【幕府政治の立て直しの基本 〜 質素倹約(しっそけんやく)】
戦争が続く世の中では、いつお金が必要になるかわからないため、民衆はぜいたくをやめ、お金を節約し、いざというときに備えてお金をためようとした。
だが、平和な時代が続くようになると、人々はぜいたくな生活をすることになれ、お金を湯水のように使うようになった。それは、武士も同じことであった。武士もはでな衣服を身につけ、金銀をちりばめた高価な刀や生活道具を使うようになり江戸幕府の財政は苦しくなっていた。一方で、武士の中には馬に乗れない者や刀ややりをうまく使えない者まであらわれた。
そのため、8代将軍の徳川吉宗(とくがわよしむね)は、ぜいたくなくらしをいましめ、節約を中心としたむかしの武士の生活を基本として、質素倹約(しっそけんやく)を進めた。将軍の徳川吉宗(とくがわよしむね)自身が、はでな衣服を着ず、もめんのそまつな衣服を着続けた。また、刀も金銀のはでな物ではなく、銅と鉄で作られた実用的な物を身につけた。また、 食事も白米ではなく、玄米(げんまい)を食べ、魚肉をあまり食べず、おかず一皿とお吸い物一杯の一汁一菜(いちじゅういっさい)を中心とした。
このように自分が率先して質素(しっそ)な生活を行うことで、徳川吉宗(とくがわよしむね)は、武士や民衆にも質素な生活を進め、平和にゆるみきった武士の意識を引きしめたのであった。
【上米の制(あげまいのせい)について】
上米の制(あげまいのせい)とは、
大名は1万石(まんごく)ごとに100石の米を江戸幕府に出させるという制度である。その代わりとして、参勤交代(さんきんこうたい)で大名は半年間だけ江戸でくらし、1年半は領地でくらすようにし、大名の参勤交代の負担を少なくした。
幕府の財政(ざいせい)を立て直すには、
@ お金の支出(ししゅつ お金をはらうこと)を減(へ)らす。
A お金の収入(しゅうにゅう はいってくるお金のこと)を増やす。
しかない。上の質素倹約(しっそけんやく)は@に当たる。
しかし、これだけでは江戸幕府の財政難は切り抜けられなかった。そのため、徳川吉宗(とくがわよしむね)は幕府の収入(しゅうにゅう)も増やそうと考えた。そのために上米の制(あげまいのせい)を行った。
このようにして、江戸幕府(えどばくふ)は、全国の大名から55万俵(約17万石にあたる)の米を集め、一時的に幕府の財政を立て直した。
【新田開発(しんでんかいはつ)について】
【目安箱(めやすばこ)について】
民衆の意見・不満・希望などを聞いて政治にいかすために作られた。1721年に江戸城の竜ノ口(たつのくち)評定所(ひょうじょうしょ)の前に置かれた。この目安箱(めやすばこ)の意見の中から小石川養生所(こいしかわようじょうしょ 公共病院のこと)の設置や町火消しの設置が取り上げられた。
【公事方御定書(くじがたおさだめがき)について】
【享保の改革(きょうほうのかいかく)の成果について】