ずっと傍にいて 〜観月編〜 (前)










観月クンに貰った合鍵を使ってマンションのエントランスから中に入った。
軽く会釈したマンションの管理人さんが変わっているのに気づき、ここに来たのは何週間前だったかと思いをめぐらせる。


あれは四月の初め・・・だったかしら。
花見に行こうと約束したのに、彼のマンションで待ちぼうけ。
深夜遅くに帰ってきた観月クンはコートを脱ぎながら溜息をついていた。



「すみません。遅くなって、」
「ううん、いいの。」



疲れた顔の観月クンに夕飯も食べずに待っていたなんて言えるはずもない。
反対に『夕飯は?』と訊ねたら『修習生仲間と食べた』と返事が返ってきて、淋しさに胸が軋んだ。



「忙しいのね。」
「ええ。今晩中に、この裁判記録に目を通さないと。」



彼がネクタイを緩めながら疲れた顔で笑う。
私は「帰る」と言った。ここにいても私が手伝える事はないし、今更お花見もない。
観月クンが「泊まれば?」と言ってくれたことが僅かな救い。
けれど私は、明日が早いからと嘘をついて彼のマンションを後にした。


あの夜、観月クンはマンションのエントランスまで見送りに出てくれた。
深夜の道路で触れるだけのキスをして「ゴメンね?」と首を傾けた貴方に、私は泣き出してしまいそうだった。



もう、限界が近いのかもしれない。
私の中の私が、そっと終わりを予感して告げてくる。


離れていく観月クンとの距離をどうする事も出来ない自分が悲しかった。





あれから一ヶ月以上がたった。
幼稚園には可愛い新入園児たちが加わり、担任を持つ私は忙しい。
新米弁護士の観月クンは、もっと忙しい。


時間は擦れ違い、会うことも侭ならない。
電話は週に一度あるかどうか。
メールを送信すれば、どんなに遅くなっても返信は来る。
けれど、会わないからメールする内容が近況ぐらいしかないの。
忙しく走り回っている彼に私の近況なんかをメールして、返信をもらう事自体が申し訳なく思ってしまう。
そしていつしか、メールも週に一・二度と減ってしまった。



高校時代から忙しい人だった。
それでもテニスがあったから、私たちは出会い、惹かれ、恋をした。
指を躊躇いがちに繋ぎ、額を寄せ合うようにして時間を過ごした日は眩しくて遠い。


私は幼稚園教諭を目指して短大へ。
観月クンは弁護士を目指して大学の法学部へ。
現役で司法試験合格を目指していた観月クンは他の学生みたいな時間は過ごさなかった。
教授が舌を巻いたというほど熱心に学んだ彼はエリートと呼ばれる道を常に歩いてきた。


それでも彼は私をそばに置いてくれた。
時々は後ろを振り返るようにして私に手を差し出し『おいで』と言ってくれるような付き合いだった。



「先にが夢を掴みましたね。僕も負けないよう頑張りますね。」



先に卒業して社会へ出た私に、ムーンストーンが埋め込まれたシルバーのリングをプレゼントしてくれた彼。
観月クンが夢を掴む日を私も心から願っていたの。


だけど・・・難関といわれている司法試験に合格し司法修習に入ってからの観月クンは本当に忙しくなってしまった。
修習が終わって弁護士として働き始めれば余裕ができるのかと思ったら、更に忙しくなってしまった彼。


それでも私は誇らしかった。
私が頑張ったわけじゃないけど、努力して夢を叶えた観月クンの傍にいた者として誇らしい気持ちだったの。



でも、ずっと・・・淋しかった。





マンションのエレベーターに乗り、彼の部屋がある階のボタンを人差し指で押す。
ただぼんやりと増えていく数字を見つめていた。


エレベーターを降りると風が髪をさらっていく。



観月クン、知らないでしょう?
私ね、髪を十年ぶりぐらいに短くしたのよ。
あなたが長い髪を好きだといったから、ずっと伸ばしていたけれど・・・もういいの。


彼の部屋の前に立ち、一つ深呼吸した。
ポケッからキーフォルダーを外した銀色の鍵を取り出す。
そっと鍵穴に差して回し、ゆっくりとドアを開けば観月クンの香りがした。





送信『27日のお誕生日、時間はありますか?』
返信『仕事はありますけど、夜は何とか空けたいと思ってますよ。』


送信『無理はしないで。』
返信『僕の誕生日なんですから、無理も何もないでしょう?』





ピンクのマグカップ。
洗面所の歯ブラシ。
お揃いで買ったパジャマ。
私の置いたソファのクッション。


自分の物なのに久しぶりに見る品々を用意した紙袋に放り込んでいく。
片付けながら、私以外の人の形跡がないことに安堵している自分を笑う。



ステキな人だから直ぐに自分に合う恋人を見つけるだろう。
それは、そう。あの日に見た女性のような人を。



先週、観月クンの誕生日にと頼んでいた物を取りに出かけた私は街中で偶然に見てしまった。
黒のスーツ姿で歩く彼。初めて見る、弁護士としての観月クンは凛として威厳さえ感じた。
その隣にはグレーのスーツを着た女性が居た。多分、同僚か何か・・・仕事関係の人だろう。
彼女も美しく、聡明であろう事が一目で分かる人だった。
二人は何事か話しながらタクシーに乗り込んだ。
大きなオフィスビルに仕事があったのかもしれない。



元気そうで良かった。



歪んでいくタクシーを見送りながら、そう思った。





受信『すみません。今日中に帰宅できるかどうか分からなくなってしまった。』
返信『謝らないで?観月クンのお誕生日なんだもの。分かりました。』


受信『日付は変わると思いますけど、部屋で待っててくれませんか?』
返信『お誕生日おめでとう。伝えられたら、もういいです。どうぞ無理はしないで。』


受信『本当にいいんですか?』
返信『ありがとう、観月クン。もう、充分です。』





そして、決めたのだ。





私の物を片付けるのは15分も掛からなかった。
カバンの中から用意した封筒を出すと、シルバーリングが形作る膨らみを愛しむように撫でる。
その封筒に、この部屋を開けるのに使った銀色の合鍵を加えるとカチンと僅かな金属音がした。



サヨナラは書かないでおこう。
だって、貴方のお誕生日だから。



『ありがとう、観月クン。
 お誕生日おめでとう。』



このカードと封筒の中身を見れば、きっと貴方は知るでしょう。
私たちの恋が終わった、ということを。





部屋の灯りを消す前に彼の部屋を見回した。
引越しを手伝って、そのまま彼の腕に抱かれて眠ったのが昨日の事みたい。
大きく息を吸い、観月クンの香りを胸におさめて目を閉じる。


目を開けたら、一つ息を吐いて。
カバンと紙袋を持つとリビングの灯りを消して部屋を出た。
オートロックの玄関ドアが、ゆっくりと閉まっていくのを見届けて背を向ける。
淡々と歩きエレベーターで下まで降りると、再び見知らぬ管理人に会釈して自動ドアを出た。



耳元に揺れる短い髪を抑え、最後にマンションを見上げた。
無機質なコンクリートの塊だけれど、ここには大切な人が居た。


そう思うだけで、愛しい。





あなたは私の輝いた思い出、全てだった。




















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