鬼道忍法帖その1

ひゅん!
ずぶぅ!!
「がはぁ!」
どさ!
人が倒れる音がした。男でのどには細長い鉄が月明かりに照らされ、ちかちかと光っていた。棒手裏剣だ。すでに地面は血溜まりで丸い月がくっきりと映し出される。血の溜まりだからどこか滑稽にも見えた。
「くっ、何者だ!名を名乗れ!!」
他にも仲間がいたようだ。3人ほどで全員20代だ、すでに刀を抜いている。だが手はぷるぷると震え、ひゅーひゅーと息をしていた。明らかに興奮しているようである。
「我らは鬼道衆・・・」
鬼の面の男がぼそりと答えた。物音しない静かな夜であった。月明かりに照らされたのは7人の鬼たちであった。
「お、鬼・・・」

男たちは鬼という単語に反応し、一瞬緊張で身体が硬くなった。
ひゅん、ひゅん!ひゅん!!
鬼たちはそれを見逃さず、瞬時に手裏剣を投げた。それらは男たちの目、のど、心臓を貫いた。
「げぇ、がっがっが」
口から血の泡を吹き、息絶えるもの。目を潰されパニック状態に陥ったもの。鬼たちは念入りに刀で止めを刺した。ぴくんぴくんと痙攣した後まったく動かなくなった。
「幕府の奴らめ、ざまぁみろだ」
鬼の一人が言った。今まで余計なことを一切言わず、沈黙を守り続けた彼らは、やっと安心したように話している。
「へん、まだまだだな。こいつらは下っ端さ。もっともっと幕臣たちを殺してやるんだ」
「ああ、それこそ御屋形さまの悲願のためだ」
「そうとも。我らの命は御屋形さまのものだ」
鬼たちが去ると月は雲に隠れ、しとしとと雨が降り始めたのである。侍達の死骸に降り、切口が雨に洗い流され、傷口がぴろぴろと震えていた。
季節は3月。春がすでに桜の花びらを連れてきた季節であった。

鬼道衆は鬼の集まりである。普段は江戸の外にある鬼哭村に住んでいた。
「おとう、おとう!」
小さな男の子が百姓の元に駆け寄り、抱きついた。そこに女性が現れ中のよさそうに話している。どうやら彼らは親子のようであった。男の子は嬉しそうに父親に抱きつき、甘えていた。
「あんた、昨日は大丈夫だったかい?」
「ばかたれ、小平の前でそんなこと言うな」
父親は怒鳴った。彼は昨日侍たちを殺した鬼であった。彼は子供の前で汚れた仕事の話をするのを好まなかった。彼の名前は大助。妻の名は菊。二人は幕府の役人に家族を殺されたのである。酒を飲んだ幕臣の息子たちが大助の父親を殺したのだ。それを抗議した母親も殺され、自分自身も命を落としかけた。それを鬼道衆に救われたのである。今、大助は20であった。子は3歳。昼は百姓として畑を耕し、夜は鬼道衆の鬼として仮面を被り、村を護っているのだ。
大助や他の下忍たちは自分の命はもう終わったと思っている。自らの命は恩人でもある鬼道衆頭目九角天戒のものだと。
だが九角は下忍たちが安っぽく命を捨てるのを好まなかった。前にこんなことがあった。
「大助、お前子供ができたそうだな」
大助はある日九角に声をかけられた。驚くとすぐ額を地面にこするように頭を下げたが、すぐ上げろと言われた。
「は、はい。おかげさまで。大きくなったら徳川を呪うように子守唄に聞かせて・・・」
「ならぬ」
「え?」
「徳川を呪うのは主だけでたくさんだということだ。幼子の頃からそのように育てれば、やがてそれをえさに人を殺すのが楽しくなってくる」
「・・・」
「俺は徳川が嫌いだ。奴らを滅ぼしてお前たちに新しい時代を迎えさせたい。だが俺は死ねば地獄だ、まあ、それ自体は後悔しておらぬ。問題は徳川を滅ぼした後のことだ。明日のことを考えれば子供の未来に人の殺し方を教える必要はない。また子供のためにお前は生きねばならぬ、無駄死には許さぬぞ」
前に九角の父親は彼を護る為に命を落としたと聞く。母親も妹を生んだがその後死に、妹も死産だと聞いた。だからこそ九角は家族を大切にするのだろうと思った。
大助はその後小平とともに楽しい夕食を取った。しかし、後日彼に悲劇が迎えることを知らなかった。それは春雷が鳴り響く雲がどんよりと布団のように分厚い日の話であった。

 

おっとー!」
大助の息子が抱きついてきた。野良仕事を終え、くたくたであったが、息子の笑顔を見ると疲れがうそのように消えていく気がした。
「ねぇ、あそぼ、あそぼ!」
「こら小平。おとっつあんはね、夜のお勤めがあるんだよ。少しでも休んでもらわないと・・・」
「ははは、構わんさ。これくらいで音を上げては御屋形さまは護れない。何して遊ぼうか?」
くすくすと妻の菊は笑った。とても幸せそうな家族であった。それを遠目でこの村の長、九角天戒が見つめていたのである。

「さて、次の任務は以下の侍を殺してもらう。内藤新宿によく来るようなので心してもらいたい」
九角屋敷では下忍たちが打ち合わせをしていた。彼らは幕府の要人を殺して回っているが、でたらめに殺してはいない。むしろ世間で評判が悪いものだけを狙っているのだ。そしてできるだけ人の怨念が漂う場所を選ぶことにより、人心をより多く乱すことができるのである。
その中には大助もいた。彼は下忍の中でも人望のある男であった。大助はこの村で子供ができて以来絶対生きて帰ってみせると誓っていた。どんなに死に掛けても絶対帰ってきたのだ。
ただ彼は村のみんなに負い目があった。以前彼は仲間がへまをして傷つき、幕兵に捕まりかけたのを見捨てて逃げたのである。九角は責めなかった。側近で嵐王という男がいるのだが、彼が大助の弁護をした。
仲間が死に掛けたからと言っていちいち助けていたら自分たちの危機になりかねないと。仲間たちも大助は責めなかった。あれはどうしようもなかったと慰めたのである。
だがこの一件で大助は命を懸けて任務をこなした。
まるで死んだ仲間のために命を捨てかねない仕事振りであった。
「そういや左金太。秋になったらおっかさんと紅葉を見に行くと言ったが、おっかあ以外に見に行く相手はおらんのか?」
「それは言わないでくれや。黒兵衛も夜相手してくれる女子はおらんのかね?」
下忍たちは笑いながら打ち合わせをしていた。
「大助のかみさん。お菊は小平が生まれる前は雹さまに仕えておったが、このごろじゃあめっきり母親になったのう。あれはここに来た時は山猫のように爪で引っかくような女じゃったわ。もっとも鶴には負けるがな」
雹とは鬼哭村の人形使いの娘である。彼女は女忍者、くの一たちの上忍である。他にも御神槌、泰山、嵐王、火邑という上忍がいる。そのうち火邑の下忍たちは長州で幕府の長州征伐の邪魔に行っているのである。

「そういや、左衛門たちはどうしたであろうか?御屋形さまの命令で菩薩のような女性を探しにいったきり戻ってこんが・・・」

左衛門とは二月前に鬼道集に加わった男だ。彼は農民の出だが、影でこっそり刀を持っていたのがばれ、幕府に追われたのを鬼道衆に救われたのである。

「それに九桐さまもずいぶん帰ってこんな。まああの人が簡単にくたばるとは思えんが・・・」

「違いねぇ」

あっはっはと村人たちは笑った。
「皆、そろった様だな」
九角がやってきた。下忍たちは頭を下げる。
「・・・今回の任務よろしく頼むぞ。あと・・・」
「?」
「大助。今回の任務、お前をはずすことにした」
「な、なぜでございます!何ゆえそのようなことを申すのですか!!」
大助は驚いた。他の下忍たちも同じであった。
「大助。お前には家族がいる。もしお前が死んだら小平はどうなるのだ?菊は?お前には村の護衛に残ってもらう」
「・・・」
大助は黙ってしまった。とても不満そうである。家族がいるからなんだというのだ?自分は鬼だ。最初から自分の命など御屋形さまのものだ。死ぬことなど怖くない。小平は自分がいなくとも菊が育ててくれるからだ。
「俺はお前たちは馬鹿だと思う。俺のために命をささげてくれるのは嬉しいがもう少し残された者の気持ちも考えてほしいと思う。俺には家族はいない。従兄弟の尚雲だけが俺の身内だ」
尚雲とは九角の父親の妹の子供である。九角と同じ歳で現在は諸国を漫遊している最中であった。
「しかし、俺はお前たちを大事な家族だと思っている。だからこそ俺を悲しませぬために必ず生きて帰って欲しいのだ。特に大助。お前は自分の命に無関心すぎる、安っぽく徳川に命を散らせてはならぬ。この通りだ」
九角は土下座した。あわてて止める下忍たち。
「あ、頭など下げないでくだされ!御屋形さまはもっと我らに対し非情であってくだされ!!我らに死ねと命令してくだされ!我らの命はもう御屋形さまの御身のためにあります。たとえ涅槃に落ちようとも我らは恨みませぬ」
「その考えがいかんのだ!!」
九角は声を張り上げた。
「命を投げ出すものに徳川を呪うことなどできぬわ。俺はあと2年くらいで幕府は倒れると占った。薩摩は長州と手を組み、幕府の長州征伐は失敗に終わると思う。だが徳川を、江戸を護る結界を潰さねばたとえ徳川が滅びようとも新たな支配者が生まれるであろう。俺は江戸を滅ぼしたいのだ、江戸を作った徳川を滅ぼしたいのだ。頼む、必ず生きて帰ってきてくれ!!」
再び頭を下げた。下忍たちはもう何もいえない。
「わかり申した。我らは死にませぬ。必ず生きて帰り申す」

「嬉しいのう、御屋形さまはわしらを家族と言ってくれた。これだけでも思い残すことはない・・・」
「だが御屋形さまの言い分にも一理ある。徳川のために命を落とすのも馬鹿らしいというものだ」
「そのためにも日々の鍛錬は欠かせぬわい」
下忍たちは御屋形さまの言葉に感動していた。この村に来る前は傲慢で無能な代官や役人にいじめられていたが、九角はすばらしい指導者であった。自分たちより年下ではあるが尊敬するに値する人間であった。
だが大助は不満であった。自分に息子がいるだけでなぜ自分がはずされるのかわからなかった。もちろんそれは母親のいる左金太も任務からはずされ、村の見張りを命じられたのである。若い下忍で吾郎という少年とともに今夜の見張りにつく予定である。左金太の代わりに幼馴染の辰が加わることとなった。
「わしは行くぞ」
大助が言った。意志の硬い言葉であった。下忍たちはあわてて止めた。御屋形さまに逆らうのかと。
「わしは生きて帰る。それならよいであろう」
頑固であった。彼らはあきらめるとこっそりと内藤新宿へ向かったのであった。その夜大助がいないことを知って小平が村中を「おとう、おとう」と探し回る姿が目撃され、そこで始めて大助が内藤新宿へ無断で行ったことがわかったのであった。

「ぐぁぁ!!」
目的の侍たちを斬った。楽な仕事であった。ところが叫び声を聞きつけたのか誰かがやってきた。大助たちは急いで隠れた。やってきたのは無手の若者に素浪人。それに彼らには不似合いな上品な娘であった。彼女は自分たちが切り殺した侍に向かってなにやら奇天烈な呪文を唱え始めた。
「・・・はてな。あれは切支丹の説教にも似ているぞ?」
下忍の一人が答えた。鬼哭村は宗教は自由で村には切支丹の教会が立っているのだ。今いる彼らはよく上忍である御神槌の神の教えをよく聞いているが、今の女性のは天使の呪文を唱えているのだ。
するとかざした両手から光が溢れた。すると侍の傷はみるみる塞がっていくのである。
「!?あの娘、切支丹の妖術を使い、徳川を救いおった!!許せぬ!!」
黒兵衛が怒った。せっかく殺したと思った幕兵をこの女は治したのである。
「我らは鬼道衆。小僧ども、こやつ等を救った罪たやすく消えるとは思うなよ!!」
下忍は棒手裏剣を一斉に放った。
かきん、かきん!!
無手の男がそれらを手甲で弾いた。恐れもせず、冷静に棒手裏剣を落としたのである。
「おのれ!!」
下忍が無手の男に切りかかった。
ばきぃ!
男は下忍の刀を持つ腕を蹴り上げた。骨が折れ、思わず押さえ込むと、胸に手をかざし、どん、と音がした。そしてそいつは気絶したのである。
「くそ!素浪人は複数でかかれ!!」
下忍が3人ほど素浪人を囲み、刀を突き出した。すっと素浪人の腹に突き刺さった。と思った。
だがそれはかわされ、下忍たちは互いの腕だの足だのを刺し、血が流れたのである。
「き、貴様ら!徳川に組するものか!?許さぬ、許さぬぞ!!」
黒兵衛が刀を振りながら素浪人に斬りかかった。しかし、素浪人にあっさり刀を飛ばされてしまったのである。そして素浪人の右足が黒兵衛の腹に決まった。けほけほとせきをしている。自分以外はすでにやられているようであった。こいつらの実力を甘く見ていたのが敗因であった。
「馬鹿いうな。俺は徳川の味方じゃねぇ」
素浪人が答えた。
「俺は己の剣がどこまで通じるかをみてぇだけなのさ。それにあっさり人を斬るのは嫌いだ。楽に人を殺せば、それに慣れちまう。こいつらは死んでいないさ」
見ると確かに下忍で死んでいるものはいない。それどころかさっきの切支丹の娘は傷ついた自分たちの傷を治し始めたのである!!自分たちが殺そうとしたことなど気にならない様子であった。
「な、なぜだ、なぜ我々を助けようとするのだ?」
「なぜって・・・、あなたも同じ命でしょう?無駄にしてはいけないからです」
ああ、なんということだ。徳川ではないものの、切支丹の娘に救われ、説教されるとは・・・。とても恥を忍んで生きることなどできない。
がく。
黒兵衛は舌を噛んで死んだ。彼にとって生きることより楽になる死を選んだのである。
「な、なんてことを・・・」
ぼふん。
煙幕が上がった。大助の仕業であった。彼らは無手の男に傷つけられた者たちであった。正確には自分たちでつけた傷なのだが。
3人ほど暗闇の方へ逃げた。無手の男と素浪人はぽたぽた落ちた大助の血を追っていった。

「行ったか・・・」

そんな中倒れたふりをした辰が変装を解き、鬼哭村へ傷ついた体に鞭を打ち、このことを報告するために・・・。
だがそれを報告するには数ヶ月を待たねばならなかった。なぜなら村にたどり着いた途端、辰は意識不明に陥り、数ヶ月眠る羽目になったのである。その後彼が起きたとき、大助たちは帰ってこなかったと聞いた菊の嘆きぶりは見ていて心が痛かった。そしてそのとき自分たちと戦った無手の男と素浪人、切支丹の娘と出会うのはそれから後のことであった。

続く

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