『お慕いしております 〜乾貞治編〜』 参










翌日も文がきたのを盗み見たは、あれこそが証拠なのではという疑念が膨らみ抑えられなくなっていた。


あれを持ち出せば乾様のお役にたてるかもしれない。
その一心で籠っている男の相手を申し出てみたが、女将から「駄目だ」と言われてしまった。



「お前には当分の間、客をとらせないようにと乾様から言われてるんだ。金も前金で貰っているしね」
「ほ、本当に?」


「はぁ?まったく、相変わらず呆けた子だね。御贔屓にして下さってるんだから大事にしな」



そう言われては、引き下がるしかない。
嬉しいが、困った。
文をどうしても手に入れたい。文を手に入れるには・・・


考えた末に、は泥棒のように文を盗み出す決意をしたのだった。
誰かを使えば、もしもの時に巻きこんでしまう。
ならば自身がやるしかない。


機会は思いのほか簡単にあった。
男が湯に入るのを待っていたは、心臓が飛び出そうになるのを耐えて部屋に忍び込んだ。
僅かながらの荷から文を探し、やっと見つけた時は緊張のあまりに手が震えた。
厳重に油紙で包まれ隠されていた文を前に、間違いないと確信したはそれを懐に仕舞う。


その懐に手を添えてホッとしたのも束の間、緊張が途切れた頭に浮かんだことがあった。



これが本当の証拠であったなら、乾様はもう・・・・



ここは廓だ。
に指一本触れぬ男に用はないところ。



きゅっと胸が痛んで、は強く目を閉じた。
会えなくなると思えば、悲しくて、悲しくて、胸が苦しいほどに痛む。


胸元を強く掴んだは、痛みを掃うように頭を振った。



「はやく行かなきゃ」



解いた荷を手早く戻すと、は逃げるようにして自分の部屋へと戻った。


はやく乾様に証拠を渡したい。
いつ、文がないことに男が気付くとも分からない。
生きた心地もせずに乾を待つ。


しっかりと文だけは懐の奥に仕舞いこみ、は乾を待った。
客の往来も多くなり、廊下の足音が聞こえるたびに身を震わせて胸をおさえる。


男が気付く前に、早く。
届けられるものなら一刻も早く乾のもとへ届けたいと思ったが、は乾の何も知らない。
名前以外、どこに住む、なにをしている人かも知らないのだ。
届けたくとも届ける場所が分からない。


今更ながら、その事実が切ない。



「乾様、はやく・・・」



両の手を合わせて、闇に浮かぶ白い月に願った時だ。
背後から荒々しい足音が響いてきたかと思うと身構える間もなく乱暴に戸が引かれた。



「文をどこにやった」



目の大きな痩せた男だった。
遊女の着る赤い襦袢をだらしなく身に付けた男が目を見開いてを睨みつけている。
頭が真っ白になったは、声も出せずに首を横に振った。



「嘘をつけ!お前が部屋から出てくるのを見た者がいるんだ。なんの目的だ?ああ?」



言うなり大股で近づいてきた男はの衿元を掴みあげる。
文だけは守らなくてはと胸を押さえようとした手は払われ、頬を叩かれた。


弾みで体が畳に叩きつけられたは、咄嗟に胸元を守って蹲る。



「出せ!文をどこにやった」



蹲った小さな背に男が馬乗りになる。
苦しい、息ができない。でも、文だけは・・・


騒ぎを聞きつけた女たちの悲鳴が何重にも響く。
激しく背を打たれながら、は懐の文を衣の上から強く握りしめた。


ぎゃっという声と同時に、唐突に背中が軽くなった。



「大丈夫か!?」



大きな手に抱えあげられ顔を向けると、そこには待っていた人の焦った表情があった。



「乾様!!」



何も考えられずに夢中で抱きついたの体を乾も抱き返す。
無茶をして・・と乾は苦しげに呟いて、抱く腕の力を強くした。



「あ・・乾様、文を」



我に返ったが身を起こし、懐の中から皺くちゃになった文を出してきた。
眉根を寄せて文を受け取った乾は、素早く中を検めて頷く。



「よし、間違いない。海堂、そいつを連れていってくれ」



やっと周囲に目がいくようになったが乾の肩越しに見れば、男が呻き声をあげて丸くなっていた。
その男の衿を掴んだ海堂と呼ばれる人は、猫の仔でも運ぶかのように男を持ち上げて引きずっていく。



「どこへ連れていくのですか?」
「城さ。私利私欲のために民の暮らしを脅かしたとなれば、ただでは済まない」


「そんな大事でございましたか」
「ああ。だから君はすごいことをした。だが、俺は怒っているよ」



言って、乾はの赤くなった頬を撫でた。
怒っているというが、表情は案ずるように傷を確かめている。



「あれほど止めたのに。口の端が切れてるじゃないか」
「ごめんなさい」



素直に謝る姿は遊女と呼ぶには純粋すぎる。
乾は優しく艶のある黒髪を撫でると「無事でよかった」と再びの体を引き寄せた。


抱きしめられて、あたたかな胸に顔をうずめる。


やっと触れてもらえた。
その歓喜する心に、はどれほど乾に触れて欲しいと願っていたかを知る。


もう会えないのですか?
客としてでも来ては下さらない?


浅ましくて、とても口に出来そうにない。
それに知っている。この方は、女を買いにくるような方ではない。


きっと、これが最後の別れだ。



「乾さん、下に迎えがきてます」



廊下に先程の海堂と呼ばれる男が呼びにきた。
乾は最後に強くの体を抱くと言葉もなく体を離して立ち上がる。


は何も言えなかった。
口を開けば嗚咽になりそうで、瞳いっぱいに涙をためて乾を見上げるしかできない。


室を出ていく乾が振り返った。
せめて常と同じく見送りしなくてはと手をつくを乾は見つめる。


そして口を開いた。



「また来る。それまで客は取らないでくれ」



言葉の意味を理解したが慌てて顔を上げた時、すでに乾の姿はなかった。




















お慕いしております〜乾編〜 参 

2011/05/23




















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