遣らずの雨 最終章
が出て行って直ぐに柳生が教室に戻ってきた。
自分の顔を見るなり「さんは?」と訊ねてくる柳生に初めて腹立たしさを感じた仁王。
投げやりになる気持ちを抑えて、ぶっきら棒に答えた。
「帰ったぜよ。」
「彼女に渡すものがあって待っててもらったのに勝手に帰るなんて。
仁王君・・・さんと何かあったんですか?」
の事なら、何でもお見通しか。
苦々しく思いながら立ち上がり、窓辺に背中を預けて外を見た。
ポツリポツリと雨が落ち始めたようだ。
「には、今フラレタところじゃ。
クールビューティーな女じゃけ。柳生も苦労するかもしれんが、まぁ頑張りんさい。」
「どういうことですか?彼女から別れを?私が苦労するとは、どういう意味ですか?」
「アイツにとって柳生は特別じゃろ。お前さんの前では、可愛らしゅう笑うようやしの。
お前さんも満更じゃないようやし、そうなったら身を引くんは俺ぜよ。」
「君は・・・それを彼女に話したんですか?」
「おお。そしたら『お役御免ね。ありがとう。ばいばい。』じゃ。あっさりしたもんよ。」
柳生が唇を強く引き結んだまま黙り込んだ。
握り締められた柳生の拳が震えているのに気がついた仁王がその表情を窺おうとした瞬間、
柳生に襟元を掴まれ引き寄せられた。
なに?と思った時には鋭い痛みが左頬に走り、近くの机に体がぶつかって派手な音を立てた。
よろけた体勢を立て直し振り向くと、怒りで体を震わせている柳生が立っていた。
「なにするんじゃっ!」
「君が馬鹿だからです!さんの変わりに私が殴ったんですよ!」
「何を言っとるんか分からんが。感謝されることはあっても、お前に殴られる覚えはないがっ。」
「感謝なんか私がするとお思いですか?軽蔑する事はあっても、感謝なんかしやしません。
君は大馬鹿者です。彼女が・・・さんが、どんなに君を想ってきたかも知らないで。
今まで何を見てきたんですか?」
仁王の口の中には鉄の味が広がっていた。
紳士とあだ名される柳生が本気で怒り、手を上げた事に驚きが隠せない。
柳生は心の底から湧いてくる怒りを抑えきれずに、全てを仁王にぶつけるつもりだった。
そうでなければ、大事なパートナーに手を上げたりしない。
今にも泣きそうな顔で無理した笑顔を浮かべるの顔が頭の中でちらついて切ないのだ。
「君は自分の恋をさんに身代わりさせた。」
「それは、も理解した上じゃ。俺は、には嘘をつかんかった。」
「ええ、彼女も言ってましたよ。君は自分には嘘をつかないと。悲しそうに・・・笑ってました。
君は考えたことなかったんですか?さんが何故ああも君に優しかったのか。
君の我儘を無条件で受け入れるのは何故か。
私が教えてあげます。
彼女が君を好きだからだ。ただ一途に。どんなに傷ついても君のことを想い、君のためにいようとした!
君が自分ではない人を想っていても。君にどんな扱いを受けようとも。君が好きだから耐えたんだ!
君だって知ってるでしょう?
好きな人が自分を見ていない悲しさを。君はまだいい、さんを身代わりに出来たから。
彼女はどうすればいいんです?
私に彼女を救えるはずがない。私はね、自分だけを見てくれる人がいいんです。
君を一途に想い続ける彼女が私を好きになるはずなどないのに、痛みを背負ってまで恋をしようなんて思いません。
私はそれほど馬鹿じゃない。分かっていて君に恋する彼女みたいに・・・馬鹿にはなれない!」
瞬きも忘れた仁王の顔を柳生は見据えた。
これで駄目なら、自分にも考えがある。強い意思を込めて、最後の言葉を口にする。
「彼女は『君が好きだったさん』に負けないほど一途に君を想っていたんです。
さぁ、どうしますか?今ごろ彼女は一人で泣いているでしょう。
君は知らないでしょうが。彼女は声も立てずに静かに泣くんです。
痛々しくて見ていられないほど、切ない泣き方をするんですよ。」
机が動く大きな音が人気の無い教室に響き渡る。
同時に「すまんかった、」という呟きと一緒に教室を飛び出していった仁王を柳生は振り返らなかった。
ただ、窓の向こうに落ちてくる雨粒を見て。
早く雨宿りができたらいいのだが・・・と、思った。
柳生の言葉が頭を巡る。
なんで気づかんかった?俺はアイツの何を見とったんじゃ。
自分だけが苦しい恋を選んで傷ついちょると思いこんじょった。
は大人で、人を受け入れる度量があって、男との付き合いに慣れちょると何を根拠に考えた?
初めてキスした時、長い睫毛が震えちゃせんかったか?
初めて抱いた時、辛そうに耐えちゃせんかったか?
何がペテン師じゃ。
俺が騙されて、どうする?情けない。
早く。早く、見つけちゃらんと。
は、雨の好きな女じゃけ。きっと、傘も差さずに濡れちょるはずじゃ。
自分の居場所は探知機でも持っているのかと疑うほど的確に探し出していた。
心当たりの場所を片っ端から探しながら、実はもこうやって自分を追い探してくれていたのではと思い当たった。
そんなことはおくびにも出さず笑っていたけれど・・・はいつも自分を追っていてくれたのかもしれない。
そう思うと胸にせまるような想いが仁王の中に湧いてきた。
体育館の裏から順に探していって、出会った音楽室も覗く。
靴箱に靴と水色の傘が残っているのは確認済みだ。校内の何処かにはいるはずだった。
最後に雨の降る屋上に向かった。
残りはここだと、上がる息もそのままに重い鉄の扉を開いた。
ギギッと錆びた音が外に響き、同時に吹きつけてくる風が雨粒を舞い上がらせた。
思わず目を細めた先、遠く屋根もないフェンスの前に背を向けて蹲る小さな背中があった。
やっぱり雨にぬれているに近づきながら、自分の気持ちが目の前の『』にピントを合わせていくのを感じている。
寒さなのか、泣いているのか。小刻みに震えている背中の直ぐ後ろに立った。
濡れた薄茶の髪に触れると、膝に顔を埋めたままのが小さく身じろぎした。
「また・・心配して来てくれたの?ごめんなさい。いつも、こんな所ばかり・・・柳生君には見られてしまうわね。」
明らかに涙に濡れている声で気丈な話し方をするを黙って見下ろす。
自分の知らない場所でが泣いている時、いつもこうやって柳生が傍にいたのだろう。
髪に触れたのが自分だとは知らずに話し始めたに胸が痛んだ。
の後ろに跪き、想いを込めて髪を撫でた。
するとの肩が更に震える。
「もう、いいの。分かってた事なのよ。いつか・・・仁王に私は要らなくなる。覚悟はしていたの。
大丈夫だから・・・本当に・・・ありがとう、柳生・・・君。」
最後は堪えきれなかった嗚咽が言葉を不明瞭にしたが、は力を込めて声を飲み込む。
口元を覆い全ての感情を内に閉じ込めようとする泣き方は見ていた柳生にも辛いものだったろう。
すまんの、柳生。
心の中で詫びて、そっと雨に濡れた肩を背中から抱きしめた。
「泣く時は声を出して泣きんしゃい。それと、次からは俺の腕ん中で泣くことじゃ。」
ハッとしたが顔を上げた。
逃れようとする背中を強く抱きしめて、その耳元に口づけると甘い雨の匂いがした。
「逃げなさんな。
俺は、お前さんのペテンにまんまと嵌められてしもうたらしいの。この借りは返さんと気がすまんぜよ。」
「どうして・・・ここに」
「やっぱり、お前さんが惜しくての。柳生に一発殴られて、返して貰うたんじゃ。」
言葉も出ないの緊張が抱きしめる仁王には痛いほど伝わってくる。
安心させるように、髪に、耳に、うなじに唇を柔らかく落とした。
慣れているはずの肌なのに、に触れると自分の胸がドキドキとして熱くなるのが不思議だ。
恋とは、そういうもんか・・・と可笑しくなった。
「お前は、ずっと俺の傍におりんしゃい。誰のもとにも行ったらいかんぜよ。
俺だけを見て、俺だけを好きでおるんが条件じゃ。
それが守れるんじゃったら、俺もお前だけを見て、お前だけを好きでおる。
お前さんだけの傍におると・・・約束する。どうじゃ、約束できるか?ん?、よ。」
腕の中。
僅かに頷くのを確認した仁王は笑みを深くして、更に強くの体を抱きしめた。
零れてくるの泣き声とセメントを打つ雨の音。
けれど、どこか優しい雨だった。
今年は本当に雨が多い。
水不足とは縁がなさそうな天気を見上げながら、仁王は透明のビニール傘を差した。
部室の前にはが立っている。
真田を待っているのだろうが、後輩に説教している真田は未だジャージ姿だった気がする。
「あ、仁王君。」
仁王に気づいたに微笑み返し「ちと待っちょれよ」と部室内に顔を突っ込む。
「真田!彼女が雨の中、待っちょるぜよ!」
声をかければ「ああ、」という顔をした真田が後輩の頭を軽くゲンコツで殴ってから外に顔を出してきた。
「すまない、すぐに着替える。、寒くはないか?このジャージを羽織っておけ。」
サッと立海のレギュラージャージを脱ぐとの肩にかけて真田が奥に引っ込んだ。
恥ずかしそうに渡された大きなジャージに腕を通すを穏やかに見ていた仁王は肩を叩かれて振り返る。
柳生がメガネを上げながら、軽くに会釈した。
「お待たせしました、行きましょうか。彼女もお待ちでしょう。」
「おお。アイツのことじゃ、どうせまた楽しげに外で待っちょるじゃろ。それじゃあの、。」
も微笑んで二人に頭を下げた。
真田のジャージに包まれたは、とても可愛らしく幸せそうに見える。
だが、それだけのこと。
仁王は自分を待つの事を思い浮かべながら雨の中へ踏み出した。
二人でフォーメーションについて語りながら歩いていたら、柳生が「ほら、」と傘を動かした。
視線の先、古びた文房具屋の軒先にしゃがみ込んで繋がれている犬の頭を撫でているがいた。
水色の傘は折りたたまれて、脇に立てかけられている。
「雨に濡れるのが好きなんでしょうか?」
「そうかもしれんな。『遣らずの雨』いう言葉を教えてくれたのもアイツじゃったか。」
「遣らずの雨。昔の言葉ですね?」
「帰ろうとする恋しい人をひきとめる雨のことじゃと。」
「なるほど、ロマンチックな言葉ですね。」
「俺の場合は反対じゃが。」
「と、いいますと?」
「雨も降り出したし早う帰れという薄情な恋人に、頼むから傍に置いてくれとお願いするんじゃが。どう思う、柳生?」
「惚気なら、ご遠慮します。独り身には堪えますから。」
「そんなつもりはないんじゃが。」
「今更、私を牽制しても意味はないですよ。」
こりゃ、マイッタの。ケラケラと明るく笑う仁王に柳生も頬を緩めた。
笑い声に気づいたが二人に気づき、ゆっくりと立ち上がった。
仁王は想いを込めて恋人の大事な名前を呼ぶ。
「!待たせたの」
薄く煙った景色の中で、呼ばれたが微笑んだ。
雲に差し込んできた陽射しの様に
あたたかく優しい笑顔がそこにある。
そろそろ雨の季節も終わる。
だが、雨が上がっても。
ふたりは、ずっと傍にいる。
「遣らずの雨」
2006.01.01
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