私たちは視線も合わせずに、バスの一番後ろの座席に微妙な間隔を空けて座る。
彼の足元には、色とりどりの紙袋。
忍足君を慕う女のコたちからの差し入れだ。
モテるのは仕方ない。
格好いいし。頭もいいし。テニスも強い。
これでモテなきゃ世の中にモテ男なんて存在しなくなっちゃう。
自分を納得させようとして、その事に傷ついてるのは馬鹿な私だ。
溜息が出そうになって飲み込めば、隣から大きな手が伸びてきた。
私など知らないと装いながら、そっと撫でるように包んでくれる優しい手。
誰にも見えない座席の間で、今日も私たちの手は繋がっていた。
足りないもの 前編
忍足君と私の出会いは、このバスの中。
混雑したバスの中で、落としてしまった定期を拾ってくれたのが彼だった。
すみませんと言いかけた私に、『なぁ、俺ら隣のクラスやろ?』と彼の方から訊いてきた。
私が有名な忍足君を知っているのは当然だけど、彼が私のことを知っているなんて想像もしていなかった。
彼は空いた席に私を捻じ込んで隣に立つと、定期を手に人懐っこく話し始める。
女のコにも優しくて気さくな人だとは訊いていたが、初めて話す私は戸惑うばかり。
でも、楽しかった。
男子となんて必要最低限の会話しかしたことのない私にとって、彼は驚くぐらい話しやすい人だった。
バスを降りる直前まで定期は返してもらえず、やっと手のひらに定期が戻った時に彼が言った。
『定期の個人情報、シッカリ暗記したから。これからヨロシクな。』
それがきっかけとなって、私たちは言葉を交わすようになった。
約束があったわけじゃない。
けれど、今まで何度も私は同じバスで忍足君を見かけたきたのだ。
意識すれば週に一、二度は彼と顔をあわせた。
お互いが気付けば声をかけ、近くに居れば話もする。
それを繰り返しているうちに、バスに乗ると真っ先に彼を探してしまう私が居た。
『俺と付き合って欲しい』
半年前・・・
後部座席に並んで座った時、告白された。
断わる理由なんてなかった。
とっくに私も彼が好きになっていたから。
『俺と付き合うと色々大変になると思う。
嫌な思いをさせるかもしれん。それが心配なんやけど・・・』
『誰にも・・・言わなければいい?』
『けど、それは』
『忍足君に迷惑かけたくない。』
『俺は迷惑なんて思わんけど・・・本当にそれでええの?』
『・・・大丈夫』
氷帝テニス部の人気は凄まじい。
試合会場ではアイドル並みの声援と追っかけがいるのが常だ。
他校にまでファンクラブがあるというのも、あながち嘘ではないと思う。
バスに氷帝の生徒が多い時は近寄ってこないことに気付いていた。
お喋りなはずの彼が学校の廊下では滅多に話しかけてこないことも。
彼が特定の人間と仲良くすれば、たちまち噂が広がり騒ぎになる。
私だって、ただでは済まないだろう。
忍足君が自慢できるほどの私だったら良かったかもしれない。
けれど実際は違う。
何故、彼に選ばれたのか?自分でも不思議に思うぐらい、平凡な人間が私だ。
怖かった。
多くの人の目にさらされ、彼には似合わないと誰かに思い知らされるのが恐ろしかった。
だから『誰にも言わない』と決めたの。
その言葉に縛られて、どんなに苦しむのかも知らないで。
誰も居なくなったバス停で夕陽を眺めていたら携帯がなる。
「もしもし?」
『ゴメン!今日も居残りあって、バスには間に合わへん。帰ったら、電話するから。』
慌てて電話してくれたんだろう。
でも・・・バスは既に出てしまった。
「わかった。電話・・・無理しなくていいよ?」
『俺がしたいから、するんやって。けど、寝てしもうたらゴメン。その時は朝するから。』
「うん。部活、頑張って。」
『了解!そしたらな、気をつけてお帰り。』
プツンと切れた電話に、心の繋がりまで切れたような気がして言いようのない寂しさを感じた。
レギュラーの座を守り続けている忍足君の部活は厳しさを増している。
日々の電話は嬉しいけれど、疲れ切った彼の声を聞くと直ぐに切ってあげなきゃと思う。
デートなど、人目のない遠いところへ行こうと思えば時間が足りない。
「それでさ、忍足君たらさぁ・・・」
「マジ?忍足君って、面白いよねぇ。」
突然に忍足君の名前が耳に入ってきて、思わず視線を向けた。
バスケ部のジャージを着た女のコたちがお喋りしながら通り過ぎて行く。
忍足君との関係など知る由もない彼女たちは、私になど目もくれずお喋りに夢中だ。
私が口に出来ない彼のコトを楽しそうに話している姿が眩しい。
忍足君と私は、カレシとカノジョのはず。
なのに近づけなくて、話せなくて。
何のために私がいるのか・・・分からなくなってしまった。
久しぶりに同じバスに乗る。
告白された日から、ふたりの指定席になった一番後ろの座席。
相変わらず忍足君は窓の外を見ているし、私は本を読んでいる。
隣にある、人ひとり分ぐらいの空間が埋められない私たちの距離に思えた。
「」
不意に名前を呼ばれた。
本を手に視線だけ向ければ、彼は窓際に頬杖をつき口元を隠すような様子で話しかけてきている。
「なんかあった?」
「どうして?」
「知ってるか?質問を質問で返す時って、隠し事があるときやで。」
そのままの格好で、視線だけを私に向けた忍足君の目は真剣だった。
胸の内にある迷いを見透かされたような気持ちになって目を逸らしてしまう。
忍足君が動いた。
横から肘を引っ張られて体が傾く。
慌てて態勢を立て直そうとすれば本が落ち、それを無意識に追った視界に忍足君の顔があった。
あ・・と思った時には、掠め取られたキス。
直ぐに離れていった感触に顔が上げられない。
どうして、こんなこと!?
生徒の下校時間は避けている。
それでも前の方には氷帝の制服が数人は見えていた。
口元を覆って震えていたら、足元に落ちた本を忍足君が拾った。
その本を私の膝の上に置きながら、彼が耳元で囁く。
「そんなに・・・俺と付き合ってるの知られるのが嫌か?」
意外な言葉に顔を上げれば、眉を寄せた忍足君が唇だけで笑顔を作っていた。
私の瞳に溜まった涙に気付くと、唇の笑顔さえも消えて「ゴメン」と顔を背ける。
そのまま額をトンとガラスにぶつけると、もう何も言わなくなった。
口を開けば泣き声になりそうで、私だって何も言えない。
ただ胸にせりあがってくるような痛みを抱え、読めもしない本を震える手で開くしかない。
その日、私たちの手は重なることなく離れていった。
足りないもの 前編
2007.09.28
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