農民の住む家は、縄文時代(じょうもんじだい)や弥生時代(やよいじだい)と
同じで、たて穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)であった。着物はわたも入れず
ぼろぼろで黒っぽい地味なものであった。食事は一日二食で、あわの主食に
野菜、山菜(さんさい 山でとれた野菜)をいれた汁(しる)というそまつなもの
だった。ひどい時には、この食事にありつけない時もあった。
奈良時代の農民の
くらしについて
このころの農民が住んでいた
たて穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)
主に木の骨組みに稲のわらをたばねて、住居を
つくっていた。
祖(そ)・・・口分田から米を収穫させ、3%の米を大和朝廷に納める税
庸(よう)・・・労役のかわりに布を大和朝廷に納める税
調(ちょう)・・・地方の特産物を大和朝廷に納める税
雑徭(ぞうよう)・・・地方の土木工事をする。
防人(さきもり)・・・九州の警備につく兵士
装備や九州までの旅費は自分で用意する。
農民たちは収穫した米の5分の1を税として取られた。気候が悪く、米の収穫が
悪い時でも同じ量の税を取られた。
この租税(そぜい)の以外にも調(ちょう)や庸(よう)の義務があった。絹などの
布を織るためにカイコのえさとなるくわやあさを畑に植え、日夜働いて布などを
税としておさめた。
北九州に防人(さきもり)として送られることもあった。このときの武器の装備や
旅費は自分で負担しなければならず、さらにその間の税も父母妻子(ふぼさいし)
が決められた税をおさめなければならなかった。
この他にも、税を都に運ぶために馬を引いたり、車を引いたりして長い旅にかり
出されたり、道路や橋の修理にかり出されることもあった。もちろん、ただ働きで
ある。
【農民のくらし】
奈良時代の民衆の衣服
民衆の食事
奈良時代に使われた食器
【農民にかかる税金】
山上憶良(やまのうえのおくら)が農民の苦しい生活をよんだ歌
(現代語になおしたもの)
農民は、わたもいれず、ぼろぼろになったそでなしの着物を着て、かたむいた
ほっ立て小屋に住んでいる。土の上にじかにわらをしき、家族はみな寄り集ま
って寒さと飢えに苦しみながら、横になっている。何日も食事を作らないので、
かまどにくもの巣が張り、かまどに火がつくことはない。そんな生活をしている
のに、村長(むらおさ)がやってきて、さらに税を取ろうとする。
【貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)】
平城京にある民衆の家