新宿魔界学園第二話『畜生拳』
「でね、その白金って人はすごいんだ。まるで映画のアクションシーンみたいに、自分より背丈の高い人を倒しちゃったんだ」
土黄龍治は興奮しながら話していた。ここは東京に暮らす龍治の住むアパートである。和室で、ちゃぶ台の上には料理が並べており、どれもおいしそうであった。メニューはクリームシチューに、バターと塩コショウで味付けしたバターライスのふたつである。
それを作ったのは場違いに思える女性であった。それは真っ赤なメイド服を着た二十代の女性であった。
彼女の名前は夏目清美といい、龍治のメイドであった。もっともメイド服は彼女の自前である。彼女はその格好で外を出歩いている。もっとも都会の人は他人に無関心なのか、それともメイドは珍しくないのか、あまり騒がない。近所の雑貨屋のおばちゃんは流行だからといって専門店で買ったメイド服を着ていた。しかし、似合ってなかった。客はドン引きしていたが、旦那と夜に燃え上がったと微笑んでいた。
龍治はシチューを食べながら今日起きたことを話していた。まるで特撮ヒーローを語っているみたいであった。それを聞いている清美の顔は曇っている。適当に相槌を打っている。
「……どうしたの、清美さん?」
龍治は押し黙っている清美を見て、声をかける。
「ぼっちゃま。その方に一目惚れしたのですね?」
あまりに唐突な問いに龍治の目が丸くなった。
「あの、清美さん。何言っているの?」
「私を差し置いて、その方の話ばかり。もう私の胸は張り裂けそうです。私はぼっちゃまが真っ裸になって外に歩けと言われればそうしますし、赤いふんどしをしてヤスキ節を踊れと言われればそうします」
「そんな、清美さんをないがしろになんかしないよ。というか裸になれなんて言わないよ。それに赤フンを着けたら恥ずかしくないんじゃ?」
「おほほ。女性に赤フンは恥辱ですわよ。でも、ぼっちゃまが見たいというならすぐに着替えますが」
そういって清美はメイド服を脱ごうとした。それを龍治はあわてて止める。
「もう話を脱線させないでよ。清美さんは極端に走りすぎるよ」
「まあ、恥ずかしいですわ。私ときたら……、ぽっ♪」
清美は頬を染めた。そして次の瞬間、話を切り替えた。
「ところでぼっちゃま。その白金という人はかなり喧嘩慣れしているご様子ですね」
「喧嘩?」
「はい。ぼっちゃまは武道と喧嘩、どう違うと思いますか?」
「どう違うって……。武道は武の道で、喧嘩は、その……。ふたつとも同じなのかな?」
龍治は適当に答えてみた。すると、清美はうなずいた。どうやら正解らしい。
「武道も喧嘩も元を正せば相手と戦って勝つことにあります。勝つためにはどうしたらいいか?相手の隙を突き、相手の動きを封じ込める。これが一番です。奇襲し、砂を掴んで相手の目潰しに使ったり、その隙にナイフで相手の腹部を刺すのも武道ですわ」
「凶器を使うのは喧嘩で、武道は武器を使わないんじゃないの?」
清美は首を横に振った。
「武道は常に素手であることを想定しております。手ごろな武器があればそれを使ってもよいのです。もっとも日本では銃刀法がありますので、警察に捕まったらおしまいですけどね」
ここで清美は一旦区切った。そしてお茶を飲み干すと話を続けた。
「白金という方は喧嘩のやり方をよくご存知ですね。まず相手を問答無用で気絶させる。本来なら複数で喧嘩するのは愚かの極みですが相手が喧嘩慣れしていなければ大丈夫でしょう。それに聞いた話によれば相手は白金という方より背が高いとか。それで油断したのでしょう。自分より背の低い奴に負けるわけがないと。その油断を突き、一人ずつ確実に気絶させ、残りが正気に戻っても、現実を受け入れているわけじゃない。悪夢を振り払うためにやけくそになってその方に突進してくるだけ。策も何もあったものじゃない。喧嘩とは相手の力量を測り、自分に似合った戦術を選ぶことができる方なのですよ」
そういって清美はお茶を注ぎ、飲んだ。龍治の話を聞いただけなのにここまで把握しているとはさすがは清美と思った。もっとも大事なことはなぜ清美が喧嘩に詳しいことだが、龍治は気にならなかった。
「でもぼっちゃまは無理でございますわね。だって喧嘩はおろか、人を殴ったことなどありませんもの。おほほ」
清美が嘲笑するので思わずムッとなる龍治。主とメイドの話は夜中まで続いた。
*
翌日、龍治は登校した。二日目になると緊張して張り詰めた筋肉が緩やかになってきた。気持ちも徐々に落ち着いてきた。心に余裕が出来ると周りの景色も楽しめるようになってきた。
校内に入ると龍治は昨日見た人物を発見した。
小岩に命を吹き込まれ、自分で歩き出したように思える男。白金虎一であった。
龍治は思わず、白金に声をかけた。
「おはよう白金君。今日はいい天気だね」
白金はむくりと首を横に曲げた。そして次の瞬間、周りを歩いていた生徒たちの顔が真っ青になった。そして朝の和気藹々な雰囲気は消し飛び、近くで不発弾が発見されたような緊張感が支配した。
「……おはよう」
それだけつぶやくと、白金は前を向き、とことこと歩き出した。周りの生徒たちは不発弾が無事処理されたような安堵感に包まれていた。
「土黄君てば怖いものなしだよね。やっぱ転校生だから?」
教室に入ってきて、すぐに龍治は一人の女子生徒に話しかけられた。丸顔の可愛らしい女性で、席が隣の幸徳秋保であった。
「いったい何の話?」
龍治は事情がわからず、秋保に質問した。秋保はやれやれといわんばかりに首を振った。
「人間虎であり、真海四天王の一人に挨拶するなんて、君くらいなものだよ」
「にんげんとら?まうみしてんのう?何それ?」
「人間虎は白金君のあだ名だよ。身体は小さいけど岩のように堅い筋肉を持っているの。そしてのろまそうに見えて実際は動きがすばやいの。まるで虎のように相手にかみかかり、一気に勝負を決めてしまうのよ。それで付いたあだ名が人間虎。真海四天王の一人ね」
龍治は昨日のことを思い出した。校舎裏に連れて行かれた白金は背の高い佐原たちを相手に一歩も引かず、相手を一撃で倒している。龍治としては小岩だと思うが、虎のように獰猛に噛み付く様ではあったと思う。
「四天王って、残りの三人は誰なの。佐原って人なのかな?」
「佐原君?なんでここに佐原君の名前が出てくるの?」
龍治は昨日の出来事を話した。秋保はそれを聞いてうなずいた。
「さすが白金君ね。佐原君たちなんか相手じゃないわね」
秋保はしきりに感心していた。白金に対しての嫌悪感がなく、素直に彼の功績を喜んでいるように見えた。
「佐原君はね。佐原森(しん)といって、白金君が転校してくる前はこの学園の番長だったの。見ての通り身体も大きいし、風紀委員も勤めていたのよ。でも、どうにも恩着せがましい性格で、みんなに無理やりボランティアを薦めたり、パトロールとか言って男子生徒を中央公園に引っ張ったりしたわね」
「へえ、いい人なんだ」
龍治が誉めると、秋保をはじめ、周りの生徒たちの顔色が悪くなった。
「確かにいい人かもしれない。でもたとえ良いことでも無理やり強要されたら気分が悪くなるでしょう?事実用事があるからごみ拾いのボランティアを断ろうとしたら、その人を自分勝手な人間だといって殴ったんだよ。白金君が去年の二学期の始めに転校してくれなかったら、この学園は恐怖政治で支配されていたと思うよ」
秋保の言葉に周りの生徒たちもうんうんとうなずいた。それほど佐原という男は嫌われていたのだろう。しかし、言葉に出さないのは、まだまだ影響力があるという証拠だ。
それと佐原の話で残りの四天王の話がうやむやになったが、後日聞けばいいと龍治は思った。
*
放課後になった。龍治と秋保は校内を見学していた。昨日は部活があって案内できなかったので、今日は改めて案内することになった。改めて校内を見学するとわかってくることがある。
一階は一年生の教室が4つ。職員室と放送室に、事務室や保健室、食堂があった。食堂のメニューはカレーライスに親子丼の丼物から、ラーメンだの、そばやうどんなどがあり、ぺらぺらなプラスチックの皿と丼に盛られていた。味は並で、腹いっぱい食べられるのが売りであった。あとは売店がありパンと文房具が売られてあった。
二階には二年生の教室が4つ。図書室と音楽室、理科室があった。
三階は三年生の教室が4つ。美術室やその他の部活の部屋があった。
どこもかしこもボロボロであった。一応修復はされているが、不自然に塗装されている部分が目立った。
校舎の外には体育館があり、現在は修復中で、建設会社の作業員がこまねずみのように働いていた。
そして弓道部の道場や空手、柔道、剣道部が兼用している道場があった。
「こうして見回っていると結構ぼろぼろだね。どうして建て直さないのかな?」
龍治が何気につぶやいた。
「なんでも市役所の許可が下りないんだって。コンクリートとはいえ結構腐りかけているのに、これだからお役所仕事は困るよね」
「そうなんだ」
「でも四方の像は丁寧に扱っているんだよ。毎日、石像を磨く係があるの。変わっているよね」
それで話は終わった。今日は一緒に帰る予定であった。ところがそこへ横切る影があった。
佐原とその仲間たちであった。全部で五人いた。佐原は昨日白金にボコボコにされたあとが残っていた。しかしその笑みは歪みきっていた。吐き気を催すという笑みがあるのなら、彼のような顔を言うだろう。これが仮にも風紀委員を務めたことのある男なのだろうか。
他の男子たちも似たようなものだが、四人とも片目に青痣ができていた。昨日白金に顔を殴られたものはいない。精々顔を踏まれたものがいただけだ。こちらは鼻に絆創膏を張っていた。
「……ボクらに何か用なの?」
龍治は言った。秋保は龍治の背に隠れた。
「俺は知っているんだぜ。昨日俺が白金の野郎に殴られたとき、横で見物していたってな」
「!?どうして知っているの?」
「匿名の手紙をもらったんだよ。転校生が俺の無様な姿を目撃して、それをみんなに言いふらそうとしているってな」
「そんな!!ボクは確かに見たけど、人に言いふらしたりなんかしないよ!!」
「そんなのは関係ないんだよ」
龍治が必死に弁解するが、佐原はきっぱりと否定した。
「問題はお前が俺の痴態をその目で見ているんだ。ゴシップはすぐに広まるんだ。おかげで俺の株は下落しちまったよ。ひひっ、ひひひひひ」
佐原は虚ろな笑みを浮かべていた。もともと彼の株は白金に負けたときから下がっていたが、本人にとっては問題ではないのだろう。
「さあ、こいつらを連れて行け」
佐原の仲間が龍治と秋保を強引に連れて行った。
龍治たちが連れて行かれたのは校舎裏であった。昨日も見たが陰気なところであった。生徒という太陽でも、日陰が必ずできるというわけだ。一日中、どんなに晴れても日の当たる時間が少ない。影でこそこそする者にはちょうどいい場所なのだろう。
龍治は強引に引っ張られ、秋保は両手首を掴まれて、動けないでいた。
「ひひひ、俺の名誉を毀損した罪は重いぜ。白金みたいなイカサマ野郎に負けたって俺は答えないんだからな」
「イカサマ野郎だって?それってどういうこと?」
龍治の疑問に、佐原は喜々洋々と声を弾ませた。
「野郎はな、イカサマ野郎なんだよ。俺より体の小さいくせに俺に勝てるなんてありえない。絶対イカサマをしてやがるんだ。人間の身体が鉄みたいに堅くなるはずないんだよ」
佐原の視線は定まっていなかった。佐原は龍治に殴りかかった。
どすん。
重い突きであった。丸太を突きつけられたような威力であった。身体の軽い龍治は吹き飛び、コンクリートの壁にぶつかった。秋保は悲鳴を上げるが、きつく手首をひねられ、苦悶の声を上げる。
「ひひひ、どうだ、俺の突きの味は?俺のほうが、身体が大きくて強いんだ。あいつが次期レスリング部部長だなんてありえないんだぁ!!」
佐原は子供じみた口調で、地面に倒れた龍治を蹴った。無抵抗の龍治の腹や頭を蹴り上げ、龍治は身体を丸めて耐えるしかなかった。耐えても重い、丸太のような足の衝撃は強い。骨身に染みる重さであった。
「ひゃはははは!!この俺を馬鹿にするやつは許せない!!俺より背の低いやつが俺に勝てるなんてありえないんだよ!!」
佐原の口調は段々と荒れていった。目の色は狂気に染まり、口から泡と涎を垂れ流していた。そもそも龍治をリンチにかける時点で佐原は正気ではない。すでに彼は幽鬼の世界へ足を踏み込んでいた。正気の沙汰ではなく、自分のやることは理路整然だと思っているのだろう。
「お前が終わったら、次はそこの女だ。お前と仲良くしているやつはみんな半殺しにしてやる。たとえ女でも俺は容赦しないんだ。ひひひ!!」
佐原はまるで正論だといわんばかりだが、やっていることは最低だ。よく見れば秋保を捕らえている男子生徒たちの顔色も悪い。本当はやりたくないのだが、佐原の恐怖政治のせいで逆らうことが出来ないのだろう。目の痣は逆らったために出来た代償なのだろう。
「そっ、そんな!!幸徳さんは関係ないのに!!やめろぉ!!」
「うるせぇ!!てめぇは黙って寝ていろ!!」
佐原は容赦なくうつぶせになった龍治の背中を踏みつけた。まるで背中に杵を振り落とされたような重い衝撃であった。口を切り、血を垂れ流した。胃の中が逆流し、頭の中が呆然としてきた。まるで目の前が蜃気楼のようにぐにゃぐにゃと世界が溶け出したかのようであった。
秋保の泣き叫ぶ声が、龍治の聴いた最後の声であった。
2010年6月13日