『お慕いしております 〜日吉若編 〜』 番外編
「縁談を断る?」
「おうよ」
難しそうな書物を読みふけっていた柳生が驚いたように顔を上げる。
随分前から傍らにいるというのに存在を無視されていた仁王が嬉しそうな笑みを浮かべた。
「断るとは、どういうことですか。君が見初めて縁談を申し込んだ相手なのでしょう?」
「それはそうじゃが、俺にも色々な事情と心の葛藤が」
「なんのです」
音をたてて本を閉じた柳生の眉が僅かにつり上がる。
これでまともに自分の話は聞いてくれそうだが、怒られるのも確実だと仁王は肩をすくめた。
仁王は格式高い家の養子であるが、その性質は天の邪鬼な変わり者だ。
もっともらしい話をしていても、どこまでが本当で、どこからが嘘なのか分からない。
口は上手いし、容姿も文句無しとくれば女にもてない筈はなく、
ふらふらと城下へ出掛けては遊んでいるのだが、実は剣の腕も相当な手だれであった。
柳生は城に仕える医師の家に生まれながら、仁王と共に剣を学んだ。
品行方正を絵に描いたような柳生は医学と剣術を両立させて取得した努力家だ。
傍から見ると水と油のような二人であるが、実際は仲が良い。
仁王は柳生の家にいることの方が多いし、文句を言いながらも柳生はそれを許していた。
きっちり説明してもらいましょうの気迫を感じ、仁王は頭をかいて溜息をつく。
下手なことを言って怒らせると家に入れてもらえなくなるので、ここは慎重にいかなくてはならない。
「あ〜、言い方を間違えた。相手方に断ってもらうんじゃ」
「意味が分かりません」
凛と背筋を伸ばして正座する柳生が薄い唇から一刀両断に言い放つ。
怒っても綺麗な男だと内心で感心しつつ、仁王は言い訳に頭を働かせた。
「周囲がな、さっさと嫁でも娶って落ちつけと煩くてな」
「御親族の心配はもっともですね。君はもう少し落ち着いた方がいい」
患者には優しい若先生なのに、どうしてこんなにも自分には冷たいのか。
仁王は苦笑して「はいはい」と受け流す。
「ずっと上手いこと逃げておったんじゃが、とうとう断りにくい家の娘を押しつけられそうになってな」
「まさか・・・それで咄嗟に見初めた娘がいるとか口走ったのじゃないでしょうね」
「さすが比呂士じゃ」
一を聞いて十を知るとは、このことだ。
やはり頭がいいと手を叩いて褒めてみたが、恐ろしく冷たい目で睨まれてしまった。
「では殿の娘を見初めたというのは」
「見初めたは見初めたぞ。あの娘なら喜んで断ってくれそうだと思ってな」
軽く言って、自分の茶を飲もうとしたら空になっていた。
仕方がないので前にある柳生の茶をいただこうと手を伸ばしたら、容赦なく甲を叩かれる。
たいして痛くもないのに大げさに痛がる仁王を無視して、柳生は自分の茶を飲み干した。
「君という人は・・・心底呆れますね。何を根拠に相手方が断ると判断したのです?
実際、断られることもなく見合いをすることになっているじゃないですか
娘を格上の家に嫁がせられるとあっては殿に断る理由はないし・・・まず断れないでしょう」
例え相手が君のような男だったとしてもね、と付け加えることも忘れない。
責められているというのに仁王は笑んだまま柳生の話を聞いている。
いつものことだが何を言っても堪えていない。
柳生は大きく溜息をつくと「それでどうするつもりですか?」と仁王の考えを訊ねてみた。
なんだかんだと文句を言うくせに結局は最後まで話を聞いてしまうのだ、この男は。
人づき合いが良いように見えて、実は人嫌いなのだと仁王は自分のことを思っている。
自分が嘘をつくように、人は簡単に嘘をつく。
騙して、騙されて、そんな世の中を見て育った自分が誰かを掛け値なしに信じられるとは思っていなかった。
だが、居たのだ。
芯が一本通った男は自らに厳しく、仁王に甘い。
嘘をつかれては本気で怒り、それでいて最後は必ず仁王を受け入れて許してくれる。
絶対に嘘をつかない、裏切らない、自尊心の高さが嫌味ではなく清々しい。
そんな柳生に仁王は執着ともいえる感情を抱いていた。
「あの娘には好いた男がいる」
「どこから訊いてきたのです?もしや相手まで?」
「そこらへんは完璧じゃ。あとは誰もが『断って当然』と思える理由を作るだけ」
仁王が何か企んだ笑みを浮かべた。
きっと、ろくなことじゃないのだろうと柳生は身構える。
が、仁王の口から飛び出してきたのは柳生の想像をはるかに超えたものだった。
「俺と比呂士が恋仲ということで」
「なっ!!」
瞬時に飛んできた本を避け、仁王は小さく笑う。
顔を紅潮させて憤慨している友を宥めるのも楽しいものだ。
「おっ、そうじゃ。比呂士は海が好きか?」
「話を誤魔化さないでください!!」
「破談にできた日には、立海に連れて行ってやろうかと思ってな」
「立海?」
「城主の幸村、家老の真田は相当に腕が立つ。柳は頭の回転が早い男じゃ
海の向こうの国から人も物も入ってくる立海は面白いぞ」
「はぁ」
真面目な柳生が毒気の抜かれた返事をする。
この先に養父の逆鱗に触れて勘当された仁王が、自分を道連れに出国してしまうことなど知らない柳生だった。
お慕いしております〜日吉編〜番外編
2011/01/23
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