ずっと傍にいて 〜真田編〜 (前)










私は立海近くの県立高校に通っている。
真田君を知ったのは本当に偶然だった。


通学する朝の電車内で私は小説を読んでいた。
クラブの朝練のため早く出たその日は、いつもの混み具合よりは随分マシだと思っていた。
けれど街の中心地へ出て行く乗換駅が近づいてくるにしたがって、流石に人が多くなる。
小説を読むのも辛くなってきて、しおりを挟もうとしたらウッカリ落としてしまった。
慌てて体をかがめ拾おうとした時、電車が揺れて誰かが背中にぶつかった。
不意打ちで背中を押された私は前のめりになって、目の前に立つ人に思いっきり縋ってしまった。



『ごめんなさい!』
『いや。大丈夫か?』



私の肩を支え見下ろしていた彼。
あまりの近さと恥ずかしさに体を離そうとしたら、ツンと髪が引っ張られ痛みを感じた。



『まて、動くな。ブレザーのボタンに髪が引っかかっている。』
『え?ご・・ごめんなさい。』



彼の胸に飛び込むような格好になってしまった私の髪は彼のボタンに絡まってしまっていた。
頭を傾けたままの情けない姿で彼が髪をほどいてくれるのを待つ。
大きな手がボタンに絡まる私の髪をなんとか外そうとしてくれているが、なかなか上手くいかないようだ。
途中電車が揺れるたび、彼はサッと私の肩を支えてくれた。


初対面の男の人。それも、違う学校。
背が高い人。端正な男っぽい顔立ちを視界の隅に収めると、勝手に胸がドキドキしてくる。



『外れないな。俺のせいで、よけいに絡めてしまったようだ。すまない。
 とにかく電車の中は不安定で集中できん。次で、一度降りてくれ。』



え、でも・・・と、私が躊躇っているうちに停車駅につき扉が開いた。
彼が歩き出すと、髪が絡まってる私もついて行くしかない。
今まで通り過ぎる事しかしたことのない駅に降り立ち、彼は人ごみを避けた自動販売機の横に私を連れて行った。


肩にかけた大きな黒いバッグを下ろし、自販機に立てかける。
それがテニスバッグだった。



『あ・・あの、ごめんなさい。迷惑をかけてしまって。』
『いや。・・・やはり無理か。』


『だったら、あの・・髪を切ります。ちょっと、待ってくださいね。』



私は髪を引っ張られ頭を傾けたまま、カバンの中に入れてあるソーイングセットを探ろうとした。


その時、ブチッと音がして私の頭は自由になっていた。
彼が自分のブレザーのボタンを引きちぎっていたからだ。



『ボ、ボタン!どうして、』
『長い髪を切るのは勿体無いだろう。』



彼はほんの僅かに口元を緩め、千切れたボタンごと私の髪を手のひらに乗せて差し出してきた。
周囲には沢山の乗客、ざわめき、朝の慌しさが満ちていたはず。


なのに私には彼しか視界になかった。
節のある長い指とマメで硬くなった大きな手のひら。



『ああ、いかん。遅れてしまうな。俺はここで出る。じゃあな、』



彼はサッとテニスバッグを背負うと歩き出そうとする。



『あ、あの!このボタンは?』
『ん?ああ、かまわん。売店に幾らでも売っているだろう。』



そういうとボタンの取れたブレザーを気にするふうでもなく颯爽と階段を昇って行ってしまった。
私の掌に残されたのは髪の絡まった彼のボタンが一つ。



それが、そう・・・始まり。





翌日から、私は同じ時間の用もないホームに降り立ち彼を探した。
カバンの中には綺麗にしたボタンとお礼のクッキー。
立海の生徒が使う駅に他校の制服を着て立つのは目立ってしまい居心地が悪いといったらなかった。
でも、もう一度彼に会ってお礼を言いたい。
その一心で、電車の中からホームまで一生懸命に彼の姿を探した。



そして、見つけたの。
三日目の朝。ホームに降りた私は見覚えのある大きなテニスバッグを見つけることが出来た。
同じ電車に乗っていたんだと悔しく思いながら、人ごみを掻き分けて彼を追う。
歩くのが早い彼。息を弾ませて、やっと後ろから声をかけたのに気づかれず・・・仕方なく前に回りこんだ。


ハッと瞳を大きくした彼が「ああ、」と小さく呟く。



『こ、この前は、ありがとうございました!あ、あのっ、これ・・・』



あたふたとカバンから包みを引っ張り出してきて差し出す。
ん?と、首を傾げる彼に赤面するのを感じつつ、家で練習してきた言葉を口にした。



『ボタンです。それと、あの・・お礼です。たいしたものじゃないけど、どうぞ!』
『わざわざ、これを渡すために待っていてくれたのか?』



緊張したままコクコクと、ぎこちなく頷けば『そうか、悪かったな』と穏やかな声がした。
既に彼のブレザーには新しいボタンがついていて、本当にボタンなど必要ではなかったのだと思う。
けれど彼は微笑んでくれた。



『ありがとう』と。



私はのぼせ上がった頭で思考は停止状態。
ロボットのようにペコペコと頭を下げると、彼から逃げるように背を向けホームへと走った。
とにかく体中が心臓になったくらい鼓動が激しく、頬が熱かった。



その翌日だ。
ホームに滑り込んできた電車のガラス扉の向こうに彼の姿を見つけたのは。
唖然としながら開いたドアに乗りこめば、脇に避けた彼に『おはよう』と声をかけられた。



『お・・おはようございます』
『昨日は、わざわざすまなかったな。クッキーもありがとう。・・・うまかった。』


『あ・・よかった。でも・・・ビックリした。』
『ん?』


『さっき。入ってきた電車に乗ってたから、すごい・・偶然だと思って。』
『いや。同じ時間の同じ車両なら会えるかと思って。』


『え?』
『ちゃんと礼を言いたかったからな。』


『あ・・りがとう』



火照ってきそうな頬を抑えながら呟くと、彼が瞳を細めた。
それから私たちは少しずつ話をした。


彼はテニス部に所属していて毎日朝練があること。
私は吹奏楽部の朝練に参加していること。大会が近くなると集中して朝練が続く事などを話す。
彼が降りる駅まで15分足らずを、私たちは混んでいく電車の中で囁きあうように会話した。


じゃあ、とホームへ降りていく彼を見送る。
彼が私を振り返り軽く頷いてくれたから、私も小さく遠慮がちに頷いた。



約束があったわけでもない。
けれど、その翌日も彼は同じ車両のドア近くに立っていた。
翌日も。翌々日も。ずっと。



恋をしているのだと気づくのに時間はかからなかった。



クラスの男の子達とは何処か違った雰囲気を纏っている彼。
同じ三年生だと知って、彼は私のことを『年下だと思っていた』と笑った。


彼の言葉に。表情に。仕草に。
私は面白いくらい反応しドキドキを繰り返す。


彼の姿を見つけると恥ずかしくも嬉しくて、考えていたことも上手く話せない私。
彼が電車を降りると途端に寂しくなって胸が一杯になる。


毎日毎日、彼を好きになっていくのが分かる。





名前を教えあったのは随分たってから。



彼のラケットバッグに揺れている『G.SANADA』と書かれたネームフォルダー。
見つめずにはいられない私の視線に気づいた彼が納得したふうに頷く。



『そうだったな。お互い、名前を教えていなかった。俺は真田だ。真田弦一郎。』
『あ・・私は、です。』



彼が弦一郎という字を自分の大きな手のひらに書いて見せてくれた。
私も自分の手のひらに書こうとして、ふと思いつき曇った電車の窓ガラスに名前を書いた。



『うむ。いい名だな。』



ガラス窓を見つめて真田君が呟いた。
それほど好きだった名前じゃなかったけど、真田君の一言で自分の名前が大好きになった。





そして私は朝練が終わってしまった後も変わらぬ時間に電車に乗るようになっていた。
ただ、大好きな人と過ごす15分間のために。



















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