鬼道忍法帖

 

きゃっきゃと子供たちが5人ほど遊んでいた。
子供たちはひとりの大人を中心に、走り回ったり、足にしがみついて遊んでいた。
男の名は守太郎といった。御神槌の下忍である。しかし、彼は別に切支丹ではなかった。守太郎は2年前妻と二人でこの村に来た。妻の名は見守(みもり)。吉原の遊女であった。
見守は元は商人の娘であった。しかし、殿様商売が災いしたのか、屋台骨は見る見る腐り、破産した。彼女は吉原に二束三文で売られたのである。
さて守太郎のほうと言えば、この男はお世辞にもいい男ではなかった。ずんぐりむっくりで、まるでだるまのような男であった。顔はまるで金太郎のようであった。だが、この男は気配り上手であった。吉原の遊女に良く気を使っているので、遊女たちは彼を守さんと畏敬をこめてよんでいた。しかし、色恋になればそれとこれとは別で、もてるわけではなかった。守太郎自身も自分は女を呼び寄せる器でないと理解していた。このまま女を知らずに死んでいくものと思っていた。
「あんたぁ、もうすぐ夕餉だよ〜」
女が子供たちと遊んでいる守太郎に声をかけた。妻の見守である。その横には一歳くらいの子供がよちよちと歩いていた。守太郎の息子、守助(もりすけ)である。
子供たちは守太郎にさよならすると、それぞれの家路へ帰っていった。後に残るは守太郎一家のみ。
「また、子供たちと遊んでいたのね。自分の子供も遊んであげればいいのに」
「がっはっは、そういうな。俺は子供が大好きだ。あいつらは俺の予想のできないことを平然とやってのける。守助、おとうと、家で遊ぼうなぁ」
守太郎は子供の頭をやさしくなでた。
「そうそう、桔梗さまが人を連れてきたみたいよ」
「桔梗さまが?いったい誰を連れてきたんだ?」
「あんたも見ればわかると思うけど、よく吉原で遊女のかんざしを修理してる弥勒って男だよ」
「弥勒が?はて、あの気難しい男がなぜここへ?」
「その弥勒だけど遠めで見たけど、右腕がなかったよ。たぶんそれと関係があるかもね」
桔梗とこの二人は大変縁が深い。彼らがこの鬼哭村に来たのは桔梗のおかげなのだ。
見守は守太郎にほれた。理由はない。ただ守太郎の優しさが彼女のいてついた心をあたたかく溶かしたと思う。彼女は身請けされる予定であったが、彼女は守太郎と心中してくれと頼んだ。自分と一緒に死んでくれと頼んだのである。
二人は川の中に身を投げようとした。だが、それを桔梗にとめられたのである。心中するくらいなら自分にその命を預けてみないかと。そんなわけで守太郎たちはこの村に住むこととなった。村人はほとんどがわけありで、守太郎たちの過去などどうでも良かった。それにこの村の主九角天戒は指導者として有能で、立派な人間であった。吉原に来る幕臣の息子たちと比べると月とすっぽんであった。自分はこの村に骨をうずめよう、守太郎はそう思った。

「おい、守太郎」
「なんだ、陣内」
守太郎は御神槌の下忍の集まりに出ていた。彼らは酒を飲んでいる。ぱちぱちと囲炉裏の火が燃えていた。
「桔梗さまは近いうちに吉原を恐怖に陥れるそうだ」
「桔梗さまが?」
「あの人、吉原のことになると頭に血がのぼりやすいからなぁ」
からからと笑い声が上がった。
「笑い事じゃないぜ?女たちから聞いたがなんでも吉原でお葉という遊女が無残に殺されたそうな。それの復讐させると言ってたそうな」
「なっ、お葉が?そうか・・・」
「もり、お前そいつを知っているのか?」
「ああ、なかなかいい娘だった。体が弱いと聞いていたが・・・。むごいな」
「まったくだ。それで桔梗さまはそいつに外法をかけて、自分を苦界へ落とした女衒を殺したそうだ。まあ天罰だな」
「近いうちに吉原は血に染まるか・・・。悪いのは吉原だ。遊女だけは殺してほしくはないな・・・」
くいっと守太郎は酒をのどに流し込んだ。
「それともうひとつ、御神槌さまを倒した龍閃組だ。あいつらは公儀隠密だと言っていたがあいつらはどうも幕府の犬とは違うようだな。俺や豆六、平次や元太を殺さなかったからな」
豆六とよばれた若者はばつが悪そうにぽりぽりと頭をかいていた。
「わけのわからない連中だな。いずれ俺たちとも戦うことになるだろうな・・・」

「あんた、あんた」
守太郎は妻、見守に揺り起こされた。横では守助が寝息を立てている。時刻はもう日が落ちており、子供はもう寝る時間である。守太郎は昼の畑仕事で仮眠を取り、夜の見張りの仕事につく予定であった。だが、見守はそれとは違い、まるで急かしているようだ。
「んん?なんだ?」
「あんた、桔梗さまがこんな夜更けに一人でお出かけになったんだよ」
「な、なんだって!!」
守太郎は眠気が覚めた。そして仲間たちを呼び出し、こっそり桔梗のあとをつけた。目的地は吉原であった。

守太郎たちは変装し、吉原へ入った。昔は日本橋の人形町付近にあったが、市中の開発が進み、辺りが江戸の中心的役割を担うようになると幕府はビジネス街の真ん中に色町があるのが許せなくなった。吉原は明暦の大火で全焼し、幕府はそれを契機に、敷地5割り増しという条件で浅草田圃へ移転を命じた。以来消失前の吉原を元吉原、移転後は新吉原と呼ぶようになった。新吉原の総面積は約2万670坪、幕末期には5000人以上の遊女を擁した。

「ずいぶんにぎやかなものだ」

「そうだな、しかし、男ばっかしだな。当然といえば当然だけどさ」

豆六と元太が話していた。

「ふん、お前らは吉原の、遊女たちがどんな地獄を見ているのか知らないだけさ」

守太郎は吐き捨てるようにいった。

遊女勤めは苦界十年。

遊女は16歳で客をとり、27歳で年季明けとなる。つまり10年で自由の身になれるのだが、その道が果てしなく遠い。なにしろ食事は粗食で栄養失調になるものが後を絶たない、そのくせ病気にかかっても医者にもかかれず、死ねば近在の浄閑寺にゴミの如く投げ捨てられたのである。吉原には女衒に売られた娘も多い。貧しい家が娘のために売ることが多かった。ちなみに戦後の日本でもGHQは人身売買を禁止していたが、それでも人買いは後を絶たなかったといわれている。地域によって子供に夜遅く遊んでいると周旋屋がさらいに来るぞと叱ったりするのだ。

男尊女卑の世界と思いがちだが、吉原で遊ぶにはそれなりの金と誠意が必要となる。客はなじみの遊女以外遊ぶことは禁じられ、ルール違反をしたものは罰則を受けるのである。花魁クラスにもなれば嫌な客を断ることもできるのだ。ただし、ごく少数だが。

「で、お葉が勤めていた店は・・・」

守太郎は思い出そうとすると、とある店から叫び声が聞こえた。

「ひぃぃ、幽霊だぁ」

「お葉がばけてでたぁ」

「殺されるぅ!」

遊女らがよほど慌てたのか裸足で店から飛び出してきた。おそらくその店が目的地であろう。

さて店にはほとんどの人が逃げているし、通りも騒がしくなっている。守太郎たちはその隙に店に乗り込もうとした。しかし、良く考えればこのまま放っておいてもよいのだ。少なくとも吉原に呪いをかけるのは守太郎たちも賛成だ。それに桔梗はああ見えても実力がある。よほどのことがない限り大丈夫だろう。

その店に5人の男女が駆け足で入っていった。豆六と元太らはそれを見て、

「あれ、あいつら・・・」

「誰か知っているのか?」

守太郎が尋ねた。すると豆六たちは顔が青くなった。

「あいつら、あいつらは龍閃組だ!間違いない!!」

「な、なんだって!?」

「あいつら結構強いんだ。桔梗さま一人だと分が悪いぞ、早く助けに行かないと!」

全員店の影に隠れ、用意したしのび装束に着替えた。

 

座敷では桔梗と龍閃組が対峙していた。帰郷の横には外法で蘇ったお葉もいた。着流しの浪人が顔を赤くして怒っている。
「ふふふ、この三味線の名前はお葉さ。そして死んだお葉自身でもある。あんたたちはここで死ぬんだよ?」
「けっ!やれるもんならやって見やがれ!!お葉ちゃんは復讐なんか望んじゃいないんだ!!」

「ふん、お葉の気持ちも知らず、よくほえるねぇ。あたしはお葉の無念を晴らすためにやってるんだ。苦労知らずのあんたらにとやかくいわれる筋合いはないね」

「んだと、てめぇぇぇ!!」

浪人は桔梗に切りかかろうとした。

かきぃん!

だが刃のぶつかる音が響いた。
「桔梗さま!ここはわれらにお任せを!!」
守太郎たちが横に入った。彼らは既に鬼の面をかぶっている。
「守太郎!あんたたち!!なんでここに!?」
桔梗は突然の闖入者に驚いていた。
「そんなことなど気にしないで!!行くぞ龍閃組!!」

「ちぃ、どうしてもやるっていうのか!!」

守太郎たちは狭い座敷の中で戦った。弓使いの少女がいたが、部屋が狭いためか、弓を射る機会がない。危険なのは無手の使い手の男と、巨漢の僧侶だ。

「たぁ!!」

守太郎が剣士に斬りかかる。だがあっさり止められてしまった。

「ちょいや!」

陣内が懐から赤い玉を取り出して投げた。火神之玉である。巨漢の僧侶の目の前で真っ赤な炎が舞い上がった。視覚が一瞬奪われる。

「しゃあ!!」

豆六と元太たちが一斉に刀で突き出した!

ざく、ざくざく!!

「ぐあぁ!!」

僧侶の腹に刀が突き刺さった。豆六たちは刀を抜こうとした。しかし、抜けなかった。どうやら僧侶は腹に力を込め、刀を抜けなくしているのだ。

「ひゅん!!」

豆六たちは倒れた。無手の使い手が彼らの頭に蹴りを入れたのである。

「豆六、元太、平次!!くそう!!」

陣内は再び懐から何かを取り出そうとした。だがそれは剣士により阻止させられた。

「もう・・・、やめて・・・」

その時お葉は消え入るような悲しい声を上げた。

「あたしは吉原を怨んでなどいない・・・」

それは桔梗にとっては爆弾発言であった。彼女は鬼道衆のためとか言っているが、実際は私情が入っている。彼女はお葉のために彼女に外法を施したのだ。それなのにそれを否定する。

「な、何を言ってるんだい!吉原を怨んでないだって?こいつらにたぶらかされるんじゃないよ!こいつらはあんたが味わった苦痛など知りもしないで、ただ気に入らないから文句を言うだけさ!!あんたは病弱の身なのに酷使され、捨てられた!あんたには復讐する権利がある、資格がある!やるんだよ、吉原を、そしてこの江戸をあんたの呪いをばらまくんだ!!」

だが、お葉は首を横へ振った。彼女は本心からこの吉原を憎んでなどいないのだ。もし吉原に復讐すれば今までの自分が嘘になる。彼女はそういった。

「せめて最後に守太郎さんに会いたかった・・・。あの人だけあたしを人間として見てくれたから・・・」

守太郎ははっとなった。今鬼の面を被っているから彼女は気づいてないのだ。その瞬間守太郎は視界が真っ暗になった。

 

次に目が覚めたのは吉原の外であった。誰一人死んではいなかったのだ。全員草の上に寝かされていた。
「な、なんで助けた・・・?き、桔梗さまはどこだ!?」

守太郎は慌てて辺りを見回した。だが寝ているのは陣内たちのみで桔梗の姿はなかった。
「ふん、俺たちは人斬り集団じゃないんだよ。龍閃組さ!!」

「ちなみに桔梗とやらはさっさと逃げてしまったぞ?」
剣士と坊主が答えた。守太郎たちは桔梗が無事に逃げられたことに安心した。剣士はなぜか不快な表情を浮かべていた。上司が自分たちを見捨てて逃げたのに、彼らは上司が逃げたことに安心しているのだ。
「むむ?たしかおぬしたちは廃屋敷で戦った男ではないか。なぜまたこのようなことを?」
坊主が陣内や豆六たちを見て言った。
「ふん・・・。俺たちは御屋形さまのために命をかけているんだ。いまさらこの命なんか惜しくない」
ぱちん!!
清楚な少女がいきなり陣内の頬をはたいた。彼女の目から涙がこぼれている。
「どうして、どうしてあなたたちは命を簡単に捨てようとするのですか!!どうして、戦うことしか考えられないのですか!!」
少女は泣いていた。自分たちのために泣いているのだ。
「それにあんたうわごとで子供の名前を言ってたぜ?あんた父親なんだろ?子供のために生きろよな」
剣士が守太郎に言った。守太郎はしばしほけていた。
「わけのわからないやつらだな。敵を見捨てて幕府は怒らないのか?」
「だから言ったろう?俺たちは龍閃組だってな。美里のおかげで怪我がはやくなおったんだ。感謝しろよ?さあ、行け」

「あんたたち無事だったんだね?よかったよ」
村の入り口で桔梗が出迎えてくれた。時刻はもう朝である。西日がまぶしかった。
「いえ、桔梗さまもご無事でなによりです」
「まったく、あんたたちはばかだよ。あたしはちゃんと逃げる手はずは整えていたのにさ」
「ははは」
守太郎の足元に守助が歩いてきた。
「おと〜、おと〜」
守助は父親が帰ってきてうれしいのか、ニコニコ笑っていた。
「・・・護るものがあるから、俺たちは戦えるんだ。でも、護るものがなくなったら・・・」
「守太郎?」
「いえ、桔梗さま。なんでもありません。さあ、朝餉にしようじゃないか!!」
そんな中辰が目を覚ましたと朗報があったのは、昼過ぎであった。

続く

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