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江戸幕府(えどばくふ)のしくみについて





歴史で知りたいテーマのいちらん

【江戸幕府の(えどばくふ)のしくみについて】
付書院
役  職 役 目 の 内 容
大   老
(たいろう)
幕府の最高役職、臨時(りんじ)の職、老中の上に位置し、幼い将軍にかわって政治を行った。江戸幕府(えどばくふ)の約250年間に大老になったのは10人だけであった。
老  中
(ろうじゅう)
事実上、江戸幕府の政治を行う役職、2万5000石以上の譜代大名(ふだいだいみょう)の中から選ばれ、4〜5人の話合いで政治を行った毎月交代で1名の者が中心となって政治を行った。いわゆる、月番制(つきばんせい)であった。
若年寄
(わかどしより)
老中(ろうじゅう)を助けて江戸幕府の政治を行う役職、定員4名で、譜代大名(ふだいだいみょう)の中から選ばれた。旗本(はたもと)を管理するのが役目であった。
側用人
(そばようにん)
譜代大名(ふだいだいみょう)の中から選ばれ、定員は1名。将軍の側にいて、将軍と老中(ろうじゅう)との間で連絡(れんらく)をとるのが役目である。
大目付
(おおめつけ)
老中(ろうじゅう)の下に置かれ、老中(ろうじゅう)の目や耳として大名を監視(かんし)・監督(かんとく)するのが役目である。定員は4〜5名である。
目  付
(めつけ)
若年寄(わかどしより)の下に置かれ、若年寄(わかどしより)の目や耳として旗本(はたもと)・御家人(ごけにん)を監視(かんし)・監督(かんとく)するのが役目である。定員は4〜5名である。
寺社奉行
(じしゃぶぎょう)
神社、寺院、神主(かんぬし)、僧(そう)などを支配し、管理(かんり)するのが役目である。譜代大名(ふだいだいみょう)の中から選ばれ、定員は4名
江戸町奉行
(えどまちぶぎょう)
江戸幕府の中心地である江戸の行政(ぎょうせい)、司法(しほう)、警察(けいさつ)の役目を果たした。旗本(はたもと)から選ばれた2名が月ごとに交代で役割を果たした。一般に、南町奉行(みなみまちぶぎょう)、北町奉行(きたまちぶぎょう)といい、この下に与力(よりき)、同心(どうしん)がおかれた。
勘定奉行
(かんじょうぶぎょう)
江戸幕府の財政(ざいせい)を管理(かんり)する役職である。江戸幕府(えどばくふ)が直接支配する天領(てんりょう)の財政(ざいせい)の管理や支配をおこなった。勘定奉行(かんじょうぶぎょう)の下に、大きな天領(てんりょう)には郡代(ぐんだい)、小さい天領(てんりょう)には代官(だいかん)がおかれた。
評定衆
(ひょうじょうしゅう)
三奉行(さんぶぎょう)である町奉行(まちぶぎょう)、寺社奉行(じしゃぶぎょう)、勘定奉行(かんじょうぶぎょう)が集まった話合いの場のこと。
京都所司代
(きょうとしょしだい)
御所(ごしょ)や京都の警備(けいび)と天皇(てんのう)や公家(くげ 貴族ののこと)の監視(かんし)を行うのが役目であった。
城  代
(じょうだい)
江戸幕府が直接支配する重要な城を管理するのが役目である。大阪城(おおさかじょう)、駿府城(すんぷじょう)、二条城(にじょうじょう)に1名ずつおかれた。特に大阪城代(おおさかじょうだい)は、西日本の大名の監視(かんし)や監督(かんとく)にもあたった。二条城代(にじょうじょうだい)は後に廃止(はいし)された。
遠国奉行
(おんごくぶぎょう)
【京都・大阪・駿府(すんぷ)奉行】
 江戸幕府が直接支配する重要な都市の政治を行うのが役目である。

【伏見奉行(ふしみぶぎょう)】
 西日本の大名の行き来の監視(かんし)をするのが役目である。

【長崎奉行(ながさきぶぎょう)】
 長崎の防備や貿易の監視(かんし)や管理(かんり)を行うのが役目である。

【佐渡奉行(さどぶぎょう)】
 佐渡金山(さどきんざん)と佐渡(さど)一国の支配をするのが役目である。
郡  代
(ぐんだい)

代  官
(だいかん)
江戸幕府が直接支配する天領(てんりょう)を管理(かんり)するのが役目である。広い天領には郡代(ぐんだい)がおかれた。主な郡代(ぐんだい)として関東郡代(かんとうぐんだい)、飛騨郡代(ひだぐんだい)などがある。小さい天領には代官(だいかん)がおかれた。代官の人数は40〜50人くらいで、代官の住まいを陣屋(じんや)、仕事場を代官所といった。代官の下には、手つき、手代(てだい)などの役人がいた。
【鎌倉幕府(かまくらばくふ)、室町幕府(むろまちばくふ)、
                     江戸幕府(えどばくふ)のしくみの違い】

● 重要な役職を複数(ふくすう)の話合い制にしている点

   鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、将軍を助ける執権(しっけん)が一人であったため、
 やがて一人の執権(しっけん)が思うままに政治を行い、将軍は飾り物(かざりもの)
 となった。江戸幕府は、政治を中心に行う老中を複数(ふくすう)にし、話合い制にす
 ることで、一人の独走(どくそう)を防いだ。


● 非常時の命令権を確立している点
   室町幕府(むろまちばくふ)は、将軍を助ける管領(かんれい)を複数(ふくすう)にした
  ため、管領(かんれい)どうしの対立をまねき、室町幕府(むろまちばくふ)の勢力が弱
  体化(じゃくたいか)した。同じように将軍を助けて政治を行う老中(ろうじゅう)を複数に
  した江戸幕府では、月番制(つきばんせい)によって老中の中心となって政治を行う者
  を決め、対立を防いだ。また、月番制であるため、老中の一人が独走するのを防いだ。
  また、幕府の非常時には一人の大老(たいろう)が臨時(りんじ)で政治を行うしくみあっ
  た。

● 花と実の両方を与えていない点
   室町幕府(むろまちばくふ)では、将軍を助ける管領(かんれい)は大きな領地(実)を
  持ち、政治の権力(花)もにぎった。そのため、やがて将軍の力だけでは管領(かんれ
  い)に対抗できなくなった。江戸幕府では、将軍を助ける老中(ろうじゅう)には政治の権
  力(花)は与えても、大きな領地(実)は与えなかった。江戸幕府の政治を行う譜代大名
  (ふだいだいみょう)の多くは5〜15万石程度の小・中大名であった。この程度の大名で
  あれば、将軍だけでも十分に対抗できたのである。


 このようにして、江戸幕府は、鎌倉幕府(かまくらばくふ)や室町幕府(むろまちばくふ)の
失敗をもとに、将軍を助けるはずの老中(ろうじゅう)などが、権力をにぎり、将軍を飾り物
(かざりもの)にして独走するのを防いだのである。一方で、非常時には、将軍にかわって、
政治の権力を一手ににぎって江戸幕府がほろぶのを防げるようにしたのである。