『お慕いしております 〜乾貞治編〜』 弐











翌日、また男はやってきた。
それも今度はを指名してだ。



「やぁ」
「いらっしゃいまし」



遊女にかける挨拶にしては軽い。
それも珍しくて、笑ってしまうのを隠しながら頭を下げる。


今日も壁に耳をつけて過ごすのかと思いきや、男は腰の刀を抜いて部屋の真ん中に腰を下ろした。
他の客と同様に座った男を見て、いつものように煙草盆を差し出したが「健康のために吸わないんだ」と断られた。
昨日の今日で勝手の違う客を前に、は戸惑いつつも男の傍に座る。



「昨夜は悪かったね。急いでいたもんだから、ろくに礼も言わなくて」



淡々とした声色で語る男に、は昨日に続いて驚いた。
礼を言うのは自分の方で、おかげで嫌な客をとることなく休むことができた。
だからは目一杯首を横に振って「とんでもございません」と頭を下げる。
簪の揺れる黒髪を見下ろした男は落ち着いた声で言った。



「お礼と一緒に昨夜の口止め料に何か美味い物でも御馳走しよう」



その言葉に顔を上げたは、真剣な表情で再び首を横に振る。
男が続けて訪れた理由が分かったからだ。



「昨夜のことは誰にも口外しておりませんし、隣の客が誰であったかも聞いておりませんからご安心を」


「ああ、いや。気を悪くしたのなら、すまない。確かに口外はして欲しくないのだが、君が言いふらすとも思っていない
 言葉の選択を間違ったな。口止めというより、つまりは暫しのあいだ俺に力を貸して欲しいと思ってね」


「なんでしょう?」



小首をかしげたに向かって、僅かに笑みを浮かべた男は言った。
無表情にも近いと思った男の顔は、笑うと印象が変わった。
切れ長の目は涼しいが、目元にできる皺が優しい。



「ある理由があって、ここに通っている男の事を調べているんだ
 男から動かぬ証拠を得るために協力して欲しい」



詳しくは話せないのだが・・・と、     
ほとんど説明になっていない内容に男が少々申し訳なさそうに付け加えた。


は内緒ごとを話すように白い手を頬に添えて声をひそめた。



「その男は悪い人なのですか?」
「え?まぁ、そうだね。その男のせいで泣いている者が大勢いる」



の問いに虚をつかれたふうだが、男は真面目に答えてくれた。
わかりましたとが神妙な顔で頷けば、ふっと男が口元を緩めた。



「そんな簡単に俺のことを信用していいのかい?ひょっとしたら、俺の方が悪者かもしれない」



今度は問われた事にが目を丸くする番だ。
だが考える間もなく、はにっこりと微笑んだ。



「あなた様は好い方です」



単純なのかもしれない。
だが、この客は金で買った遊女に手も触れず、礼まで言ってくれる人なのだ。
にとって悪い人であるはずがなかった。


きっぱりと言い切ったに、男は瞳を細める。



「俺の名は乾・・、乾貞治という。宜しく頼む」
「わたしはと申します」



その日から、乾は日をあけずにのもとを訪れるようになった。



隣の室にいるのは数日前から大金を払って廓に泊まりこんでいる男だ。
まったく部屋から出てこないのでは男の姿を見たこともないが、廓に泊まりこむなど訳ありなのは間違いないだろう。
他の遊女たちが噂するのを小耳にはさんでは、夜に訪れる乾に話して聞かせる。


はたして役に立っているのか分からないが、どんな細かなことでも乾は聞いてくれた。



乾が通ってくるようになって四日目。
相変わらずには指一本触れてくることはなく、並んだ枕を前に額をつき合わせての報告会だ。



「誰からかは分かりませんが、文がきたようです」
「それは今日が初めて?」


「はい。店の者にも確かめましたが、今日が初めてだそうです」
「ふむ」



考えこむ乾を前には身を乗り出した。
薄暗い灯りに照らされて、の簪が煌めく。



「わたしが男のもとへ参りましょうか?隙があれば文を持ちだすことができるかもしれません」



男の室に入れるのは相手をする遊女だ。
本人と接すれば、もっと探れる事があろうかと思う。


しかし片眉を上げた乾は首を縦に振らなかった。



「駄目だ。君を危険にさらすことはできない」


「ですが・・・」
「こうやって協力してくれるだけでも助かっている。それに大体の目星はついてるんだ」


「そうなのですか?」
「言い逃れられないだけの証拠を掴めばよいだけだから」


「その文が証拠かもしれません」
「それでも君に危ないことはさせられない」



乾に淡々と諭されたが、の心は決まった。
こんな身でも案じてくれているのかと思えば胸に温かなものが広がる。
死のうが生きようが、もうこの世で心配してくれるような人は何処にもいないのに。



「いいね。無茶はしないこと」
「はい」



満足のいく返事に乾は頷くと、いつものように酒を飲む。
ただ直ぐに帰ることはせず、夜が更けるまで他愛ない話をしていくようになっていた。




















お慕いしております〜乾貞治編〜 弐 

2011/05/23



















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