鬼道忍法帖その2

 

さて内藤新宿から下忍の辰がやっとのことで帰ってきたが、意識不明になってしまった。彼が目を覚ますまでかなりの時間がかかり、大助の妻、菊は彼が何時起きるのか、夫は無事なのかと眠れぬ日々が続いたのである。
さてその夜彼が命からがら逃げ出したとき、村には幕府の人間がやってきた。村には結界が施しており、村人以外は滅多に人は来れないのだが時たまこういう輩がやってくる。だから見張りは欠かせないのである。その晩下忍の左金太は吾郎とともに見張りをしていた。ところが吾郎は彼らに殺されてしまった。吾郎ののどに矢が突き刺さった。即死であった。
幕府の男は代官のようで、自分の金で人を雇い、独断でこの村を発見したようであった。しかし、この男が手柄を独り占めせず、幕府に進言していれば死ぬ羽目にならなかったのである。
彼らは烏合の衆であった。九角自らが刀を振るった。雑魚であった。
その晩村を襲った連中はすべて殺した。死骸はすべて山の中に埋めた。下手に捨てておくと山には狼がおり、人の肉を覚えるからである。村ではあまり獣を獲ることは禁止されている。上忍の泰山は山の動物たちと心を通わせる男で、鳥や兎などは皆友達なのである。
精々魚しか食べることはできない。しかし、その魚を食べない、というか生き物を食べない人種がいる。いわゆるクリスチャン、当時は切支丹と呼ばれていたものたちだ。
彼らは生きとし生けるものは平等というのが信条のようで、野菜しか食べないのだ。上忍御神槌は宣教師で皆彼の教えを護っているのだ。
「しかし辰の奴、まだ眠っておるのかのう?」
「よほど偉い目にあったのだろう。左金太のおふくろさんが面倒を見ておるから大丈夫じゃが、問題は大助じゃ。辰が起きん限りあいつがどうなったかわからんのじゃからな」
辰とは逃げ出して帰ってきた下忍である。今とある家で切支丹の下忍が集まり酒を飲んでいた。全部で7人いる。もっとも彼らは切支丹以外心を許していないのではなく、たまたま今晩集まったのが切支丹だったわけである。真ん中に座っているのが中忍の陣内という男で、年は30代。元は御神槌と同じ切支丹で、山奥にある切支丹村の村長であった。そのため陣内はなんとなく他の村人にはない貫禄があった。御神槌とは20くらいの歳が離れているが彼を尊敬していた。週に一度のミサに集まっていた。妻はいるが子供はなく、御神槌を尊敬する一方、自分の子供のように可愛がっていた。よく御神槌は陣内夫婦の家に泊まったりと仲良くやっていた。だが陣内には御神槌に対する引け目があった。御神槌の村が襲われたとき村のものがそれを見て、急いで知らせに走ったのである。陣内たちは急いで荷造りをして村を逃げた。村人はばらばらになったが、幕府に捕まったものはいなかった。陣内は宣教師の御神槌が心配で、こっそり彼の村へ様子を見に行ったのである。村はほとんど焼かれ、新しい家が一軒建っていた。作りが雑だから急いで作らせたのだろう、あばら小屋に近かった。村人の豆六にいってこっそり調べさせたが、そこは拷問小屋であった。切支丹をやめさせる目的で拷問が始められたのだが、幕府はその拷問を明らかに楽しんでいるのである。わざわざ拷問道具をそろえたのだから、あきれ果てる。

陣内は夜中彼らが寝静まったあと彼らが寝泊りしているテントに火をつけた。その隙を狙って御神槌を救ったが、彼の髪の色は拷問の恐怖のため真っ白になっていた。

その後は鬼道衆に拾われ今に至る。村人と一緒に教会を作り、礼拝堂を作った。専門家はおらず、拙い作りであったが、切支丹には自由にお祈りが出来る場所となった。

この村へ来て切支丹に目覚める人間も多い。村には石海という和尚もいるが、彼とは別に仲が悪いわけではない。むしろ仲良くやっていた。

 

「それより聞いたか?ここ最近江戸の町で横行しておる人攫い。あれがどうも切支丹屋敷の仕業らしいぞ?」
「何!?切支丹屋敷だと!!」
「おう、桔梗さまから聞いたがあいつら人攫いの罪をわしらのせいにしておるそうな。御屋形さまが直に動くらしいわ」
切支丹にとって切支丹屋敷とは忌々しい思い出しかない。
元は初代宗門改め・井上正重の下屋敷であったが、切支丹の改宗の施設も兼ねていたことから切支丹屋敷と呼ばれるようになった。
島原の乱から切支丹たちを弾圧するも、幕府は彼らを皆殺しにするために1623年正保3年切支丹屋敷を設けた。長崎奉行の管轄、九州以外で捕らえられた切支丹はこの屋敷に連れてこられ、転ぶこと(改宗すること)を迫られたのである。当時はかなり陰惨が拷問が繰り返された。火責め、水責め、逆さ吊りなど役人たちは拷問を楽しんだ。切支丹は人ではないから好きなようにしていいのだ。彼らはめったのことでは改宗するものはおらず、ほとんどが殉教するもの多かった。
宣教師シドッチもこの屋敷の牢屋で餓死させられたともいう。
1792年寛政4年。宗門改役廃止まで続けられたという。
現在この屋敷には井上正重の子孫、具足奉行井上重久しかおらず、幕府も黒船と長州征伐で忙しいのか切支丹弾圧はひっそりと静まっていた。そのはずだった。
「その子孫が幕臣相手に拷問を楽しませる会合を開いておるそうだ。しかもそれだけでは飽き足らず、若い娘をさらって拷問させるそうな」
「けっ、吐き気がするぜ。そいつをぶっ殺してやりたいぜ!!」
若い切支丹がいきり立っている。自分たちは拷問などされずただ殺されそうになったが、当時の切支丹たちの無念を思うと胸が張り裂けそうであった。
「だがなぁ、もっと吐き気がすることにそいつら最近小石川診療所を通じて患者を屋敷に連れ出して拷問させるそうだ。患者なら死んでも病死で済ませられるからな」
まったく鬼畜の所業であった。もはやこいつらを野放しにしてはいけない、それにそのおぞましき遊戯を復活させた井上正重の種を潰さねばならぬ。
「皆さん、おりますか?」
一人の少年が入ってきた。黒い宣教服を着ているのは彼らの上司、御神槌であった。
「おお、御神槌さま。今夜はどのような用件で?」
「実は今日あなたがたにお願いがございます・・・」
「そうでございますか、よろしゅうございます」
「まず、わたしについてきて下さい・・・」
下忍たちが連れてこられたのはとある屋敷であった。住むものが住まない屋敷はどうも不気味である。鬼道衆でも気味が悪いものはしょうがないのだ。
「はて、ここはどのようなところですか?」
「かつてここは旗本の屋敷でした・・・」
御神槌の話では昔この屋敷に大蛇が住んでいたようだ。しかし、ある日旗本に目を潰されて以来屋敷のものは次々と死んでいったという。やがて大蛇も死んだがその怨念の残り香は今もくすぶっているとのことだ。桔梗、九角に仕える女性が発見したのである。
「その怨念を触発して江戸にばらまくのです。その怨念は病として人々を苦しめるでしょう・・・」
「・・・。御神槌さま。御屋形さまはそれをご存知なのでしょうか?」
陣内が尋ねる、もっともな意見だ、彼らにとって九角天戒は絶対なのだから。ところが御神槌は首を横に振った。これは自分の独断なのだという。
「病人たちを一気に切支丹屋敷に送らせ、さらに拷問を楽しみに来る幕臣どもを誘い込むのです。わたしはそのために儀式をせねばなりません。その間わたしの護衛を頼みたいのです」
陣内たちは黙り込んだ。無論独断とはいえ九角が自分たちを処刑したことなどない。しかし、背徳感がある。
「わかりました。おまかせください」
下忍たちにとっても切支丹屋敷は忌々しいものだ。なんとかして潰してやりたい。憎き井上正重の血脈をたたっ斬ってやる。

数日後。町には白蛇病が流行りだした。熱が上がり、肌に蛇のうろこのようなものが浮かび上がることからつけられた名前だ。
小石川診療所は患者に溢れ、急遽井上重久の屋敷に患者を送られることになったという。
「おそらく幕臣たちは今夜集まるでしょう。一気に一網打尽にしてやるのです」
御神槌は切支丹の祭壇を作り、儀式を続けていた。もっとも祈るのは天帝デウスでなく、悪魔沙丹であるが。動物の血をたっぷり満たした杯や毒々しい花などが飾られていた。
「楽しみでございますが・・・、御屋形さまはお怒りでしょうか?」
陣内が言った。
「お怒りでしょうね・・・。たとえ作戦とはいえ罪のない人々を病気という名の呪いで苦しめているのです。もとよりわたしはパライソなどへ行けるとは思いません」
パライソとは天国のことであり、地獄はインヘルノと切支丹は呼んでいた。
「それは我らも同然です。徳川を苦しめてインヘルノに落ちるのに何の後悔がありましょうか?」
「・・・ありがとうございます。・・・おや?」
御神槌が何かに気づいたようである。
「どうなさいました?」
「誰か来たようですね。みなさん隠れてください」
やってきたのは5人の男女であった。無手の少年、素浪人、僧侶、弓使いと思われる少女と、場違いそうな清楚な娘であった。
「はてな?奴らは何者だ?」
下忍たちはまったく予想ができなかった。幕府の連中にしてはどうにもばらけた感じがするのである。
「・・・おや?あの娘、清楚な方だがあの娘切支丹ではないか?」
「なんだと、なぜわかった?」
「切支丹が嫌う沙丹の像を毛嫌いしておる、それに胸を十字に切おった」
巨漢の仏法者は高野山の僧侶らしいが、切支丹の娘がなぜ彼らと行動をしているのかわからなかった。様子を見ていると素浪人が儀式の祭壇をいきなり破壊したのである。
「貴様ら!せっかくの祭壇を潰しおったな!!生きて帰れると思うなよ!!!」
下忍たちが彼らに切りかかった。あんまり強そうに見えないのでつい飛び出してしまったのだ。
「お前らかよ!流行り病の元凶は!!」
素浪人が刀を向ける。そこへ御神槌が現れた。
「ええ、その通りです。我は鬼道衆が一人御神槌。あなた方は何者ですか?徳川の手先にしてはどうにも若すぎる・・・」
「わたしたちは公儀隠密の龍閃組と申します」
切支丹の娘が答えた。
はてな。龍閃組など今始めて聞く名前である。だが、公儀隠密ならば幕府の狗だ。ここがこいつらの墓場になるのだ!
「ふふふ、幕府の狗ですか。あなた方は自分の行為を正しいと思っているのですか?そこの娘さんあなたは切支丹でしょう、なぜ徳川のために働くのですか?わたしには理解できませんね」
「わ、わたしたちは狗ではありません!龍閃組です!!」
娘は反論した。見かけによらず気の強い性格のようだ。
「まあ、どちらでもいいですよ。あなた方に今回の事件の元凶は小石川診療所だと教えておきましょう。もっともここを生きて出られたらの話ですがね・・・。皆さん頼みましたよ」
御神槌は逃げた。下忍たちは彼を逃がすために龍閃組に立ち向かった。彼らは薙刀を構えると彼らに斬りかかった。
ひゅう!
すとん。
無手の少年がいつの間にか下忍の後ろに立っていた。一瞬のうちに自分の頭上を跳び越したのである。
「なっ!!」
ごん!!
少年の拳が下忍の顔を吹っ飛ばした。面が割れ、泡を吹き気絶してしまった。
「豆六!!くそ、平次、元太!俺たち3人で一斉に刺すんだ!!」
陣内が叫ぶと彼らは無手の少年に3人がかりで襲った。
「甘いな」
素浪人と僧侶がいつの間にか自分たちを囲っているのだ。
「玄道に伝えられし、泥丸の力よ」
僧侶が叫んだ。
「螺旋となり、この身体にほとばしれっ!!」
素浪人もあわせて叫ぶ。
「うなれ!王冠のチャクラッ!!」
無手の少年も叫ぶ。
「破ァァァァァッ!!」
それは光であった。彼らの頭が丹田(へそ)から泥丸()へ駆け上り、下忍たちを吹き飛ばしたのである。
「こ、こいつは方陣技!?御屋形さまと桔梗さま以外にも使えたのかよ!!だが、こっちも後を引くわけにはいかねぇ!道連れに死んでやらぁぁぁ!!」
しゅ!
ぱかん!!
下忍の面が二つに割れた。弓使いの矢が当たったのである。もう動ける下忍は一人もいない。自分たちはおそらく番所に連れて行かれ、打ち首にされるだろうと、下忍は薄れ行く意識の中で思った。

だが次に起きた時はまったく変わっていなかった。自分たちは古屋敷の中で寝ていたのだ。よく見ると傷の手当てをされたものもいる。あの切支丹の娘のおかげだろうか?幕府の狗がなぜ自分たちを殺さず、さらに役人にも引き渡さなかったのが不思議であった。
「!!今何日だ!!」
自分たちはいつまで眠っていたのだろうか!!御神槌さまはもう行動を起こしているはずであった。今すぐ切支丹屋敷へ向かうべきだ!!
小石川の切支丹屋敷ではすでに事は終わっていた。井上重久はすでに死んでおり、牢の中の病人たちは解放されたのである。屋敷はすでに奉行所が検分しており、重久に従っていた浪人たちはお縄にかかっていたのである。
「ちがうんだ、ちがうんだよぉ!俺たちは頼まれただけだ、拷問する娘や切支丹を探すのを頼まれただけなんだよぉ!!」
「そうだ、そうだ!なんで切支丹を拷問して俺たちが捕まるんだ、こんなの不条理だ、陰謀だ!!」
ばき!!
浪人たちは棒で頭を叩かれた。ひーひー泣き喚く浪人たち。
「やかましいわ!貴様らがかどわかしの下手人であることは明白。打ち首になるのは当然であろう。さっさと歩け!!」
下忍たちはそれを見ると溜飲がくだる思いがした。少なくとも切支丹屋敷はこれで終わりだろう。彼らは一路村へ帰った。

「おお、お前たち無事であったか」
迎えてくれたのは九角であった。話によれば昨日切支丹屋敷を襲い、御神槌は井上重久を殺し、九角たちは囚われの病人たちを解放したとのことであった。下忍たちがいつまで立っても帰らないので心配して探索を出そうとした矢先に、彼らが帰ってきたというわけだ。
「それにしてもよく無事に帰ってきたな」
「ははっ!!ですが我々は一度龍閃組という輩にやられたのでございます。ですが、奴らは我々を殺さず、さりとて役人に差し渡したわけでもないのでございます」
「龍閃組とな?御神槌も言っておったわ。ううむ、不思議な奴らよのう・・・」
九角は首をひねざるをえなんだ。そしてこれが鬼道衆と龍閃組の長き戦いの火蓋を落とすこととなるとは、彼らも思っても見なかったのである。

続く

前に戻る

話へ戻る

タイトルへ戻る