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大名の種類と藩(はん)について





歴史で知りたいテーマのいちらん

【大名の種類と配置について】
付書院
〈 1664年ごろの主な大名の配置の様子について 〉
    外様大名
(とざまだいみょう)
   譜代大名、親藩
(ふだいだいみょう、しんぱん)
    御三家(親藩)
(ごさんけ、しんぱん)
   幕府の天領
(てんりょう)  
大名の種類 内        容
天  領
(てんりょう)
   江戸幕府が直接支配(ちょくせつしはい)する領地
関東を中心にその周辺に多い。
金山、銀山、木材や米の大量生産地、港などの重要な領地を幕府が
直接支配した。
親   藩
(しんぱん)
   将軍の親せき(御三家、御家門)にあたる大名
特にピンク色は御三家(ごさんけ)にあたる。
徳川家康の子に徳川の姓を与え、これを御三家(ごさんけ)と呼んだ。
 ●徳川義直(とくがわよしなお) → 尾張徳川家(おわりとくがわけ)
 ●徳川頼宣(とくがわよりのぶ) → 紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)
 ●徳川頼房(とくがわよりふさ) → 水戸徳川家(みととくがわけ)
それ以後、分かれた家は御家門(ごかもん)と呼び、松平(まつだいら)
の姓を名乗った。
  
譜代大名
(ふだいだいみょう)
   関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)の前から徳川家康とともに苦労
をともにしてきた家臣の中から大名としたもの
石高は5〜15万石程度の小・中大名が多い。
老中(ろうじゅう)や若年寄(わかどしより)などの幕府の重要な役職に
ついた。最大のものでも井伊家(いいけ)の35万石である。
外様大名
(とざまだいみょう)
   関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)の以後、徳川家康に従った大名
 ●加賀(かが)の前田家(まえだけ)…103万石
 ●薩摩(さつま)の島津家(しまづけ)…73万石
 ●萩(はぎ)の毛利家(もうりけ)…37万石
 ●仙台(せんだい)の伊達家(だてけ)…56万石
など15万石以上の大大名が多い。
〈 大名の種類について 〉
御三家(ごさんけ)
  将軍を助けて、将軍にあとつぎがいない時には、この御三家(ごさんけ)からあとつぎを
  出した。7代将軍 徳川家継(とくがわいえつぐ)にあとつぎがいなかったため、8代将軍
  には紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)の徳川吉宗(とくがわよしむね)が選ばれた。

御三卿(ごさんきょう)
  8代将軍 徳川吉宗の子の代から始まった。大名ではない。
  田安家(たやすけ)、一橋家(ひとつばしけ)、清水家(しみずけ)の3家のことである。
〈 江戸幕府の都市支配 〜 城代・奉行の配置について 〉
 江戸幕府が直接支配(ちょくせつしはい)する領地である天領(てんりょう)には、奉行が
おかれた。また、重要な大阪城(おおさかじょう)、二条城(にじょうじょう)、駿府城(すん
ぷじょう)には、城代(じょうだい)がおかれた。それぞれの奉行などの役割は、以下の通
りである。


 【京都所司代(きょうとしょしだい)】
   
天皇(てんのう)や公家(くげ 貴族ののこと)の監視(かんし)を行うのが役目である。
 【京都・大阪・駿府(すんぷ)町奉行】
   江戸幕府が直接支配する重要な都市の政治を行うのが役目である。
 【伏見奉行(ふしみぶぎょう)】
   西日本の大名の行き来の監視(かんし)をするのが役目である。
  【長崎奉行(ながさきぶぎょう)】
   長崎の防備や貿易の監視(かんし)や管理(かんり)を行うのが役目である。
  【佐渡奉行(さどぶぎょう)】
   佐渡金山(さどきんざん)と佐渡(さど)一国の支配をするのが役目である。
【大名と配置と江戸幕府の大名支配について】

● 大名の配置を工夫した点

   江戸のまわりの関東地方、東海(とうかい)・近畿(きんき)地方、政治上・経済
  (けいざい)上・軍事上の重要な土地には親藩(しんぱん)や譜代大名(ふだいだ
  いみょう)を配置した。

    外様大名(とざまだいみょう)は九州(きゅうしゅう)、四国(しこく)、東北(とうほ
  く)地方などの江戸から遠い土地に配置した。


    また、外様大名(とざまだいみょう)と外様大名(とざまだいみょう)との間には
  譜代大名(ふだいだいみょう)や天領(てんりょう)をはさみ、外様大名(とざまだい
  みょう)が連携(れんけい)できないようにした。



● 国がえ、改易(かいえき)などで外様大名(とざまだいみょう)の勢力を弱めた点
   幕府の命令にそむいたり、あとつぎがいなくなった大名は改易(かいえき お家
  断絶)となった。あとつぎがいない大名は、自分が生きているうちに、養子(よう
  し)を決めておかなければならなかった。

    









   また、農民や商人、武士が連携(れんけい)しないように、上は家老(かろう)か
  ら下は足軽(あしがる)まですべての家臣を引き連れて領地をうつる国がえもあっ
  た。

   大名は「将軍から土地をもらって年貢(ねんぐ 米の税のこと)をとるだけ」だから
  という考えによるもので、
「大名を鉢植(はちう)えにする」と荻生徂徠(おぎゅうそ
  らい)は言った。鉢(はち)は国、土は農民、植木(うえき)は大名、植えかえるの
  は将軍というわけである。

  
         改易(かいえき)
された大名数
改易(かいえき)
された大名の石高
徳川家康〜家光の時代 198家 1612万石
徳川家綱の時代 22家 67万石
徳川綱吉の時代 33家 135万石