ずっと傍にいて(後)〜忍足編〜
もう彼は来ないだろう。
思いながらも私の足は親に嘘をついてまで約束の場所に向かっていた。
上映時間ギリギリまで狭いロビーで忍足君を待ったけれど、やっぱり忍足君は来なかった。
映画館のおじさんに促され、入り口近くの席に腰をおろす。
直ぐに暗くなっていく館内で、私は声を殺して泣いた。
ただ悲しくて。
此処ではもう忍足君に会えないということが悲しかった。
思い出される彼との時間が優しくて、愛しくて、手放すのが辛くて。
失って初めて、彼の存在の大きさを思い知ったのだった。
映画は旅先で出会った男女を中心に進む。
二人にはそれぞれ待つ人がいて、それでも惹かれる心は止められずに恋に落ちる。
たった一週間の恋。住む場所も何もかもが違う二人には別れしかない。
もう自分の想いに泣いているのかヒロインの想いに泣いてるのかも分からずに、ただ涙が零れて止まらない。
突然闇の中に外からの明るい光りが差し込んできた。誰かが遅れて入ってきたのだろう。
泣いてる顔を見られたくなくて俯けば、また直ぐに館内は暗くなった。
僅かな靴音と人の気配。
遅れてきた人は、入り口に近い隣の椅子に手をかけた。
「遅れて・・・ゴメン」
顔を上げたら、メガネにスクリーンの色を反射させた忍足君が困ったように微笑んでいた。
「ど・・・して、」
「正直、来るのを迷った。
でも今更やと腹をくくった。
やって俺は・・・婚約してるまでは知らなくても、
跡部の後ろで控え目に立ってるに惹かれてたからや。
なあ、お前を泣かせてるのは映画?それとも・・・俺?」
「私・・・」
「俺な、お前が好きや。
例え跡部の婚約者であっても関係ない。
俺の気持ちは俺とお前のもの。
だから、何度でも言う。俺はお前が好きや。」
大きな手が涙を拭うようにして頬を包んでくる。
彼の顔を映画の光りが白く照らし、あまりに眩しく思えて瞳を閉じた。
そして、ゆっくりと重ねられた柔らかな口づけを受け止めて、私はまた泣いた。
密やかな恋が始まった。
学校内では接点を持たない。
擦れ違う時に、そっと触れられる手だけでも心が震えて仕方ない。
人の少ない映画館だけが二人だけの場所。
肩を抱かれ、忍足君の体に身を預けるようにしてスクリーンを見つめる。
指を絡め、お互いが愛しい人の指先に唇を寄せた。
「跡部に話そう。俺はどうなってもいい。」
「でも、テニス部の方が、」
「辞めてもいい。」
「駄目よ!だって、テニスの特待生で来てるんでしょう?辞めたら・・・どうなるの?」
「テニス部辞めたら・・・学校も辞めるようになるかもな。」
「そんなこと、絶対駄目!」
「それよりは?こそ、どうなる?」
私は何も言えなくなる。
景吾さんと私だけの間で済む話ではない。
跡部家対家なのだ。
業務提携を続けている事業にも問題が出てくるかもしれない。
資金力としては遥かに力のある跡部家から手を引かれたら、私の家はどうなるんだろう。
「は跡部が好きなんか?」
「違う。」
「跡部にも、こうやって抱きしめられてる?」
「そんなこと」
「ゴメン・・・カッコ悪い嫉妬や。ゴメン、。何も答えんでいい。」
ぎゅっと力いっぱい抱きしめられて涙が滲む。
ゴメン、忍足君。
あなたを苦しめてるのは・・・私。私こそ、ゴメンナサイ。
恋をしたのは忍足君、ただ一人。
景吾さんは優しくはしてくれたけれど、どこかよそよそしくて越えられない壁があった。
あなたは信じてくれないかもしれないけれど、
景吾さんとはパーティーで紹介される時に手を取られたぐらいしか記憶がないの。
抱きしめてくれたのは忍足君が最初。
ファーストキスだって忍足君のもの。
私の心、全てを埋めたのは忍足君だけ。
ただ未来だけが、景吾さんと共に歩くようにと決められている。
恋が・・・こんなにも甘く、苦しいものだとは思ってもいなかった。
「お前、最近痩せたな。」
「そう・・ですか?」
「ドレスを採寸しなおした方がいいだろ。」
「・・・分かりました。」
食事が喉を通らない。
二人で歩き出した道には先が見えなくて、手を繋ぎながらも迷っている。
リタイアすれば傷つきながらも元の道へ戻れるだろう。
だけど繋いだ手は失われる。
そして、再び重なる日は二度とない。
「。こっちに来い。」
「なんですか?」
跡部邸のリビングだったから油断していた。
人の出入りがある部屋で、まさか私に触れてくるとは思ってもみなかったから。
肘を掴まれて引き寄せられたと思ったら、顎をつかまれて唇を寄せられた。
浮かんだのは忍足君の顔。
・・・と、ふんわり呼ぶ彼の優しいイントネーション。
「イ、イヤ!やめてっ!」
気づいたときには景吾さんを突き飛ばしていた。
2.3歩後ろに下がった景吾さんがジッと私を見据える。
我に返った私は震える唇を押さえて「すみません」と謝った。
「お前、俺が何も知らないと思っているのか?
他の男に恋してるお前に、俺が気づかないと思ったか?」
体中の血液が下がって、足元から床に吸い込まれていくような感覚に陥った。
膝が震えて立っているのも危うくなるのを必死で耐えていた。
「来い。」
「景吾さん!」
私は腕を掴まれ、唖然とするメイドさんたちに見送られて跡部邸を出た。
直ぐ車に押しこめられ、聞いた事もない番地を告げた景吾さんの隣で怯えるように震えていた。
車内は沈黙だけ。重苦しい空気に息も出来ない。
15分もしないうちに、白いマンション前に車が止まった。
「降りろ」
「ここは?」
「・・・初めてなのか?とにかく、来い。」
マンションのエントランスに来て初めて、景吾さんが何所へいこうとしているのかを知った。
ここだな、と呟いた視線の先に『忍足』という文字を見つけてしまったから。
そうだった。
彼はマンションに一人暮らしをしているのだと言った。
誘いたいけど、誘ってしまったら自分を抑える自信がない。
全てを奪いつくしたうえに、きっと帰したくなくなる。
自分でも怖い時があんねん。なんか・・・好きすぎて。怖いんや。
そう言って苦しそうに目を伏せると、私を抱き寄せた。
忍足君の住むマンションをこんなふうに景吾さんと訪れるようになるなんて。
引きずられるようにしてエレベータの中へ乗りこむと、景吾さんが黙って忍足君の部屋の階を押す。
どうしよう、私はともかく・・・忍足君はどうなるの?
私は景吾さんの前に回りこむようにしてエレベーターの扉を背にして立った。
景吾さんに今まで見た事がないような強い視線を向けられ身がすくむ。
それでも、忍足君だけは・・と思うの。
「私は忍足君が好きです。でも、それは私の勝手な片想いなんです。
許せないなら婚約は破棄してくださって構いません。
忍足君には何の関係もないこと・・・
だから、お願いです。こんなこと、やめて下さい!お願いします!」
答えない景吾さんの沈黙が満ちるエレベーター内にチンと到着のベルが鳴る。
「どけ、」
「景吾さん、お願いだから!」
縋るように腕をつかんだのに、簡単に振り払われてしまった。
よろけて閉まりかかるドアにぶつかる間に景吾さんは忍足君の部屋を目指して歩いていく。
「待って!」
忍足君からテニスを奪うことになってしまったら・・・私はどう償えばいいのか分からない!
目の前で景吾さんがインターフォンを押してしまった。
『お願い、留守でいて』と祈るような気持ちで景吾さんの腕を再びつかんだ。
「景吾さん、お願い。忍足君からテニスを取り上げないで?お願い、」
イライラした様子で繰り返されるインターフォン。
その時、中から『はい?』と忍足君の声がした。
「俺だ」
『跡部?ちょっ、待ち』
ああ、忍足君は私の話に合わせてくれるだろうか。
いいえ、きっと彼は景吾さんに告げてしまう。
自分の処遇も顧みずに・・・私を好きなのだと言ってしまう。
中からバタバタと音がし始めた時、ボソッと景吾さんが呟いた。
「初めてだな、お前がそんな剥き出しの感情を見せたの。」
「景吾さん・・?」
「俺はお前が思ってるほど小さい男じゃないんだよ。」
ガチャっと音がして、中から扉が開く。
徐々に現れる忍足君の瞳が私を映し、驚愕に見開かれていく。
突然、景吾さんが開いてくる扉のノブをつかみ勢いよく開いた。
つられて忍足君が前のめりになり、それにぶつけるかのごとく私の背中は景吾さんの手によって押されていた。
「!」
咄嗟に忍足君が叫び、私の体を受け止める。
温かな胸に抱かれた時、背中から景吾さんの笑いを含んだ声がした。
「Happy Birthdayだ。俺様からのプレゼント、大事にするんだな。」
「跡部・・・」
「明日の朝練、遅刻するなよ。青学との交流試合が近いんだからな。」
「もうちょっとでプレゼントを略奪するとこやったわ・・・おおきに。」
「ふん。俺の誕生日はファーストフードだったのによ。割にあわねぇ。」
私は振り返り景吾さんの顔を見た。
彼は今まで長く見てきた中で一番、優しい目をしていた。
「俺は人の敷いたレールを走るなんて趣味じゃないんだ。
いつかはお前を解放してやらなければと思っていたが・・・お前のためには早いほうが良かったんだろう。
だから気にするな。何も変わりやしない。
俺は全てを俺が選ぶ。お前も自分の事は自分で選べばいい。
それが自然で・・・一番後悔がない。」
じゃあなと、景吾さんが背を向ける。
私と忍足君は寄り添って、閉まっていく扉の向こうに消えて行く景吾さんの背中を見送った。
扉が閉まれば、明かりをつけてないマンションの玄関は暗い。
その中で忍足君と私は見つめあった。
まるで映画館の中みたい。
「お誕生日だったの?」
「いや・・・実は明日なんやけど。」
「教えてくれないから」
「教えても一緒に居られないのは辛いと思うてな。けど・・」
「けど、なに?」
「ずっと一緒にいてくれたら、夜の12時には最高の誕生日プレゼントになる。」
驚く私の左手をとると忍足君が恭しく唇を落とし微笑んだ。
「ずっと傍にいてくれるやろ?」
選ぶのは私。
これからの未来は全て私たちで選んでいこう。
だから・・・ずっと傍にいるよ。
「ずっと傍にいて〜忍足編〜」
2006.09.08
無駄に長いですが・・・誕生日おめでとう
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