DEATH NOTE 前編
数ヶ月前に電撃P●の4コママンガの付録雑誌で、周囲がカップルばかりに見えるお姉さんが、
「わたしが求めてるからなのかな…」
としょんぼりしている話があった。
しかし、コレは絶対にワシが求めているからではなく、被害妄想でも幻想でもない。
やはり、映画館はカップルが多いな。
上映前に近くの店をウロチョロしていたが、どこに行ってもカップルが視界の中に入る。
という気持ちになってくる程、たくさんのカップルがいた。
ひぐらしネタです。わからない人、ごめんなさい。
自分以外の誰かと行動を共にする場合、ワシはその人を楽しませる事に必要以上に力を注ぎ、気疲れする。
だから、ワシは基本的に単独行動を好む。
・・・はずなのだが、こういう場にいると、
「そりゃ、言い訳なんじゃないの?」
とツッコミを入れてくる内なる自分と無駄な葛藤をしてしまう。
当然、周囲の人は全く気がつかないが。
![1人で来て、ごめんなさい。](imp_pic/alone-sorry.GIF)
話がかなり逸れたので元に戻すと、本日(6月17日)DEATH NOTEの映画を観てきた。
事前に見た映画評論で酷評されていたので、あまり期待しないようにしていた。
しかし実際に鑑賞した結果、面白かった。
映画全体の内容が原作に忠実というわけではないが、原作内の出来事を
(月とLの最初の対決、FBIとの対決、Lと日本警察初対面、Lの夜神家監視等)
結構大量に再現していた。
実写でやるとこんな感じになるんだな、と抵抗感なく鑑賞する事ができた。
映画のオリジナルキャラ、月の幼なじみである秋野詩織は月のキャラを深める上で重要な役を担った。
かつ、原作では必要だった内容を短縮したり、スムーズに動かしたり、キャストの数を減らすために必要だったように思えた。
詩織のおかげで映画・月は、海砂と出会う事も監禁で自分の無実の証明をする事もせずに、Lのいるキラ捜査本部に潜入する事ができた。
また、原作・月は計画のために様々な女性を利用していたが、映画・月は計画に女性が必要な場合は詩織を利用していた。
本心を言ってしまうと、海砂と月の組み合わせが好きなため、詩織が月の周囲にいるのにあまり良い気持ちはしなかった。
粧裕(月の妹)が詩織との仲を冷やかしているのも嫌だった。
粧裕が冷やかしていいのは海砂と月に関してだっ!
(勝手な希望)
また、詩織は本当に月を表面でしか評価してないなとも思った。
まあ、ワシも含めた一般の人だって他人の表面しか知らないとは思う。
だが、Lのように月の本性を即座に見抜いた天才がいると、幼なじみなのに夜神月がどんな人間なのか全く理解していないのかと情けなく見えてしまった。
オリジナルキャラの感想はここまでにして、記憶している順で映画の感想を語ってみる・・・って何か偉そうだなこりゃ。
冒頭がすごく良かった。
大好きだ、この冒頭。
今まさに犯罪を実行中の人間。
人質を盾にして警察と張り合おうとする。
その時、画面下にその人間の名が記された。
すると犯人は苦しみだし、死亡した。
横領犯。(だったかな?違うかも)
やっていないとマスコミに否定する。
その時、画面下にその人間の名が記された。
すると犯人は苦しみだし、死亡した。
無罪判決を受けた被告。
嘆き悲しむ遺族の横でふてぶてしい態度をとる。
その時、画面下にその人間の名が記された。
すると犯人は苦しみだし、死亡した。
まさにDEATH NOTEという感じだった。
(暗闇なのをいいことに)映画館でニヤリとしちゃったわい。
犯罪者の心臓麻痺による死亡が増加し、犯罪者を裁く「キラ」という人間の存在に薄々気づく人々。
月の大学にはキラを堂々と支持する人もいた。
これには多少疑問がある。
キラを支持していても、普通はそれを皆の前では言えない。
そして映画・月は原作・月以上に元々は純粋だったのではないかと思えた。
警察官となって世の悪と戦い、自分が正義の先導者となりたかった月。
だが、犯罪者が不起訴・無罪となり裁かれない事が多々ある現実を知り、月は法の限界を知った。
この展開で登場するのが、原作でも出た渋井丸拓男だ。
月にデスノートが本物であるという確信を持たせるという役回りは同じだが、シブタクが原作よりも凶悪だ。
こっちのシブタクは殺人という重大事件をやらかしている。
月に法の限界を悟らせ、死の制裁という行為に走らせたきっかけもこのシブタクだった。
シブタクをデスノートで殺害した後、月の前にリュークが現れた。
最初は声に違和感があったが、慣れるとそうでもなくなってきた。
以降、Lが登場して月(キラ)との対決に至り、月が尾行する相手の名前を知るまでは原作とほぼ一緒だ。
松田が松田っぽくてとても良かった。
この松田は、Lに「松田の馬鹿」と言われる松田だ。
ただLと日本警察の初対面時、名前を名乗る夜神次長に、
「バーン」
と撃つ仕草をするLが想像以上に子供のようで少し悲しくなった。
というか、ついスクリーンから目をそらしてしまった。
![どうしてそんなに楽しそうなんだ?](imp_pic/happy-bang.GIF)
そんな楽しげに「バーン」と言わなくても良かったのに・・・。
(業務的な「バーン」を期待していた)
FBI全員の抹殺計画で微妙に原作と異なってきた。
FBI抹殺計画実行時に、婚約者の南空ナオミが密かにレイを尾行していた。
そのため、FBI抹殺の手順は原作と同じだが、死亡直前のレイにナオミが駆け寄るという違いが生じた。
悲しむナオミを見て、良心が痛んだのか少しだけ悲しげに見える月。
原作を知っている上で、映画を観た人はどう思うのだろうか?
まだ月にも良心があったのだとホッとするのだろうか?
ワシは、この時の月は既に人の死に痛みを感じない境地まで達していると考えていたので、ちょっと余計かもと思ってしまった。
ナオミがレイ死亡の現場に立ち会った所から、原作とは話が大きく異なってくる。
原作では、ナオミが調査の結果で得た情報は「キラが心臓麻痺以外でも殺せる」というものだった。
しかし、こちらはズバリ「キラは夜神月である」という情報だ。
ナオミは原作では偽名を名乗り、それを偽名である事を殺される直前まで告げなかった。
原作・月はデスノートの効果が発生しない事、リュークが後ろで笑っている事でそれに気がついた。
こっちのナオミさんは偽名である事を宣言しちゃいましたよ。
他にも色々ベラベラととしゃべっていたし。
結局それが後々仇になっている。
映画のクライマックスでナオミは自分の命を犠牲にしても、月がキラであるという証拠をつかもうとした。
そのためにナオミは自分を殺さざるを得ない状況に月を追い詰める必要がある。
だから、ナオミは詩織を人質に取って月を呼び出した。
それでも、月は「自分はキラじゃない。彼女を放してくれ」と懇願するだけで、デスノートでナオミを殺そうとはしなかった。
結局、隙を見て逃げ出そうとした詩織がナオミに撃たれた。
本当は詩織に一切危害を加える気がなかったらしいナオミは、自分が詩織を殺害してしまった事に動転して自殺した。
この一連の流れは月にとって、予想外の出来事だったのだろうと思った。
しかし、実際は全て月の計画通り。
レイの婚約者が偽名を名乗った事を知り、月は事前に「南空ナオミ」という名前である事を突き止めていた。
南空ナオミが自殺をする行動も、キラだと疑っている人物の大切な人を人質にとる行動もデスノートに書かれた通り。
そして、詩織が拳銃で撃たれて死亡するのもデスノートに書かれた通り。
詩織という大切な恋人を失った事で夜神月がキラを捕まえたいと望む動機ができた。
そして、夜神月が捜査本部に入りたいと熱望する理由ができた。
詩織は月が捜査本部に入り込むための生贄となったのだ。
結局、詩織は最後まで月がキラだという事を知らないまま死亡した。
月は「自分が詩織を愛していたのかわからない」という意味の言葉を発していた。
ワシは「愛していなかった」と思う。
これだけは、
「月が愛しているのは海砂じゃなきゃ嫌だい!」
とかいう我欲ではない。
原作・月だって海砂を愛してはいないだろう。
(原作を7巻までしか読んでない上での考えだが)
ワシの中で夜神月は「特別に思うほど誰かを好きになる事はない」という印象がある。
上・中・下で夜神月の他人に対する感情を評価すると、一般人が「中」で犯罪者が「下」ではないだろうか。
家族でさえも万が一の場合は殺すといっている以上、家族は「限りなく中に近い上」だと思う。
そして、その「限りなく中に近い上」である家族が他人に対する感情では月の一番最高峰。
よく言えば、「皆を平等に愛する」、まさに神の思想かもしれない。
しかし、悪く言えば「本気で誰も愛せない」、という事にもなるでしょうな。
でも、こういう「皆を平等に愛する」思想を持つように教育されていた気がするのは単なるワシの被害妄想だろうか?
まあ、被害妄想だろうな。
「皆を平等に愛する」というのは、自分が大好きな人だからといってエコヒイキするなという意味にもとれる。
月はある意味、本当に忠実に平等主義の思想に従っていると思う。
前編は、月がキラ捜査本部に入る事が決定して完結する。
その頃、弥海砂はデスノートを手に入れていた。
という事は後編ではレムも出るのだろうか?
後編では海砂が月達と深く関わる事になるのだろうが、それ以外が原作とどう異なってくるのかが全く想像がつかない。
期待して待たせていただきます。
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