1 、屈原(くつげん)とは?
東周、戦国時代の楚の王族。秦の勢力が強まる中で、王の側近として政治の場で活躍。
内政の改革・秦に対抗する外交を唱えたが、反対派の讒言によって失脚、石を懐に抱き
汨羅の淵に身を投げた。憂国の情をもって歌った自伝的な叙事詩「離騒」や屈原の作品と
その門下、後人の作品を集めた書を『楚辞』(そじ)という。
「楚辞」というのは、楚の地方の宗教辞令から発展した読誦韻文形式の文学であろう、と
言われる。北方文学の代表としての『詩経』に対し、南方文学の代表とされる。
2、 民間伝承と日本美術の紹介(~身近な日本とのつながり~)
屈原は五月五日に汨羅に身を投じた。この日、楚の人々は竹筒に米を貯え水に投じて祭った
(『続斉諧記』)。端午の節句の粽(ちまき)につながったがったとされる。端午(端五)は、中国
ではもとは月の初めの午の日、のち「午」は「五」と音通などにより、五月五日を言う。
横山大観(1868~1958)は悲壮感漂う「屈原」の絵を描いていますが、この作品については、
恩師の岡倉天心が東京美術学校校長を罷免させられた境遇を屈原と重ね合わせ画題として
選んだと述べています。
3、屈原の作品の中の「準1級」配当四字熟語を見てみよう!(意味や四字の分析・解説は、使用テキスト参照。「頁」は、テキストの掲載ページを示す。)
四字熟語 | 頁 | 原典の詳細 | |
邑犬群吠 ゆうけんぐんばい |
272 | 原文 |
邑犬之 羣 吠 兮 、 吠 所 怪 也 。 非 俊 疑 傑 兮 、固 庸 態 也 。 |
訓読 |
邑犬の 羣(むら)がり 吠(ほ)ゆるは 、怪(あや)しむ所に 吠 ゆるなり 。 俊(しゅん)を非(そし)り 傑(けつ)を疑うは 、固(もと)より 庸(よう)の 態(たい)なり。 |
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通釈 | 村の犬たちが群がって吠えるのは、見慣れない者を怪しんで吠えるのである。 優れた者を誹り、秀でた者を疑うのは、もとより世の中の凡人の態度である。 |
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楚辞 | 九章の「懐沙」(かいさ)より |
主な参考文献
新釈漢文大系『楚辞』 星川清孝著、明治書院
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