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鎌倉時代の武士、民衆のくらしについて





歴史で知りたいテーマのいちらん

【武士の服そう】
【民衆の服そう】
【武士の食事】
武士の直垂(ひたたれ)
折烏帽子(おりえぼし)

 武士の服そうは、民衆の服のように動きやすい。これは武士の直垂(ひたたれ)の姿である。襟(えり)が真っ
(た)れているので「直垂(ひたたれ)という。上衣(うえのきぬ)を胸のあたりでしっかりと結び、袴(はかま)も足首でしっかりと結ぶ。太刀(たち)をこしにつける。頭には折烏帽子(おりえぼし)をかぶる。

貴族の服そう(束たい)とくらべてみよう

 武家の女性の外出時の服そうである。この服そうを壺装束(つぼしょうぞく)という。たけの長い着物のこしのあたりをひもで結び、その上からふくらませて出し整える。活動しやすい服そうになっていて、頭に市女笠(いちめがさ)をかぶる。身分をかくし、虫よけもかねてうすい布をたらす。

女性の壺装束(つぼしょうぞく)
民衆(男性)の服そう
民衆(女性)の服そう

 民衆の服そうは小袖(こそで)と袴(はかま)が一般的である。小袖(こそで)とは袖(そで)の小さい服そうのことである。武士以上に活動しやすい服そうになっている。こしに火打ちぶくろをさげ、腰刀(こしがたな)をさしている。

 
 民衆の女性の服そうも小袖(こそで)が中心である。町中を歩き回るので、足もとを動きやすくするために、すそをたくしあげる。頭をおおう白い布は、長い髪を頭上で整えるためのものである。



 質素(しっそ)を尊び(とうとび)、いざ出陣(しゅつじん)にそなえる武士の食事である。武士の仕事は戦争であるため、激しい活動にもたえられるような食事となっている。
 武士一人分の食事はめし、鳥肉、魚、こんぶ、こまつな、塩とひしおが盛られていた。折敷(おしき)というお盆にのせて出された。この他に、白くにごったお酒がついた。

【武士の住居】

 武士の屋敷(やしき)は、攻められたときに守りやすくするために、川のわきの小高い丘(おか)の上に建てられ、高い柵(さく)で囲まれている。

 戦いにそなえて、自給自足(じきゅうじそく)ができるように、いろいろな工夫がされている。


 

 武士の屋敷はまわりを堀(ほり)と柵(さく)で囲まれ、外から敵が入りにくくなっていた。堀(ほり)にはせまい橋がかかり、渡りきったところに門があった。そして、その奥に武士の屋敷があった。右は絵巻物にでてくる武士の屋敷の門の様子である。

堀(ほり)と柵(さく)
屋敷へつながる門
絵巻物に出てくる武士の屋敷
主殿(しゅでん)の内部
主殿(しゅでん)
主殿(しゅでん)での食事風景

 主人が住む屋敷を主殿(しゅでん)という。この建物では、主人が客と会ったり、さまざまな儀式(ぎしき)を行った。主殿(しゅでん)の内部は板ばりで、わらであんだ座布団(ざぶとん)に座った。部屋を取り囲んで、板ばりのろうかが作られ、ろうかを通って、部屋を行き来した。

← 絵巻物での
    主殿(しゅでん)の様子
馬  屋
主人用の馬屋

 戦いの時に、馬が必要であり、武士にとって、馬は必要不可欠なものであった。武士は馬を乗りこなすために、日々練習を欠かさなかった。やぶさめ、犬追物(いぬおうもの)なども、その練習の一つである。武士の馬屋には大切な馬が何頭も飼(か)われていた。

馬に乗る武士
← 犬追物(いぬおうもの)

 犬をはなして馬に乗りながらこれを射(い)る競技(きょうぎ)のこと 
【民衆(みんしゅう)の住居】
 
鎌倉時代(かまくらじだい)になると、道ぞいに民家が建ち並んでいた。民家の屋根は板ぶきである。土間や板の間のある家もあった。

 市場では着物を売っている店、魚屋、米屋などがある。民衆(みんしゅう)はここで、必要なものを買った。屋根と柱だけのほったて小屋で月に1〜3回くらい開かれた。

↑ 市の様子 〜 いろいろな人がいて、活気にあふれている