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源平合戦(げんぺいがっせん)について
歴史で知りたいテーマのいちらん
【源平合戦(げんぺいがっせん)の流れについて (動画)】
【源平合戦(げんぺいがっせん)をくわしく見よう】
源平合戦(げんぺいがっせん)の様子
合戦の内容
1180年5月
後白河法王(ごしらかわほうおう)の皇子の以仁王(もちひとおう)が平清盛(たいらのきよもり)のわがままを見て、平家打倒(だとう)の命令書を全国に出した。
以仁王(もちひとおう)は、源頼政(みなもとのよりまさ)とともに兵をあげるが、平家の軍にやぶれ、宇治の平等院(びょうどういん)で戦死する。
1180年 8月
以仁王(もちひとおう)が出した平家打倒(だとう)の命令書を受けて、源氏の源頼朝(みなもとのよりとも)と源義仲(みなもとのよしなか)が兵をあげる。
源頼朝(みなもとのよりとも)は、妻の北条政子(ほうじょうまさこ)の父で北条時政(ほうじょうときまさ)ととともに、300人の兵で、平家の役人の山木兼隆(やまきかねたか)をおそい、戦死させる。
石橋山(いしばしやま)の戦いで平家にやぶれるが、平家軍の武士であった梶原景時(かじわらかげとき)に助けられる。
1180年 8月
源頼朝(みなもとのよりとも)は、千葉県にのがれ、関東地方で武士を集め、鎌倉(かまくら)に入り、鎌倉(かまくら)を根拠地(こんきょち)とした。
1180年 10月
源頼朝(みなもとのよりとも)は富士川にまで源氏の軍を進め、平家の軍と向き合う。
平家軍の大将の平維盛(たいらのこれもり)は夜に水鳥が飛び立つ羽の音におどろいて戦わないでにげ出した。
1180年 10月
富士川の戦いで勝利した源頼朝は黄瀬川(きせがわ)で源氏の軍を休ませていた。
ここで、源頼朝(みなもとのよりとも)は弟の源義経(みなもとのよしつね)と出会う。
東国での源氏の勢力を固めるために、源頼朝は鎌倉に軍をひきあげる。
1181年 2月
平清盛(たいらのきよもり)が熱病で病死する。平清盛は、「墓はいらぬ。墓のかわりに源頼朝(みなもとのよりとも)の首をそなえろ。」と言ったといわれる。
1183年 5月
源氏の一族である源義仲(みなもとのよしなか)が倶利伽羅峠(くりからとうげ)で平家軍をおそう。
牛の角にたいまつをつけて、平家軍をおそうと、平家軍は命からがらにげだし、坂から追い落とされた。
1183年 7月
源義仲(みなもとのよしなか)が都に入る。平家の軍は都を捨て、安徳天皇(あんとくてんのう)とともに西国ににげ出した。
源義仲は旭将軍(あさひしょうぐん)と呼ばれるが、源義仲の軍が都で乱暴(らんぼう)をしたり、わがままなことをしたりしため、逆ににくまれるようになる。
1184年 1月
源氏の一族どうしが宇治川(うじがわ)で戦う。都でにくまれるようになった源義仲(みなもとのよしなか)を倒すために、源頼朝(みなもとのよりとも)が、源義経(みなもとのよしつね)を大将にして派遣した。
源義経の軍の佐々木高綱(ささきたかつな)と梶原景時(かじわらかげとき)が宇治川で先陣(せんじん)争いをしたことは有名。
源義仲が戦いにやぶれ、戦死する。
坂をくだる源氏軍 海へにげる平家軍
1184年 2月
源義仲(みなもとのよしなか)をやぶった源義経(みなもとのよしつね)は源範頼(みなもとののりより)とともに平家の陣がある一ノ谷(いちのたに)に攻めこんだ。
源義経は一ノ谷の背後にある鵯越(ひよどりごえ)の急な坂をかけおり、平家の陣に火を放ち勝利した。平家軍は、前面の海ににげ出した。
那須与一(なすのよいち) 的の扇(おうぎ)
1185年 2月
一ノ谷からにげ出した平家軍は香川県の屋島(やしま)の陣に入った。源義経(みなもとのよしつね)は、部下の反対をおしきり、あらしの中を小数で四国に渡った。あらしの中、四国に渡ってこないだろうと油断していた平家軍の不意をついた。不意をつかれた平家軍は再び、海ににげ出した。
このとき、源氏軍の那須与一(なすのよいち)が平家軍の船上の扇(おうぎ)を射落としたことは有名。
1185年 3月
屋島を追われた平家軍は壇ノ浦(だんのうら)に集結した。源氏軍700せきと平家軍500せきが戦った。
はじめは平家軍が有利に戦っていたが、瀬戸内(せとうち)の潮の流れが源氏側から平家側に流れるようになると、源氏が優勢になり、平家の敗北が決定的になった。
平清盛(たいらのきよもり)の妻であった二位尼(にいのあま)は安徳天皇(あんとくてんのう)をだいて海に飛びこみ自殺した。
平家の総大将の平宗盛(たいらのむねもり)も海に飛びこんだが、源氏の船に引き上げられて捕らえられ、後に処刑された。こうして、平家はほろんだ。