『お慕いしております 〜乾貞治編〜』 壱











変な客だった。
初めて顔を見せた客は、着流しに刀を差した大きな男だった。
大きなといっても、どこぞの横に太った御店の旦那とは違う。
やけに身の丈の高い大きな男であり、見上げて話せば首が痛くなる程だ。


その大きな男は部屋に通されるなり中を見渡すと「ここか」と呟いて、いきなり隣の壁に耳を押しあてた。



「なにを?」
「シッ、静かに」



唇に長い指を伸ばして見せた男は、直ぐに視線を壁に戻す。
布団など邪魔だとばかりに端へ退けると、そのまま壁際に座りこんで聞き耳を立てた。
酒の載った盆を手に困惑する遊女に気がつくと、男は少しだけ考えてから口を開く。



「それを飲むなり寝るなり、好きにしてていいから」



お前に用はないということだろうか。
首をかしげただったが、相手をしなくて良いというのなら幸いだ。
とりあえず酒はいらないから客のもとへ置き、いつものように窓から川を眺めることにした。


盗み聞き好きの悪趣味な客なのかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。
懐から出してきた紙に何やら書きつけはじめたのを見ると、隣の会話が大事なのだろうことが分かった。


遊女たるもの客の背景など詮索しないもの。
だが・・・薄暗い室内では文字も書きにくいだろう。
そう思ったは静かに部屋を出た。



廓には不釣り合いな明かりを持ってきて足すと、男が驚いたようにを見る。



「明るくなれば少しは書きやすいかと」
「ああ」



男は納得したように頷いて、また壁に耳をつける。
なにを調べているかは知らないが難儀なことだ。


そんな感想を抱きながら、ふたたびは月の浮かぶ川面を眺めて過ごす。
客の相手以外に遊女がすることといえば、夜の景色を眺めることぐらいしかない。



今夜も星が綺麗。
あの船は何処に行くんだろう。



暫く壁に耳をつけていた男が筆を置いた。
肩が凝ったのか首をまわして、小さく溜息をつく。
その様子を見るともなしに眺めていたの視線に気付くと、懐に紙を仕舞った男が酒の盆を手にして立ち上がった。



「助かったよ」
「・・・それはようございました」



客から礼など言われ慣れてないものだから、は言葉に詰まる。
それを男は気にするふうでもなく腰を下ろすと、冷えてしまった酒を手酌で飲み始めた。



「おつぎしましょうか?」
「ん?いや、別にかまわない」



一応は言ってみたものの断られたので、は手持無沙汰に座しているしかない。


この後は、どうするのか。
聞くのも憚られて黙っていると、あっという間に酒を飲み干した男が腰を上げた。
やはり背の高い方だとは男を見上げる。



「泊り分の金を払ってあるから、君はゆっくり休めばいい。俺は、これで」



さらりと別れを告げ、には触れることもせずに男は出ていった。
唖然と大きな男を見送ったは胸の内で呟く。



「変だけど・・いい人」



今夜、は客をとることなく穏やかに休むことができるのだから。




















お慕いしております 乾貞治編 壱 

2011/05/19




















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