Once again 〜前編〜
「お久しぶりです。」
「ひ・・さしぶり。」
七年ぶりに会った最初のセリフは極々普通のものだった。
都内にある大型書店の専門書フロア。
下の喧騒とは無縁の静かな空間で何が目的という事もなく本を探していた。
使えそうな興味を惹かれる本を探していたというところ。
近くに黒のロングコートを着たスーツ姿の男性がいるのは気づいていた。
顔までは見ないけど、彼が片手に持つカバンが品の良さそうな色合いをしていたので目についた。
今時は軽くて丈夫な素材の肩かけカバンを愛用しているサラリーマンが多いのに、彼のはカッチリした革のカバンだった。
ただ、それだけのこと。
直ぐに本棚へ意識を戻した私は、ずらっと並ぶ本の背表紙たちに目を走らせる。
気になる背表紙を見つけて手に取ろうと伸ばしたけど届かない。
目一杯背伸びをして、もう少し・・・と思った時、隣から黒い袖が伸びてきて繊細な指が私の狙っていた本にかかった。
音もなく引き抜かれた本が私の前に差し出され、礼を言おうと見上げた顔に瞬きを忘れた。
そこで七年の歳月を経て彼と交わされたのが『久しぶり』だったのだ。
「観月クン?こんなところで会うなんて、びっくりした。近くなの?」
「職場が近いんですよ。あなたは?」
「私も近くなの。先月から、こっちに出来た新しい店に来てて・・・」
「ああ。確かインテリア関係の仕事に就いたんでしたっけ?」
「知ってたの?」
「風の噂でぐらいには。」
フッと観月クンが口元を緩めた。
あんな酷い別れ方をしたのに、時の流れって偉大だと思う。
こんなにも穏やかに近況を語り合えるなんて夢にも思っていなかった。
何度か届いた同窓会の案内にさえ観月クンと会うのが怖くて出席できなかったのに。
「観月クンは?」
「商社ですよ。」
一応は訊いてみた。
本当は赤澤君に聞いて知っていたの。
ただ、こんな近くで働いているとは知らなかったけど。
「立派な商社マンね。」
「そうですか?あなたは・・・」
言いかけて、観月クンがジッと私を見た。
ああ・・その視線、何もかも見透かすような瞳は変わらない。
途端に胸が騒ぎ出すのに慌てて視線を逸らそうとした時、観月クンが柔らかく言った。
「あの頃とちっとも変わってない。」
懐かしそうな眩しいものでも見るように細められた瞳。
七年ぶりに出会った過去の人が、いとも容易く私の心に入り込んできた瞬間だった。
観月クンは様になる仕草でコートの袖口から時計を確認すると小さく息を吐く。
行かなくては・・・と呟き、笑顔を浮かべて私を見た。
「今度偶然に会えることができたら、一緒に食事でもしましょう。じゃあ・・・」
上手に頷けたかしら。
だって泣きたい気持ちだったの。
いくら同じ街で仕事をしていたとしても、また偶然に会える確率なんて何パーセントあるのかしら。
きっと会えはしない。
ただの社交辞令を告げる観月クンが酷く悲しかった。
エスカレーターに消えていく背中に「さようなら」と小さく告げる。
もしあの時に別れなければ・・・思ってしまっては苦く笑った。
『どうして秋田に帰るって教えてくれなかったの?』
『僕だって迷っていたんです。』
『迷ってたって。受験の準備も全て整えておいて迷ったもないでしょう?
私たち離れちゃうんだよ?秋田とじゃ、そうそうは会えなくなる。
なのにそんな大事なことを赤澤君から聞かされた私の身にもなってよ!』
『・・・その点は悪かったと思います。でも、僕は決めたんです。それを変える気もない。』
『観月の馬鹿!もう別れる!観月なんか何処へでも行ってしまえばいいのよ!』
『!』
止めようとする観月クンの腕を振り払った私は走って逃げた。
校舎の角を曲がったところで出会い頭にぶつかった赤澤君が泣いてる私を見て驚いた。
『、どうしたんだ?』
『赤澤君・・・』
私は近くにある赤澤君の腕を掴んで額をつけた。
一瞬躊躇ったような間があった後、直ぐに赤澤君が私の体を抱き寄せて胸を貸してくれた。
それを追いかけてきた観月クンが黙って見ていたと、赤澤君が教えてくれたのは後のこと。
『赤澤は申し分のない男ですよ。は赤澤に大事にしてもらえばいい。』
言葉も出ない私に観月クンは淡々と言った。
赤澤君は優しい。
ほのかに気持ちを寄せられていることを知っていて甘えた私は罰を受けたのだ。
そして私たちは、あっけなく別れた。
今でも赤澤君とは年賀状の遣り取りをする。
去年から南の島でダイビングのインストラクターとして働く彼からは真っ青な海と空の絵葉書が届いていた。
元気か?
今、俺はめちゃくちゃ幸せだ。
は幸せか?
お前の幸せを願っているよ。
私たちが別れた原因は自分だったんじゃないかと彼は苦しんだ。
それは違う。全ては私の心が弱かったせい。
だから私も赤澤君の幸せを心から願っている。
でもね、今の私が幸せかと聞かれると嘘をつけなくて返事が書けない。
実は観月クンに会ってしまったの。
それから心が僅かな出会いを手放さなくて困っている。
何度も何度も大人になった観月クンをリプレイしては忘れられない。
こんなにも強い想いが私に残っていたなんて、今更に七年前の別れを悔んでいる私が馬鹿みたい。
絵葉書を見ては思う。
赤澤君を幸せにしてくれる海を実際に見てみたい。
けれど同じ過ちは二度としてはいけないと思うから決して行けない場所。
店を閉じ、スタッフ同士が「お疲れ様」と声をかけて四方に別れていく。
その瞬間から、ひとりの人の面影を探している私。
あの日から一週間が過ぎ、一ヶ月たち、そして季節が変わった。
桜が咲き、短い花が散る。
そして都会の片隅でも新緑の街路樹が初夏到来を教えてくれていた。
忙しかったゴールデンウィークも終え、久々に休日の休みをもらえた。
もう何度目とも数えられないほどに通った書店のフロア。
そこは観月クンと偶然に会った場所。
インテリア関連の専門書や写真集など、何時間いても飽きない場所なのが救いだ。
会えなかった落胆には慣れてしまい、もう諦めの気持ちの方が大きかった。
気づけば三週間以上も通ってなかった本屋の静かな空間に、安堵と一抹の寂しさを感じている。
棚を見上げていたら、以前から欲しいと思っていたデザイナーの本が並んでいることに気がついた。
来てよかった。
手を伸ばし、やっと届く位置の本に指をかけた時に隣から懐かしい声がした。
「僕が取りますよ。」
黒のジャケットと真っ白の袖から伸びた手がお目当ての本を軽々と抜いてくれた。
ああ、どうしよう。
まさか会えるなんて思わずに、休日のラフな格好で来てしまったのに。
「はい、どうぞ。また・・・会えましたね。」
「観月クン」
「約束でしたから、どこかで食事でもしませんか?」
あなたの目に私はどう映っているの?
願わくば少しでも綺麗でいたいと思っていたのに、こんな私で幻滅したでしょう。
なのに微笑んでくれるから、私の心は喜びに震えるの。
過去が取り戻せないことぐらい知っているけど、今だけは夢を見てみたい。
そう思う私は愚か者なんだろう。
もう一度だけ。
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2007.03.11
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