新宿魔界学園第1話 『転校生』
「ようこそ、真海学園へ。私は君の担任になる小角陽子だ」
ここは職員室。時刻は朝で、他の教師たちはホームルームの準備に忙しい。そんな中土黄龍治は一人の女性教師と対していた。
女性は椅子に座っていた。年齢は二十代前半といったところだ。紅いジャケットに青いシャツを着ていた。メリハリのある身体で、胸は太陽のように大きく膨らんでいた。腰もぎゅっと引き締まっており、臀部は胸という太陽に照らされ大きく実っていた。
髪の毛は天然パーマなのか、肩まで伸びていた。切れ目で鼻筋は伸びており、口は大きかった。まるで雑誌の表紙を飾るグラビアモデルのような女性であった。太陽のように明るい女性であった。
「君は今年の3月まで北海道に住んでいたんだな。そして今年の4月にわざわざ東京の高校に転校してきたというわけか」
陽子は書類とにらめっこしながら、お茶を飲んでいた。どことなく含みのある言葉であったが、龍治は何も感じなかった。どことなく退廃的な色気のある女性であった。
「私の担当は美術だよ。私の好みは渋めのロマンスグレーでね。子供相手をモデルにしても興奮はしないよ」
陽子は教育者にふさわしくない発言をしたが、龍治は気づかなかった。そもそも美術と男の好みは関係ないのだが、彼女は世間話のように話している。回りの教師たちは諦めムードのような表情を浮かべていた。
「もっとも私の妹は校医でね。そちらは私と違って若い子が大好きだよ。もっともストライクゾーンは幼稚園児だけどね」
「それは犯罪ではないですか?」
「妹は面食いでね。若ければいいってもんじゃないのさ。なかなか妹のメガネに適う男はいないんだね」
陽子はやれやれと肩をすくめた。龍治はなんとも言えず、口を閉ざした。
チャイムが鳴った。陽子は立ち上がると、龍治を教室へ案内した。
*
真海学園は新宿中央公園の公園通りにある学校である。鉄筋コンクリートで作られた校舎で、築何十年は経っており、壁にはひび割れが目立っていた。塀の中の四方にはそれぞれ石像が立っていた。
北には亀の石像。南には鳥の石像。東には龍の石像。西には虎の石像が置かれてあり、それがまるで学園を守るように設置されているので、学園の守り神と呼ばれていた。
正式名称は四神像と呼ばれ、東京大空襲の際に焼け野原となった新宿に、学問を復旧するため、元華族が設立したといわれている。アメリカの資本主義から子供たちを守るためにと無名の彫刻家に依頼して作らせたというのだ。
その出来は芸術をまったく知らない、携帯電話を手放せない女子高生ですら、それを見たら咽を鳴らさずにはいられない迫力を持っていた。石像なのに、今にも動き出しそうなほどであった。
なのになんで真海という名前なのか、それが真海学園七不思議のひとつであった。残りの六つは後で説明しよう。
龍治がこの学園に転校してきたのはわけがある。だが龍治としては納得しきっているかといえばそうでもない。そもそも引越しを命じたのは祖父なのだ。祖父は北海道に住んでおり、元は会社の社長だったらしい。二十年前に会社をたたみ、田舎へ引っ越した。龍治は地元の学校に通っていたが、なぜか祖父が東京へ行けと命じた。
そしてメイド、というよりお手伝いの夏目清美が一緒についてきたのだ。メイド服は制服ではなく、彼女の趣味だ。東京へは一週間前に引っ越してきた。清美が用意したアパートに家具屋から出来合いの家具を注文し、生活用品も近くのスーパーで全部購入した。実際地元から持ってきたものはない。しかし龍治には思い出の品がまったくないのだ。地元の町や学校もよく思い出せない。もっとも彼は清美さえいればいいので気にならなかった。
陽子と龍治は教室に入った。教室では教師が来てないのでおしゃべりを楽しんでいた。
陽子が入ってきた途端、生徒たちは口をつぐんだ。そして陽子の後ろにいる見慣れぬ美少年を見て、ひそひそとささやきあった。
「えー、今日は新しいクラスメイトを紹介する」
陽子は首を横にすると龍治に向かってアゴで指示した。なんとも投げやりな教師だが、龍治はとりあえず自己紹介をした。
「土黄龍治です。北海道から来ました。よろしくお願いします」
声変わりをしてないような、少々ハスキーな声に女子は色めき立った。龍治の容姿は美少年というより、美少女に近く、赤毛が目立っていた。たちまち女子たちは龍治に質問攻めをした。まるで珍獣のように好奇な目を向けられ辟易していると、陽子はぱんぱんと手を叩いた。
「お前ら静かにしろ。静かにしないと私の授業でヌードデッサンのモデルをしてもらうぞ。そうだな、女子は逆立ちして足を扇のように開いてもらうか。口には薔薇を咥えてな。男子は尻の穴に華を挿して人間生け花になってもらおうか」
にやにや笑う陽子だが、目は笑っていない。有限実施する目だ。すると教室はあっという間に静かになった。この教室ではこれが日常茶飯事なのかもしれなかった。
「土黄の席は、そうだな。幸徳(こうとく)の席に座ってもらおうか」
そういわれて龍治は席についた。隣に座っているのは女子生徒であった。
栗毛でポニーテールにしており、もみ上げは肩まで伸びていた。丸顔でふっくらとしており、目はつぶらで、口は大きくにっこりと笑っていた。背筋はぴんと伸びており、姿勢を正していた。
「始めまして。私は幸徳秋保(あきほ)です。土黄君よろしくね」
玉を転がしたような声で龍治に挨拶した。そしてホームルームが始まった。
*
昼休みになった。慣れない授業だったが、なんとかこなせた。龍治はカバンから弁当を取り出して食べようとした。そこへ女子の一人が声をかけた。
「土黄君、ひとりなの?なら一緒に食べない?」
秋保であった。教室ではすでにグループでまとまって昼食を取っていた。弁当を持参するものから、購買で買ったパンを食べているものもいた。窓の外を眺めると、外に出て弁当を広げている女子がちらほら見えていた。
「ボクは構わないよ」
龍治は秋保の提案を受け入れた。どうせ断る理由もない。
秋保は自分の椅子を取り寄せると、机の上に弁当箱を置いた。女の子らしい可愛らしい小さな弁当箱であった。中にはそぼろごはんに、アスパラガスにベーコンを巻いたものから、プチトマトなど色とりどりであった。
龍治の弁当は海苔弁で、たこさんウインナーに卵焼き、キンピラゴボウが入っていた。龍治はもくもくと食べ始める。秋保はちまちまと食べ始めた。男と女の差で龍治のほうが先に食べ終えた。
「ところで土黄君はすごいよね。授業なんかすごかったじゃない」
「そうかな?ボクはそうは思わないけど」
「絶対すごいって。国語の時間なんてキレイに朗読できたじゃない。土黄君の通っていた学校ってレベルが高かったんだね」
「それも、道かな…」
龍治は言いよどんだ。そもそも前の学校の思い出がないのだ。龍治にとって教科書を一目で読めばすべての内容が頭の中に入る。一語一句すべて記憶してある。
「それに美術もすごかったよね。水彩絵の具なのに、写真みたいな出来で驚いちゃった」
美術の時間では絵を描いた。モデルはなんと陽子自身であった。彼女は学校指定のスクール水着を着ていた。グラマーな女体をスクール水着で包み込む。なんとも扇情的であるが、問題はポーズであった。ヨガのポーズを取り、身体をねじっていた。色気よりシュールさ漂うポーズであった。しかも彼女はモデルでありながら、生徒たちの様子を把握していた。彼女の後ろにいる生徒があくびをすると、あくびをした生徒を注意するし、絵を見ていないのに、時々生徒に的確なアドバイスをしていたのだ。力が入りすぎているだの、書き方が雑など、まるで千里眼を持っているかのようであった。
「ボクとしては陽子先生がすごいと思うけどね」
「それは言えてるかも。陽子先生もすごいけど、校医の月子先生はもっとすごいよ」
「月子先生?」
初めて聞く固有名詞に目をぱちぱちしていた龍治。そこへ秋保があわてて説明した。
「月子先生は陽子先生の双子の妹なんだよ。一卵性双生児で、白衣とメガネがなければ陽子先生と見間違えるんだよ。でもミラー・ツインだから利き手は左右に分れているんだけどね」
「そうなんだ。で、どれだけすごいのかな?」
「こればかりは実際に見てみないとね。お楽しみを取っちゃうのは心苦しいしね」
秋保は朗らかに笑うと、止めていた箸を動かし始める。陽子もすごい人だから、その妹もすごいのかもしれないなと、龍治は想像してみた。
*
放課後、龍治は一人で帰宅の準備を始めた。秋保は弓道部に入っており、部活のある日だという。部活は部外者は立ち入り禁止で見学は出来ない。校内の案内は明日にしようと約束し、龍治と別れた。
龍治は帰宅準備を整え、教室を出た。
校舎を出ると外はすでに夕日色に染まっていた。校庭では野球部らしい生徒がノックをしたり、ボールと追いかけっこしていた。トラックには陸上部がランニングをしており、 それなりに部活でにぎわっていた。龍治はそれを眺めながら、学生生活というのは楽しいものだなと感慨にふけっていた。しかし、前の学校でも小規模だが部活はやっていたはずだ。どうにも前の学校の印象が薄い。逆にこの学校の出来事は印象に残りやすかった。なぜだろうかと首をかしげていた。
龍治はまっすぐ校門に向かおうとしたが、校舎裏に何か怪しい動きをしたものがいた。
それは複数の男子生徒が、一人の男子生徒を無理やり連れて行くように見えた。龍治はなぜかその生徒が気になった。ちなみに龍治とその生徒たちの距離はかなり離れている。見えたのは一瞬だけだったが、まるでデジカメで撮影したように脳裏に焼きついたのだ。龍治の視力は両目とも2・0だが、それ以上によく見える。まるで目が望遠鏡のようにくっきり見えるのだ。
その男子生徒の身長は160半ばで、山の小岩をそのまま削り取ったような感じがした。
学ランの前を開けており、そこから見える胸はまさに盛り上がった岩のようであった。頭は丸刈りで、肌はこんがり焼けていた。まぶたは晴れ上がり、鼻は潰れ、口はへの字に曲がっていた。首は太く、よく見えなかった。小岩に命が宿ったような顔であった。
その平均的男子とくらべて背の低い小岩の男は笑っていた。いかつい、今まで笑ったことのなさそうな顔だが、目の色が喜びの色で浮かんでいたのだ。
龍治は予定を変更し、校舎裏にやってきた。なぜ小岩の男が気になったのか、自分でもわからない。彼を囲む男子生徒は剣呑な雰囲気で、彼をリンチにかけようとするのがわかる。彼は猛獣に囲まれているのに、まるで座敷犬を見つめるような優しい目をしていたのだ。もしかすると彼の山の精のような気を感じたのかもしれない。龍治はまっすぐ校舎裏へ駆け足で近寄った。校舎裏は日陰を作りやすい構造なのか、一日中湿った場所で、普通の生徒は近寄らなかった。近寄るのは精々普通じゃない連中が授業中に煙草を吸うか、かつあげに最適だといわんばかりの不良生徒たちであった。
龍治はこっそり覗いてみた。
小岩の男を囲んでいるのは全員170か、180を超えている男子生徒であった。全員髪型はリーゼントか、金髪に染めており、耳にはピアスをしていた。全員学ランの前を開けており、中には安売り装飾店で購入した有名デザイナーのTシャツを着ていた。シャツは全部ズボンから出ていた。
全部で5人。彼らの表情はすべて怒りで染まっていた。塗ったくられた怒りの色は紅蓮の如く染まっており、怒気という湯を注がれ、いつ爆発してもおかしくなかった。
「……白金(しろがね)ぇ。お前がここに呼び出された理由はわかるよなぁ?」
リーダー格らしい男子生徒が口を開いた。身長は飛びぬけて190は軽くありそうだった。
白金というのは小岩の男の名前らしい。彼の名前を読んだ男は小山のような男であった。
いかめしい顔であった。頭は白金と同じ丸刈りで、眉は太く、目つきはぎらぎらしていた。鼻は大きく、口は大きい。アゴも大きかった。
首も太く、二の腕も学ランに包んでいるが、ぱんぱんに膨らんでいることが素人の目でもわかる。胸が崖のようにこんもりと膨らんでおり、下腹部は無駄な脂肪など一切ないすっきりした体型であった。
白金とは別に、この男の大きさは文字通り小山であった。山に足がついて歩き出したといっても、冗談には思わないだろう。
「へっへっへ。白金ぇ、佐原(さわら)さんはなぁ、お前が目障りなんだよ。ちびのくせにレスリング部では部長を務めているなんてよ。でかい佐原さんを差し置いて申し訳ないと思わないのかね?」
小山の男は佐原というらしい。佐原の取り巻きたちが白金を取り囲み、げひた笑い声を上げた。そんな中、白金は平然としていた。ポーカーフェイスというのか、それとも顔自体岩から削り取ったように、固まっているのか。
龍治は彼の様子を眺めていたが、彼は怯えてなどいなかった。体の雰囲気から彼は負の感情を感じないからだ。余裕がある。龍治は双思った。
「……前置きはいいのか?」
白金はぼそりとつぶやいた。
「こなけりゃ、こちらからいくぞ」
白金は一歩前に踏み出した。そして右の拳を右側にいる男の腹部に突き上げた。
男は口から胃の中のものを逆流し、吐き出した。そして白目をむいて、膝から崩れ落ちた。
残りの4人は呆然としていた。その隙を白金は見逃さなかった。
今度は左に振り向くと、右で男の腹部にひじ撃ちをかます。男はくの字に倒れ、これまた崩れ落ちる。
残りの3人はやっと正気に戻ったようで、同時に白金に襲い掛かった。彼らの一人が大きく蹴り上げた。すると白金はその隙にそいつの金的に掌打を当てた。その瞬間、そいつは口から泡を吹き出し、白目をむいた。そしてズボンから水の流れる音とともに、鼻に来るような匂いがした。小便を漏らしたのだ。
白金は倒れそうになったそいつの腰を両手で掴んだ。そしてかかってくる二人に向かって突き出した。意識のないものに寄り抱えられ、思わず体勢を崩した。白金は両手を突き出し、男を地面へ倒した。倒れた男は仰向けになった。そこへ白金がそいつの顔を踏みつけた。足の踵で思い切り踏みつける。あごの部分を踏みつけられ、歯が折れるいやな音がした。血と涎と涙の華を咲かせていた。
佐原は仲間が4人とも電光石火の如く倒され、呆然としていた。白金は佐原に近づくと、金的に膝蹴りを喰らわせた。佐原はうめきながら姿勢を崩すと、白金は佐原の頭部を掴むと、 佐原のアゴに膝蹴りを食らわせたのだ。あごを砕かれ、血と涎を垂れ流しながら、佐原はうつぶせになって倒れた。まるで土砂降りで崩れ落とされたように、地面に這い蹲る姿は、佐原が雄大な山であっただけに、惨めに見えた。
小岩の男があっという間に自分より背の高い人間を5人も倒したのだ。龍治はその様子を眺めていたが、正直暴力の恐怖に震えるより、血が沸き立つような興奮を覚えた。自分は暴力など振るったことはない。なのに彼を見て、衝撃を感じたのは不思議であった。頭の上に雷が落ちたらこんな感じだろうと思った。
小岩の男は何事もなかったかのように、制服のホコリを払うとそのまますたすたと倒れた佐原たちを無視して帰ろうとした。その途中、白金と龍治は顔を合わせてしまった。
白金は龍治を一瞥すると、そのまま立ち去ろうとした。だが龍治は彼に声をかけた。
「ボク、今日この学園に転校してきた土黄龍治です。2年生です!!」
それは調子はずれな大声であった。思わず足を止める白金はきょとんして龍治を見つめていた。白金は龍治の眼を見た。先ほどの自分の喧嘩を目撃していたことは喧嘩が始まる前からわかっていた。そして一部始終を目撃していたのだろう。この学園で自分の喧嘩を見物したがる物好きはいない。彼が転校生なら話はわかる。
しかし、声をかけられるとは思ってもみなかった。精々野生のゴリラに遭遇し、怖くて足がすくみ動けなくなったと思っていた。だが龍治の白金を見る目は恐怖というより畏敬の念がこめられていた。
「……白金虎一(こいち)」
「え?」
「お前と同じ二年生だ」
そういって白金は立ち去った。のっそりと歩く姿は大地をしっかり踏みしめる、堂々とした歩みであった。その背には真っ赤な夕日に包まれていた。龍治はなぜか白金に対し、山の神を崇めるように頭を深く下げていた。
これが龍治と白金の初めての出会いであった。
2010年6月12日