桧神美冬物語中篇

 

ここは料亭である。桧神美冬と父親の二人は、見合いのために来ていた。いつもの着物と違い、綺麗に着飾っている。しかし、どこか窮屈そうに見えた。そして彼女は不快感を露骨に晒している。

見合い相手の霧島一家が来ていた。相手は病弱そうな少年であった。歌舞伎の女形みたいに見えた。刀もろくに握ってなさそうな枯れ枝のような腕であった。

美冬は正直ここに来たくなかった。父親に無理やり連れてこられたのである。あまり逆らって父親の血圧を上げては可哀想だからだ。

「いやぁ、本日はお日柄もよく・・・」

霧島の両親は愛想笑いを浮かべていた。両親は霧島と違い、ふっくらと丸い体型で、愛嬌のある顔立ちであった。まるで落語家のようにしゃべっていた。

しかし、美冬の頭の中はそんなことなど耳に入らない。

内藤新宿で出会った謎の坊主、九桐尚雲。あの男に敗れて以来、美冬の心の中はあの男のことで占められていた。

今まで剣で負けたことなどなかった。門下生たちは道場主の娘だからとて容赦するものはいなかった。むしろ道場主に娘を叩きのめしてくれと頼まれるくらいだ。

美冬はそれに反発して稽古を重ねた。街娘たちは美冬を天才美女剣士とはやし立てるが、実際は努力を重ねて積み重ねた結果である。

しかし門下生はともかく、何も知らない第3者から天才だなんだと言われるのは不愉快だった。なのに、自分をないがしろにされるのも嫌だった。ムジュンしているのである。

だからこそ、彼女は高慢に振舞うのである。誰も寄せ付けず、誰も頼らない。

そんな安っぽいプライドで、自分の心を慰めていたのだ。それを九桐が文字通り木っ端微塵に撃ち砕いたのである。

「君は人を殺したことがないな」

九桐に言われたことは図星であった。もっとも武士だからといって人を自由に切り殺して言い訳ではない。江戸に住む町民は将軍が預かっている。滅多に殺してはならないのだ。

江戸後期にもなれば、安易に切り捨て御免をしたら安っぽく見られる傾向が多くなった。だから美冬はもちろんのこと、門下生たちも人を斬ったものは少ない。

九桐の言い分では人を殺したものが偉いみたいに聞こえるが、実際は九桐の言い訳であり、美冬は言葉のマジックに騙されているだけである。しかし、根が真面目な美冬はそれを真正面から受け止めてしまい、余計悩んでしまっているのだ。気は強く見えても根は繊細で、お人よしなのが彼女の本質である。

朝から晩まで稽古したい気分なのに、今日は父親に引っ張られ、見合いに来てしまった。さっさと帰りたいなと庭のほうを眺めていると、父親は顔をしかめた。歯をむき出しにして、両手を蟹のようにわしゃわしゃと指を動かしていた。

「おや、美冬さん。どうかなさったのですか?ははぁ、婿の顔をまともに見られないほどウブなのですね」

霧島の両親が声をかけた。二人とも彼女に好意的な反応を示している。

「長男は頑丈なのですが、この子は昔から体が弱くてねぇ・・・。毛唐の剣術に凝っているのですよ」

「毛唐の剣術ですって?」

剣術という単語に反応する美冬。ようやく興味を持ったと父親は安堵のため息を吐いた。

「・・・はい。向こうの剣術は突きを主にしたものなのですよ」

か細い声で、霧島は声を絞り出した。

「突きを主にですって?」

「・・・はい。その剣術は針のようにするどい剣を使うのです。相手の急所を狙い、一気に突くのです」

霧島の言う剣術はフェッシングのことを言っているのだろう。オリンピック競技にもあるスポーツだ。日本ではあまりメジャーではない。

「では、私と貴殿、どちらが強いか試しましょう」

すると美冬は着物から木刀を抜き出した。そして正座したまま初発刀で霧島の頭をぶち割った。

「ぐえぇ!!」

霧島は額から血を噴出し、床に倒れた。そして美冬の父親も泡を吹いて倒れたのであった。

 

 

翌日の晩、美冬は父親に呼び出された。おそらく昨日のことだろうと腹に覚悟を決めていた。父親の顔は昨日よりはるかに険しい顔をしていた。無理もない。見合いをぶち壊したのだ。見合い相手の額をぶち割ってただで済むはずがない。美冬は自業自得と思いながらも、陰鬱な面持ちであった。

「美冬、先方から連絡があった」

「わかっております。今回の話はなかったことにしてくれというのでしょう」

「・・・その反対だ」

美冬は一瞬父親の言っていることが理解できなかった。

「先方がお前のことをいたく気に入ったそうだ。まさに理想的な嫁だとな。ぜひとも婿としてもらってほしいそうだ。お前さえよければすぐにでも祝言をあげたいとのことだ」

「・・・父上。その方は、その・・・」

美冬は右手でコメカミの辺りを人差し指でくるくると回した。そして花火のようにぱっと開いた。つまり頭がどうかしているといいたいのだろう。

そして父親も美冬と同じ仕草をした。

「それがどうした。お前をもらってくれる奇特な男など、それぐらいしかおるまい。これが最後の機会と思え。お前はさっさと結婚して子供を産み、桧神家を継いでもらわねば困る」

「なんたる勝手なことを・・・。わたくしには心を決めた殿方がおります。その方と本懐を遂げない限り、結婚などしたくありません!!」

「お前にそんな相手がいたとは意外だな。相手は誰だ?」

父親ににらまれ、正気に返る。実際は恋仲というより宿敵といったほうが早いのだが、まさか言えるはずがない。

「坊主です。私と同じくらいの年です」

「坊主だと?坊主はいかん。八百屋お七のように付け火に走るか、道成寺のように男に恋焦がれて蛇になってしまうぞ。もっともそれくらい可愛げがあればワシも苦労はせぬのだが・・・」

「とにかく、今のわたくしに男は不要です。この話はなかったことにしていただきたい!!」

美冬は立ち上がると、父親に振り向きもせずに自室へ帰った。後に残るは父親だけであった。

「はぁ、元気に育ってくれることを願ったが、あそこまで元気だと亡くなった家内に分けてもらいたかった・・・」

父親は位牌を見て、涙をこぼした。位牌はことこと左右に揺れた。そんなことはないですよと慰めているのだろう。位牌が動いた事実はこの際保留とされた。

 

 

610日。この日は江戸の隅田川で花火大会が開かれる日であった。両国花火大会として年中行事で親しまれている。

かつて天保の大飢饉で大勢の人間が死んだ。彼らの霊を慰めるために、当時の将軍、徳川吉宗が花火を打ち上げたことが始まりとなっている。

二台花火店と称された「玉屋」が川の上流に、「鍵屋」が下流に陣取っていた。

もっとも美冬にとっては花火などどうでもよかった。問題は花火を見に、幕臣たちが屋形船を出すことであった。今は特に治安も悪く、人心は乱れている。そこに大阪城で長州征伐の指揮を執っている徳川家茂が一時帰国し、大川で町民たちにその姿を拝ませるとの話だ。

もちろん、本物ではない。替え玉である。美冬にとって大事なのは替え玉の将軍ではなく、幕臣たちである。江戸では鬼道衆と呼ばれる鬼が跋扈していた。

彼らによって切り殺された侍は数知れず、さらに奇怪な事件まで起きている。

人の身体に蛇の鱗みたいな模様が浮かび上がる病気が流行ったり、吉原の遊女が病で死に、幽霊になって徘徊したりだの荒唐無稽な話が江戸中を駆け巡っていた。

ただその影には私服を肥やす役人もおり、事件が終わった後、そういった人間が捕縛されることが多かった。

鍛冶屋に罪を着せた役人に、切支丹屋敷の子孫など、徳川幕府の膿をひりだす様な感じであった。

無論、美冬にはどうでもいい話だ。彼女は名誉挽回のために、屋形船に乗っている。実際は勝手についてきただけだ。門下生たちのほとんどは美冬より年上で、剣の腕も立つ。彼らは美冬を心配していた。ここ最近美冬の心は余裕がない。なんというか稽古の入り方も 異常である。美冬の目には隈ができていた。

「お嬢様。大丈夫ですか?ここ最近、ろくに寝てないのでは・・・」

「うるさい!!」

門下生の一人が心配そうに声をかけたが、美冬に一喝された。すぐにはっとなって、頭を下げる。

「お嬢様はずいぶん気が荒いな」

「この間、花園神社で、着流しの浪人に刀を吹き飛ばされただろう?それからだな」

「ああ、内藤新宿の幽霊寺に住んでいるって話だ。酔狂なやつもいたもんだ」

きっ!!

美冬がきつい目で門下生たちをにらみつける。それを見て、両手をやれやれと広げた。

夜の大空を花火が上がった。今年の花火は一味違っていた。何しろ色とりどりの花火が上がっているのだ。

普通は赤い花火しか上がらないはずなのに、青だの、黄色だの様々な色で埋め尽くされていた。

花火ではなく、近辺警護に来ていた臥龍館の面々もこれには驚いた。

「すごいな。こんな綺麗な花火を見たのは生まれて初めてだ」

「なんでも両国の弁天堂に若い職人が見たこともない花火を上げると噂にあった。しかし、間近で見ると迫力があるな」

門下生たちは首を見上げて、見入っていた。それを美冬が嗜めた。

「我らは花火見物に来たのではない。徳川幕府を護るためにここにいるのだ!!」

ぐえぇぇぇ!!

美冬の怒声と一緒に、悲鳴が重なった。何事かと思えば、屋形船に火があがっていた。川の水面は赤い炎と花火で彩られていた。そして、人の悲鳴が聞えてきた。

ぐぇぇ!!

障子から腕が一本突き出た。腕は血で真っ赤に染まっていた。そして障子が外れ、ばったりと倒れた。相手は幕臣であった。50代の中年で背中はばっさりと斬られていた。

そして傷からだくだくと赤い血が噴出し、周りを鉄の臭いで広がっていた。

「ひっ、ひぃぃぃ!!」

美冬はあまりの惨事に腰が抜けそうになった。そこを門下生が急いで支えた。さすがに人斬りには慣れているのか、門下生たちは若干冷静であった。

「敵です!!ここに敵が襲撃してきたのです!!」

門下生の一人が大声で叫ぶ。美冬に対して檄を飛ばしているのだ。一応、美冬は道場主の娘、彼女を引き立てているのだ。

「敵か!!ならば斬るまでよ!!」

美冬は刀に手をかけて、突進する。

 

 

現状は血まみれであった。幕臣たちや侍の死体がごろごろ転がっていた。美冬は一瞬吐きそうになった。手を口で押さえる。

惨状を引き起こした相手は異質な者であった。

金の刺繍をあしらった黒い着物を着た、赤い髪の侍。

胴着を着た小さな少年。

遊女のような妖艶な女性。

そして、見忘れるはずもない槍を持った坊主。

「我らは鬼道衆」

赤い髪の男が言った。

「この無礼者がぁ、死ねぇ!!」

幕府の侍が赤い髪の男の両側から切りかかってきた。しかし、男は動かない。

しかし、侍二人の手首ぱっくりと割れ、紅い血の華を咲かせた。そして二人はあさっての方向に前のめりで倒れた。そして痛い痛いと手首を押さえ、泣き喚いた。

「おろかな。これなら村の者のほうが強い」

「おっほっほ。天戒さま。ご無事ですか?」

遊女、桔梗は赤い髪の男、天戒を心配していた。両手は真っ赤に血で染まっている。爪が刃物のように鋭く尖っていた。さては彼女が侍の手首を切り裂いたのだろう。

「おっ、おのれぇぇ!!鬼道衆だが、なんだか知らないが徳川幕府に逆らってただで済むと思っておるのか!!」

幕臣の一人が激昂するが、すぐ白目を剥いた。胴着を着た少年が幕臣の金的を蹴り上げたのだ。そして、自分より背の高い幕臣より高くジャンプすると、空中で幕臣の首に蹴りを入れた。それは蹴りというよりだんびらを振るったように見えた。

その証拠に幕臣の首はすっぱりと切り落とされ、天高く上っていった。首が無くなったことに気付かない身体は、首のあったところを懸命に掴もうとするが、空回り。そして首が無くなったことに気付くと、切り口から血が噴水のように噴出し、川のほうへ落ちていった。

「さすがだな。澳継。技のキレがますます冴えたな」

澳継と呼ばれた少年は天戒に誉められて嬉しそうであった。

「そりゃあ、木偶人形みたいに突っ立ってる幕臣が相手です。安易に決まるのは当然でしょう」

桔梗の嫌味に、澳継の顔は真っ赤になった。

「だったら侍どもをぶっ殺してやるぜ!!」

澳継は両手をぱんぱん叩いて意気込んだ。どうやら桔梗は澳継に発破をかけるためにわざと怒らせるようなことを言ったのだろう。

「くっ、お前たち!!」

美冬が怒鳴った。そこで鬼道衆と呼ばれた面々が初めて彼女に気がついたようだ。

「おお、お前さんは内藤新宿で見かけたお嬢さんではないか。元気にしていたか?」

槍を持った坊主、九桐尚雲が旧知の友人に出会ったような挨拶を交わす。

それに怒った美冬は刀に手をかける。

「おいおい、ひさしぶりに会ったというのに、ずいぶんなご挨拶だな。あっはっはっ」

九桐は屈託なく笑っていた。凄惨な現場に似つかわしくない絵であった。

えい!!臥龍館の名に懸けてこいつらを叩き切れ!!」

美冬が檄を飛ばす。口調は少しどもっていた。それを見た九桐はにやにや笑っている。それは弱者を侮蔑する笑みではなく、子供たちが無邪気に遊ぶのを温かく見守る親の笑みであった。

「きえぇぇぇ!!」

門下生たちが一斉に切り込む。すると九桐は槍一本持って前に出た。そして突進してくる門下生たちを槍で振り払った。門下生たちは洗濯物のように扱われた。そして川へ落ちていった。

「おのれぇぇぇ!!」

門下生の一人が天戒目掛けて突進してくる。九桐は槍の穂を腹部に突き刺した。そして門下生はそのまま天高く上げられ、川へ放り投げられた。

「きっ、貴様らぁぁぁ!!」

美冬は門下生たちの仇を討つため、九桐に突進する。しかし、九桐は槍を使わず、蹴り一発で美冬の刀を蹴り飛ばした。刀は哀れ、川へ落ちてしまった。それを見た幕臣に一人が腹を立てて、美冬を蹴った。豚のように醜く太った古狸であった。

「このっ、このぉ!!何が臥龍館だ、何が天下一の剣士だ!!お前みたいな小便臭い小娘に頼ったワシらが馬鹿だったわ!!死ねっ、腹を切って死ぬ事は許さん!!わしがこの手で殺してやるぅ!!」

豚は脂汗を垂れ流しながら、執拗に美冬を蹴る。そこへ九桐が幕臣の口に槍を突き刺した。

「えげぇぇぇ!!!」

幕臣は目をぎょろぎょろ動かしながら、ぱくぱく口を動かした。やがて汚らわしいといわんばかりに川へ投げ捨てる。血でべっとりの槍を紙で拭いた。

「貴様・・・、なぜわたしを助けた?」

「別に助けてないさ。ただ無能な豚が気高き狼を罵倒するのが許せんのでな」

「わたしを・・・、狼だと?」

「そうさ。お前さんは強い。今は生まれたてで、牙の研ぎ方を知らないだけだ。あともう少し頭を冷やすこともお勧めする」

すると九桐は美冬の着物の首を掴んだ。じたばたもがく美冬。九桐はそのまま彼女を川へ投げた。

冷たい川の中に落ちた美冬はそのまま意識が薄れていった。

 

 

次の朝、美冬は目を覚ました。いつの間にか自宅に戻っていた。おそらく門下生の誰かが自分を運んでくれたのだろう。布団の中でまどろむ娘の下に父親がやってきた。

「美冬。身体に支障はないか?」

「はい。少し寒いですが大丈夫です。ですが・・・」

美冬は気分が重かった。犠牲になった門下生たちのことを思うと、口を開くのも億劫であった。それを察したのか父親が先に口を開いた。

「門下生たちのことなら心配はいらんぞ。彼らは全員生きている」

「生きているすって?」

「そうだ。川の水をたらふく飲んで、熱を出しているものはいるが、命に支障はない」

美冬は信じられなかった。鬼道衆という連中は幕臣だけ殺して、門下生たちを一人も殺していないというのか。

「ところでわたしをここまで運んだのは誰ですか?」

「ああ、それか。見知らぬ坊さんだった。年はお前より少し上くらいのな」

坊主。九桐のことだろうか。あの男はぬけぬけと自分をここに運びにやってきたというのか。

「坊さんからの伝言だ。自分を気遣う人を大切にしろと

そういって父親は娘の部屋を退散した。病み上がりの娘を気遣ったのだろう。しかし、美冬の心はますます重くなった。いうなれば心に鉄の鎖が何重にも巻きつき、重石をつけられた気分であった。

あの男は最初から自分を殺すつもりなどなかった。さらに自分を慕う門下生たちの命まで取らなかった。完全に遊ばれていたのだ。

「あっ、お嬢様。良くぞご無事で!!」

門下生の紫暮主税が障子を開き、元気よく声をあげた。

「うるさい!!」

美冬は一喝し、そのまま布団の中に包まってしまった。

「あれ?今日はあの日なのかな?」

首をかしげる紫暮。そんな彼に美冬の枕が飛んできて、彼の顔に当たったのであった。

紫暮は素っ頓狂な声をあげて、庭に倒れた。

 

続く

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20091024