爪あと
きりりと爪をたてる。
ベッドの上にころりと仰向けに寝転がったまま、セトは左腕を天井に翳してじっと見つめていた。
「・・・・・・なに、やってんだ?」
すぐ隣から不機嫌そうな声が聞こえてきてくすりと笑う。
「別に」
「んなもの、見てるなよ」
手を翳したまま、セトは横を向く。そこにはテッドが、自分とは対照的に枕を抱えてうつ伏せになっていた。テッドはセトが紋章を見ているとでも思ったのだろう。不機嫌な表情でちらりと彼を窺う。
「んなもの見てると碌なこと考えねぇぞ」
「違うよ、僕が見ていたのは紋章じゃない」
「違う?じゃあ、なんだってんだ」
「ひみつ」
答えると、テッドの顔がいっそう引きつってしまった。
「ああそう」
彼は短く言うと、本格的に枕にぼふりと頭をうずめてしまった。このまま寝てしまうのだろうか。
別に本当に秘密にしたかったわけではない。
だが今更言うのもおかしいかと思って黙ったまま、今度は両手共を翳した。確かにこうしていると、左手の甲に浮かんだ黒い渦のような紋章がよく見える。
だがセトが目を離せないのはそれではない。
見慣れた、自分の指の先。
セトはまた小さく笑うと、自分の指先に小さくキスをした。
指の先の、その爪にほんの僅かだけ血の味がする。ちらりと横を見ると、テッドの肩には幾状も走る傷があった。
おかしいな、と思う。
いくら我を忘れたからって、だからってしがみつくあまり彼を傷つけてしまうなんて考えもしなかった。そのせいか最初に彼の背や肩に傷をつけてしまったと知ったときは、随分ショックだったように思う。
だが今では、そのことがどこか嬉しくなってきている。
前は誰かを傷つける、なんて自分に許されるわけはないと思っていた。
自分は守るだけが役目だ。
それ以外は、求められてはいない。
小間使いとしても、また、騎士団員としても。
そして、軍主としても。
敵は退け倒すが、周囲にあるものは皆、守らなければならない。
だからセトは一度味方についたものは決して傷つけない。
「・・・・・・テッド、寝ちゃった?」
セトの声にテッドの頭がもぞりと動いた。どうやら寝てはいないらしい。
セトは狭いベッドの中ごろりと寝返りを打つと彼の背中に圧し掛かった。途端にくぐもった声で「重い」と文句が返ってくる。
「だって寝てないでしょ、テッド」
「お前は起きてる奴にならんなことしてもいいと思ってんのか」
「起きてるテッドにならいいかなと思ってるよ」
「あのな・・・っ」
テッドの声が途切れた。
セトがぺろりとテッドの肩を――――彼につけた傷を舐めたからだ。
「痛い?」
「・・・・・・・・・・・・お前な」
訊ねると、重い重い声が返ってきた。どうしたんだろうと思っていると不意に手を取られて引き寄せられる。気がつけば唇が重なっていた。
唇はすぐに離れた。だがセトの手を取ったままのテッドが半身を起こして今度はセトに圧し掛かった。
「人が寝ようとしてるときになにやってんだよ」
「傷が痛いからうつ伏せで寝るのかなって思って」
だから治さないといけないなと。
そう言うとテッドはぴきりと引きつるように笑った。
「だからそういうことするなって」
「どうして?」
「・・・・・・また」
したくなったら困るだろ。
答えが囁かれたのは耳元だった。
だがテッドは囁いた言葉だけを残してセトの上から退くとその横にまた寝転がった。
「・・・・・・テッド?」
「・・・・・・・・・うるさい」
「したいんじゃないの?」
「うるさいっつってんだよ」
「だって」
「だってとか言うな」
「僕は困らないよ」
そっぽを向いたテッドの肩がぴくりと反応した。胡乱な目でセトを見る彼に、小さく笑って見せる。
「僕は困らない」
「・・・・・・お前の方こそ、痛いんじゃないか」
「大丈夫だよ、君、優しいから」
今度こそテッドの顔が苦々しく歪んだ。
「俺は優しくない」
「優しいよ」
「優しくない」
言い聞かせるように繰り返す彼に、セトは小さく溜息をつくと、それじゃあ、と手を伸ばした。テッドが訝しげに自分へと伸ばされた手を見ている。
「証明してみせようか?君が優しいって」
「・・・・・・・・・・・・・・・ホントに、お前は・・・・・・」
あきれ返ったテッドがその手を取る。
自然とまた寄せられた唇に、ゆったりとセトは目を閉じた。
気がつけば、やはり意識は途切れがちになってしまう。
どうして人にはこんな快楽があるのだろう。
意識をも呑み込むような、その快感は必要なものなんだろうか。
「・・・・・・なに、考えてる」
「べ、つに」
意外としっかりとした声が不機嫌そうに訊ねてくる。それに僅かに残った理性をかき集めて平然と答えを返す。それでもどうしても、声は上擦ってしまった。
はぁ・・・と吐く息は熱い。それはセトもテッドも同じだ。
息の温度が混ざるキスを交わす。
そのまま引き寄せられて、身の内に深く沈んだ熱が動く。ん、と声を漏らしながらもセトもまた、両手を彼の背へと回した。
縋りつく。
テッドは優しかった。
口ではなんのかの言いながらも彼の動作はひどくセトに優しい。
セトが苦しそうな表情になれば必ず様子を窺うように動きを止めた。時折ひどく強引になるときもあったが、それも本当にセトが嫌だと言えばきっと止められるのだろう。実際嫌だと本気で思うことはなかったからそんなことは言わなかったが。
優しい、ということだけでセトは戸惑う。
身を繋げることには慣れたと言っても、やはり痛みが伴う。
だが痛みだけであれば、こんなに彼に縋りつくことにはならないだろうと確信もしている。
「ん・・・、ふぅ・・・っ」
「・・・・・・苦しい、か?」
「くるしぃ、よ」
答えればやはりというかテッドの動きが止まった。彼は眉根を顰めてそれでもセトの言葉を確認しようと顔を覗き込む。だがセトは上気した頬を歪めて笑うと、また彼にしがみついた。
ぎりり、と爪を立てる。
「つっ・・・!」
「くるし、けど・・・・・・君も、だろ?」
ちゅ、と彼の顎にキスをした。
「・・・・・・てめ、いー度胸じゃねぇか・・・・・・」
ひくりとテッドがひきつる。
「だって、お互い様じゃ・・・・・・っ!」
セトの声が途中で裏返った。前触れもなく動きはじめるテッドに、びくんと背が反り返る。彼の肩に伸ばされた指が、今度は無意識のうちに爪を立てる。だがテッドは痛みに僅かに顔を顰めただけでもう止まることはなかった。
その後は、もう。
意識と理性は呑み込まれて、流されるだけとなった。
ぱちりと目を開くと、目の前にテッドの肩が見えた。
「・・・・・・?」
「目、覚めたか?」
「あ、うん」
どうやら気がつかないうちに本当に意識を落としていたらしい。テッドがセトの体を抱きこんでいる。
起き上がろうとした体は、だがすぐにテッドの腕に動きを遮られて止まった。すぐそばにある彼の顔を見上げると、なんとも渋い表情になっていた。
「・・・・・・なんでそんな、おもしろい顔になってるの?」
「おもしろい言うな」
「じゃあ変な顔」
乱暴に、テッドは動きを封じるようにセトをきつく抱きしめた。
「ほんとうるさいお前」
「そんなことないよ」
「相変わらず変なことばっかり言うし」
「変なことなんか言ってないだろ」
ちらりと横を見ると、テッドの不貞腐れた顔があった。子供のような表情に、セトは無性に彼に優しくしてやりたい衝動に駆られて、少し困る。どうにも甘やかしたい。
「テッ・・・」
「優しくないだろ、俺」
「・・・・・・ド?」
甘やかしたいと思って名を呼んだのに、テッド自身の言葉によって途中で疑問形に変わってしまった。なにを唐突に言い出すのかと思っていると、テッドはふい、と目を逸らす。それでようやくことがはじまる前の問答を思い出した。
セトは小さく笑う。
「君は優しかったよ?」
「お前の言葉は信用ならねぇ」
「信用ならない・・・・・・ね」
セトは考えるように視線を泳がせてからこてんと彼の肩に頭を預けた。
「じゅうぶん、優しかったけどなぁ・・・・・・さっきは」
「・・・・・・本当に優しいなら、きっとこんなことはしねぇよ」
「・・・・・・そう?」
「いつかお前とは離れる。それなのに、しないだろ」
それは確信めいた言葉だった。
セトはきょとんと目を丸くする。
「・・・・・・はなれる?」
「ああ。この戦いが終わったら、俺はこの船を出てくからな。もともとひとところにいるってのは無理なんだよ。お前がどうするかは知らないけど・・・・・・って、おい?」
突然肩を震わせはじめたセトに、テッドが不審げに呼びかけた。心配そうな声だったから、もしかしたら彼は自分が泣いているのかと思ったのかもしれない。だが別にセトは泣いているわけではなかった。
ただ、肩を震わせて、小さく笑っていた。
それに気がついてテッドも憮然とする。
「・・・・・・なに、笑ってるんだ」
「ごめん」
「笑いながら謝られても全く誠意ってもんが感じられねー」
「ごめんって」
謝罪しながらセトはこてんとテッドの肩に頭を預けた。彼の言葉が嬉しかった。
戦いが終わったら自分から離れる、という。
それはつまり、自分が生きていることを前提としている。無意識に、セトが生きて戦いを終わらせることを選んでいた。
正直セトには戦いが終わるまで自分が生きていられるかどうかなんてさっぱり予測がつかない。常に左手は自分の魂を要求している。力を使わなければいいのだろうとも思うが、戦況の如何によってはセトは全く躊躇わずに紋章を使ってしまう。
それは仕方のないことなのだ。
セトはそう思っている。
数ある選択肢の中で、それが一番確実性のある勝利への道だから。
だからセトは力を使う。
罰の紋章の性質を、テッドは熟知していてそんなことを言うのだ。
戦いが終わったら、なんてこと、まだセトは言えないけれど。
でも。
「・・・・・・やっぱり、君は優しい」
「だから」
「優しいけれど、ずるい」
テッドの言葉を遮って、セトはきっぱりと言い切ると彼に全身を預けるように体から力を抜いた。手を伸ばして、テッドの腕に触れる。
そんな優しさがあるから、彼に縋りついてしまうのだ。
別にテッドだけが優しいわけではない。それどころか他のラズリルの仲間たちや海賊たちのほうが余程優しいと思うときの方が多い。けれど彼は違うのだ。
真の紋章の脅威を知りながら、ふとした瞬間にセトに未来を示す。
別にその未来が明るいものであったためしはないけれど、でも。
今度は傷がつかないよう、細心の注意を払って彼の腕をつかんだ。
「・・・・・・僕もずるいけど」
情事の酔いに言い訳をして彼に縋る、自分も十分にずるい。それはよくわかっているつもりだ。
テッドが黙ったままセトを深く抱き込む。その動きに、彼につけた傷跡がセトの目に入った。
縋りついた証。
多分数日で消えてしまう。
でもそれでいいと思う。
目を閉じて、セトは声を漏らさずに小さく笑った。
「ずるいもの同士、だね。僕ら」
「・・・・・・かもな」
耳元の声が少しくすぐったい。
「そんなこと、知ってるだろ」
「・・・・・・ああ、そうか」
ふとセトは気がついた。
自分たちはこうやって自分自身を騙している。決して相手を騙すのではなく、自分をごまかして進んでいく。それを知っているから縋りつくのだ。相手に傷をつけてしまっても、それでも離されまいとするのだ。
――――まだそれは、平時ではできないけれど。
「いつか・・・・・・」
「いつか?」
「行かないでって僕が君に言うこともあるのかな」
「・・・・・・お前が?」
思い切り疑い深い声をテッドが出した。言っているセトにも信憑性がない言葉だったから仕方ないかと苦笑する。
「言うかもしれないじゃないか」
「お前が俺に?想像できねぇよ」
「・・・・・・まぁ、僕も想像つかないけど」
ふう、と観念したような溜息を耳元に感じてセトはようやく目を開いた。顔を上げる。テッドが小さく笑っていた。
「仕方ねぇから、2回まではお前の言うこと聞いてやるよ」
「・・・・・・2回ってなんでそんな中途半端な回数?」
「3度目の正直って言うだろ。3回目は俺の好きなようにさせてもらうさ」
「2度あることは3度あるとも言うけどね」
「仏の顔も3度までってな」
「君が仏だったためしはないね」
じゃあ、それを言うときまでは、こうやって君に縋りついていよう。
他愛もないことを言い合いながら、セトは僅かに彼の腕を握った手に力を入れた。
いつか、なんてくるかどうかわからないけれど。
でもそれがくるまでは彼の背に爪を立てることを許されたような気がして。
ひそやかに笑った。
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は、初の裏話・・・!!
とか言ってもそんなシーンのが少なくしかもやっぱりぬるい(笑)
えちシーンを上手に書ける人ってすごいなぁ・・・。