新宿魔界学園 序章。

 

世界は冷たいコンクリートで作られた箱でできている。体温はすべてむき出しのコンクリートに吸い取られていった。目を開ければ天井には裸電球だけがぶら下がっている。

もし地獄が存在するならばここは無間地獄かもしれない。

体の自由はない。両手両足は黒光りする鉄の鎖につながれており、糞尿はおしめの中で不快な感触を帯びていた。

いったい、いつからここにいるのだろうか?少なくとも生まれてこの方、太陽を拝んだことがないのは確かだ。一日の大半は唯一の家族である老人とともに過ごしていた。

老人は様々な本を持ってきた。最初はあいうえおの読み方に始まり、小学校というものが使う教科書を読まされた。それらはすべて頭の中に入り、暗記している。

次に国語辞典を暗記させられ、次には分厚い百科事典を二十冊ほど読まされた。それらもすべて頭の中に入っている。なんでも質問してくれればすぐに頭の中に浮かび、答えることが出来る自信がある。

そして老人はあることを教えるのに熱心であった。

バッタやトンボなどの昆虫を持ってきては、それをカッターなどで切り刻ませる。そしてそれを楽しそうにやると老人はとても喜んでいた。昆虫から蛙や蛇など、徐々に大きい生き物を持ってきては、切り刻ませた。それがこの世界での唯一の遊びであった。

老人の容姿は七十代を越したところで、皮膚は柳の木のようにかさかさで、これまた柳の枝のように身体をふらふらさせていた。髪の毛は総髪ですべて真っ白になっていた。

口ひげを生やし、目は老人とは思えぬらんらんとした光を放っていた。

老人はしきりに「お前は人間バチルスだ。この世に悪の限りを尽くすのだ。そして我―

――の怨みを晴らすのだ」と教えていた。

老人はそういって愛おしそうに見つめてくる。しかし、どこかしら禍々しい気を感じさせた。もっともそれが何なのかはわからない。

老人の柳の枝のような手で撫でる。水の枯れきった老木のような感触であった。

ぶずり。

次の瞬間、老人の胸に無機質で尖がったものが生えてきた。それは赤い血をたらし、部屋いっぱいに鉄の匂いを充満させるものであった。

老人の顔は驚愕と恐怖に彩られていた。ゆったりと首を横に向ける様は、ブリキ人形のように、軋む音が聞こえそうな気がした。

「・・・なぜ、なぜお前が私を・・・?」

老人は自分を刺したものに問いかけた。

「あんたが私の両親を殺したからだ」

女の怒りを含んだ声が返ってきた。そして老人は口から血を吹き出し、事切れた。

それの身体には老人の血が付着していた。老人の胸から無機質のものが引っ込んだ。そして倒れた老人の後ろには一人の女性が立っていた。

「……。私があなたの……」

 

 

ピピピッ、ピピピッ。

目覚まし時計の音がした。目を開けるとそこは十畳くらいの広さの部屋であった。床は畳で、壁は古くて痛んでいた。家具はちゃぶ台と洋服ダンスに食器棚。テレビが隅に置かれていた。

台所ではなにやら包丁の切る音がする。その音の主は一人の女性が奏でたものだ。

それは異常な女性であった。二十代後半と思われるが、容姿はそれ以上に若々しく見える。顔は丸く、目も大きい。鼻は小さく、口も小さかった。童顔であった。丸い大きなメガネをかけている。なんとなく知的で優しそうな女性に見えた。

赤毛に腰まで伸びる髪を三つ網にしていた。

しかし異常なのは服装であった。頭にはカチューシャをつけ、真っ赤なドレスに真っ白なエプロンを着けていた。彼女の着ている服はメイド服なのだ。

彼女は台所で料理を作っていた。魚を焼き、ガスコンロで味噌汁を作っていた。ちゃぶ台の上には食器が置かれてあり、炊飯器も近くに置かれていた。そして米の炊けるいい香りが鼻についた。

「あら、ぼっちゃま。おはようございます♪」

「うん。おはよう。清美さん」

清美と呼ばれた女性は夏目清美(なつめ・きよみ)といい、挨拶した少年は彼女の雇い主である土黄龍治(どこう・りゅうじ)といった。

龍治はパジャマを着たままであった。すでに枕元に制服が用意されている。龍治は急いでそれに着替えた。黒い学生服であった。

清美のほうは朝食を作り終え、ちゃぶ台の上に用意した。龍治も身だしなみを終え、食卓に着いた。

「それではいただきます」

龍治は手を合わせ、朝食を取った。今日の朝食はアジの開きに、豆腐と油揚げの味噌汁。おしんこと無難なメニューであった。

龍治は十六歳。身長は170少し。髪の毛は赤毛で、男というより女の子に見える容姿であった。つまり美少年といえる。しかし明るさはなく、どことなく暗い影を落としていた。

「今日はぼっちゃまが転校して初の登校です。しっかり食べてくださいね」

清美が檄をあげたが、龍治はどこか上の空だ。黙々と箸を進めているが、どこか危なっかしい。

「ぼっちゃま?ぼっちゃま!!」

清美は右手を突き出し、龍治の目の辺りを振ってみた。まったく反応がない。そこで耳元に口を近づけ、大声を上げた。

「うわっ、びっくりした!!清美さん、なんなの!!」

龍治は非難の声を上げた。しかし清美は厳しい顔で龍治を見つめる。

「ぼっちゃま。何かあったのですか?不詳夏目清美、ぼっちゃまのためならたとえ火の中水の中。月まで行ってウサギを捕まえてこいとか、地球のマントルまで行ってお茶を沸かせとか命令されてもやり遂げる覚悟がございます」

「ううん、なんでもないよ。気にしないで。というか月とかマントルとかそんな命令なんかしないよ。清美さんはボクの大切な家族なんだからね」

すると清美は畳の上に頭を下げた。

「もったいなきお言葉。不肖夏目清美、旦那様の命あれ、我命を賭けてお慕いするのはぼっちゃまのみでございます。切腹しろと命じてくれれば、今すぐ掻っ捌く覚悟です」

清美はエプロンドレスのポケットから短刀を取り出し、抜いた。

「やっ、やめてよ!!清美さん、頭を上げて!!というか切腹してほしくないから!清美さんは考えが短絡過ぎ!!ボクにとって清美さんは使用人じゃないよ。そりゃおじいちゃんに雇われたのは認めるけど、ボクにとって清美さんは家族なんだ。他人行儀はやめてよ!!」

「確かにぼっちゃまは私を家族と認めてくださるでしょう。ですが、私は違います。私は雇われている身なのです。けじめはつけねばなりません」

「でっ、でも・・・」

「ぼっちゃま。時間がございません。早く食事を済ませないと遅刻してしまいます」

清美は頭を上げると先ほどとは違い、テキパキ動き始める。今日は龍治が転校して初めての学校なのだ。教科書に、筆記用具。今日の授業に必要なものはすべて清美が用意した。お弁当も彼女の手製である。

「では、ぼっちゃま。いってらっしゃいませ」

龍治はそういわれて渋々学校へ登校した。先ほど龍治は今朝見た夢のことでぼんやり考えことのだ。不気味な夢であった。初めて見る夢だがどことなく懐かしい感じがした。しかし、あくまで夢だ。清美は朝の準備で忙しいし、彼女を煩わせたくない。だから気持ちを切り替え、学校へ向かうことにした。

ここは新宿区にあるアパートであった。彼は新宿中央公園を横切り、その先にある学校を目指した。

学校の名は『都立真海(まうみ)学園高校』といった。

 

続く

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2010612