遣らずの雨 7
出会わなければ良かったと、どうして言えるだろう。
私にとって仁王は全て初めての人。
人を好きなるということも、キスも、それ以上も、全部・・・彼が教えてくれた。
そんなこと仁王は考えもしないだろうし気にも留めないだろうけど、
私にとっては色のない世界に彩を与えてくれた大切な人。
『』と呼ばれても私を呼んでいるのではないと知っている。
私という人間を通して見ているのは別の彼女。
抱きしめられても口づけられても、目を閉じた仁王は『もうひとりの』を抱きしめ口づけてる。
仁王は何もいわないけれど、子供の頃から親の顔色を見てきた私には分かってしまう。
人の心を敏感に感じてしまう嫌な癖は抜けないもの。
でもね、苦しい恋を選んだ仁王に私という存在は必要だった。
それが嬉しい。私は両親にさえ要らないと言われた子供だから、誰かに必要とされることを切望していた。
『』という名前で良かった。仁王が甘えてもいいと利用できる私で良かったと。
そう、思う。
「あ、あなた」
職員室へ続く廊下で声をかけられた。
しまった、と瞬間思ったけれど、この場合は逃げられそうもなかった。
目の前には仁王が恋する『』が立っていた。ご丁寧に後ろには真田君つきだ。
相変わらず眉間に皺を寄せ難しそうな顔をしている真田君に『彼のどこがいいのかしら?』と頭をよぎる。
仁王のほうが優しそうなんだけどな。
彼女はチラッと真田君を見てから、おずおずと話しかけてきた。
「この前はテニスコートに連れて行ってくれて、ありがとう。」
「いえ。」
「あの・・・どうしてかと気になってて。あなたは、仁王君の?」
「仁王は関係ない。私が勝手にしたことよ。気にしないで。じゃあ、」
「あ、待って!あなたの名前を」
心臓が凍るかと思った。なにも下の名前まで教える必要はない、苗字を言えばいい。
分かっているのに唇が震えるのが分かった。
「ああ、ここに居ましたか。探しましたよ、ほら・・・先生が呼んでます。」
ハキハキとした声に振り返ると柳生君が足早に近づいてきて私の肘を掴んだ。
彼女と真田君に視線を寄越すとニッコリ微笑み「すみません、お話し中のところ。ちょっと急ぎなので」と私の肘を引っ張る。
私は一応、彼女に向かって「ごめんなさい」と笑顔で頭を下げて柳生君について行った。
肘を掴まれたまま職員室の方に廊下を曲がる。
けれど職員室の前は突っ切って、階段を下りて昇降口に連れていかれた。
階段を降りながら私は訊ねた。
「ね、私・・・うまく笑えてた?」
「多分。彼らは騙せたでしょう。」
「そう、よかった。」
「私には泣き顔に見えましたけどね。」
「柳生君は特別よ。」
人気の無い昇降口まできて、肘を開放してくれた柳生君が「少し乱暴でしたね、すみません」と謝ってくれた。
本当に好い人。こんな人を好きになる子は幸せだろうなと思う。
「さん、もう・・・やめなさい。君が言えないのなら、私が仁王君に言ってもいい。」
「何を?」
「君が仁王君を想っているということです。そうすれば、彼も目が覚めるかもしれない。」
「それは、ない。私の想いを知っても仁王は変わらないと思う。それに仁王が逃げ帰る場所がなくなるでしょ?」
「本気で言ってるんですか?そこまで君が犠牲になる必要はないんです。
君はいったい、そこまで仁王君のために生きるなんて、余程の馬鹿か・・・」
深く彼を愛しているかの・・・どちらかですよと、最後の一行は柳生君の腕の中で聞いた。
「私は君に対する恋愛感情はありません。だけど、君があまりに痛々しくて、このままでは壊れそうで堪らないんです。」
「大丈夫よ、私は柳生君が考えてるより強い。でも、ありがとう。あなたは本当に温かい。」
棒みたいに突っ立ったまま柳生君に抱きしめてもらった。
ああ親とか兄弟って、こんな感じなのかしら?と思ったら涙が出そうになった。
仁王に抱かれていても体の芯は冷えたまま。だけど柳生君の腕の中は、ただ温かい陽だまりみたいだった。
ねぇ、あなたに抱かれて。
こんなにも優しい温もりを与えてもらう事が出来たなら、どんなに幸せかな。
望めないからこそ、憧れて恋しいのかもしれないね。
私の人生には、得られないものが多すぎる。
それは、偶然だった。
外に出て授業をサボっていた仁王は次の授業に向けて戻ってきた所だった。
誰もいないはずの昇降口で、を抱きしめる柳生を見て「やっぱり、か」と思った。
立ち聞きするのも気が引けると、そのままUターンして再び外に出た仁王は体育館裏に向かった。
いつもの階段に腰をおろし、空を見上げる。
久々に空は青く、太陽が眩しい良い天気だった。
「柳生に悪い事したのう」
声に出して言ってみたが、どうもしっくりきてない自分がいた。
手近にあった小石を拾い、ブロック塀に投げてみる。カツンと乾いた音がして小石が飛んでいった。
それを何度か繰り返し、飽きた仁王は大きく溜息をつくと膝の間に顔を埋める。
『』に続いて『』も失うとなると・・・結構、イタイ。
他の奴ならを渡しはしない。
だが、相手が『柳生』ならば特別だ。
「マイッタ、」
仁王はもう一度呟いて、青空を見上げた。
それから後。仁王は意識して、と柳生の姿を目で追った。
教室や廊下、体育の時間など同じクラスの二人を同時に見つけるのは容易い事だった。
誰にでも親しくするタイプでないは自分に似ていると直感で感じていたが、やはり一人でいる時間が長い。
だが、柳生だけには笑顔を見せて話していた。
が柔らかく微笑む姿を遠目に見ながら、あんな笑い方も出来るのかと思う。
あまり感情を見せないの知らない一面を知り、何故か胸がムカムカした。
二日ほど直接はに会わず柳生にも何も聞けずに愚図愚図としていた仁王だったが、
いい加減ケリは早くにつけたほうがいいとホームルームの終了と共に上階を目指した。
特別クラスは終わるのが若干遅い。まだ、教室に二人が残っていると踏んでのことだ。
だが予想に反して教室に残っている生徒は少なかった。
柳生の机にはカバンが残っているが本人はいない。は窓際で空を見ていた。
「また、雨がふりそうじゃの。」
「どうしたの?上にくるの珍しいわね。柳生君なら職員室に行ったわよ。」
は仁王の姿に驚いたが、柳生に用事があるのだろうと思った。
自分に会いに教室へ来る事など、今まで一度もなかったからだ。
は前の席に腰をおろした仁王の様子を見ながら帰り支度をはじめる。
「いや、柳生にも話があったが。まずは、お前にも聞いちょこうか。」
「なに?」
「お前・・・柳生のことは、どう思うちょる?」
「柳生君のこと?いい人だけど?」
「いい人は、男にとっちゃあ褒め言葉じゃないぞ。」
「でも、いい人よ。」
あーと、何故か言葉が出しにくくて顔を背け考えてから、核心に入ることにした。
は仁王らしからぬ歯切れの悪い会話に首をかしげる。その先に、どんな言葉が待っているかも知らずに。
「いや、ドライなお前のことじゃ。誰も好きじゃないとは思うちょったが・・・
柳生がお前さんを好いとうとしたら、さすがに俺もお前との関係を続けるわけにもいかんじゃろと思うてな。」
「どういう・・・意味?」
「じゃから。親友が好きな女と寝るわけにもイカンじゃろが。」
の瞳が大きくなった。だが、仁王はを見ていない。
前の椅子に横座りした仁王は教室の入り口に視線を彷徨わせながら話していた。
「仁王は・・・平気なの?」
「俺は、まぁ大丈夫じゃ。みたいな、いい女をまた探すかの。」
「私も、いい人なのね。褒め言葉じゃないんでしょ?」
「いや、俺は本心で褒めちょるが。」
ガタンと音を立てて、が立ち上がった。
突然の音に顔を上げると、カバンを手にしたが瞳を細めてニッコリと微笑んだ。
「私、お役御免ね。」
「そう、なるかの。」
「今まで、ありがとう。」
「いや、こっちこそ。」
「じゃ、ばいばい。」
「おお、ばいばい。」
奇麗な笑顔を残し、は教室を出て行った。
あまりに呆気なく別れを告げて去っていった。
彼女の姿が見えなくなったドアを暫く呆けて見送っていた仁王は前髪をかきあげて溜息をつく。
「あっさりしたもんじゃのう。」 こっちは胸の中に穴が開いた感じじゃが。
が居なくなっては甘える人間もいないし困った事だと思いながら、頬杖をついて今にも泣き出しそうな空を見上げる。
痛む胸は自分だけだと。
仁王は知らずに、また大きな溜息をついた。
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