちの良さが分かる。
末の姫ということで可愛がられ、わりと自由に育ったゆえか、
思ったことが全て顔に出てしまって分かりやすいといったらなかった。
近づいてくる不二を見つけた時の輝くばかりの笑顔には参った。
あれほど明け透けに嫌味なく好意を向けられて、少々戸惑ってしまったほどだ。
「驚きましたね。あの方は本当に姫様なのですか?」
てきぱきと厨で働くの姿に家の者たちが感心している。
立ち働くの様子を柱の陰から見守る不二は、悩ましい溜息を吐くしかなかった。
気を遣う厨の下女たちにも躊躇わずに声をかけ、謙虚に物のありかを問う姿。
美しい着物の袖を捲り、額の汗を拭いながら働く姿に心が動かないと言ったら嘘になる。
だが思うのだ。
「お口に合うとよろしいのですが」
遠慮がちに出された夕餉は凝ったものではないものの、美味しそうに出来上がっていた。
強張った表情のは、小さな手を握りしめるようにして不二の様子をうかがっている。
不二は微笑んで「いただきます」と言い、箸を手に取った。
見つめてくるの鼓動の音まで聞こえてきそうな中、菜の入った味噌汁を口にする。
ご飯を食べ、芋の煮っ転がしを口にした。
緊張しながらも綺麗な箸使いに見惚れると不二の視線が合った。
途端にの頬が熱くなる。
火にかけた鉄瓶よりも早く熱する自分が情けなくなってしまうが、これはもう仕方ないと開き直るしかない。
そんなの様子に瞳を和らげた不二だったが、
すっと表情を変えると遠慮のない問いかけを口にした。
「ここまでして当家に嫁ぎたい理由をお聞きしてもいいですか
正直・・私に姫様が添いたいと思うほどの価値があるとは思えないのです」
容姿を好いてくれる女子が少なからずいることは知っている。
だが自分の内面が単純でないことを不二自身わかっているし、それを理解して欲しいとも思っていない。
剣術同様、異性にも本気になれない自分は、いつもどこかに冷めた部分があるのだ。
こんな人間に、身分を捨て、苦労してまで嫁ぐ価値はないだろう。
そう考えての問いかけだった。
一瞬は問われた意味が分からず不二を見ただったが、きゅっと唇を結ぶと強い視線で前に座す人を見返す。
たとえ本人であろうとも、自分が慕い続けた人を価値がないなどと言われるのは許せなかった。
「価値ならあります。大有りです。不二様になかったとしても、私にはあるのです
不二家に嫁ぎたいのではなく、私は周助様に嫁ぎたいのですよ?
確かに幼い時に一度お会いしただけで、あなた様の何を知っているわけでもありません
それでも私は不二様が好きです。あれからずっと慕い続けてきたのです
お願いでございます。どうか・・どうか、わたくしを不二様の妻にしてください
わたくしが絶対に不二様を幸せにいたします。絶対に損はさせませぬ」
一気に言い切ると、畳に額がつくほど深々と頭を下げた。
だからは見られなかった。
めずらしく目を見開いた不二が、ゆっくりと表情を笑みに変えていく様を。
それは常に彼が浮かべている微笑みとは違う、
彼をよく知る人が見たなら驚くような不二周助らしからぬ笑みだった。
お慕いしております 肆
2013/01/29
戻る お慕いしておりますTOPへ 次へ