トップページ > 社会の部屋 > 歴史で知りたいテーマ > 応仁の乱について


応仁の乱(おうにんのらん)について





歴史で知りたいテーマのいちらん

【すべての始まり 〜 将軍のあとつぎ問題】

 8代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)には、なかなか子どもが生まれなかった。そのため、自分の弟である足利義視(あしかがよしみ)を養子としてむかえ、次の将軍とすることにした。ところが、その後に足利義政(あしかがよしまさ)の妻の日野富子(ひのとみこ)が息子の足利義尚(あしかがよしひさ)を生んだため、次の将軍をめぐる争いが起こった。弟の足利義視(あしかがよしみ)は細川勝元(ほそかわかつもと)を頼り、日野富子(ひのとみこ)と息子の足利義尚(あしかがよしひさ)は山名宗全(やまなそうぜん)を頼ったため、2つに分かれての対立が始まったのである。室町幕府(むろまちばくふ)の命令も2つの派が思い思いに出すという混乱ぶりになった。

【応仁の乱での陣の比較】
陣   営 西   軍 東   軍
将 軍 家 息子 足利義尚(あしかがよしひさ) 弟  足利義視(あしかがよしみ)
総 大 将 山名宗全(やまなそうぜん) 細川勝元(ほそかわかつもと)
畠 山 家 畠山義就(はたけやまよしひろ) 畠山政長(はたけやままさなが)
斯 波 家 斯波義簾(しばよしかど) 斯波義敏(しばよしとし)
守護大名 一色義直(いっしきよしなお)
六角高頼(ろっかくたかより)
大内政弘(おおうちまさひろ)
              20か国
赤松政則(あかまつまさのり)
京極持清(きょうごくもちきよ)
武田国信(たけだくにのぶ)
               24か国
兵   力 9万人(後に11万人) 16万人

 細川勝元(ほそかわかつもと)が足利義視(あしかがよしみ)の後見をやめると、翌年には、細川勝元(ほそかわかつもと)に日野富子(ひのとみこ)、足利義政(あしかがよしまさ)、足利義尚(あしかがよしひさ)が味方につき、山名宗全(やまなそうぜん)に足利義視(あしかがよしみ)が味方するかたちにかわる。

【応仁の乱(おうにんのらん)】

 1467年、細川勝元(ほそかわかつもと)は室町幕府(むろまちばくふ)の屋敷を本陣として、将軍や後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)、後花園上皇(ごはなぞのじょうこう)を味方につけて大義名分(たいぎめいぶん)をたてた。東軍となった細川勝元(ほそかわかつもと)のもとには24か国の守護大名から16万の兵が集まった。

 一方、西軍となった山名宗全(やまなそうぜん)は、弟の足利義視(あしかがよしみ)を将軍としてたて、20か国の守護大名から9万の兵を集めた。その後、中国地方の守護大名の大内氏が2万の兵を率いて山名宗全(やまなそうぜん)の側についたため、両軍の兵力はほぼ同じとなった。



     


          
西軍(山名方)
東軍(細川方)
 
 将軍家のあとつぎ争いに加え、畠山家(はたけやまけ)、斯波家(しばけ)のあとつぎ争いが加わり、京都では合計25万〜27万の兵が11年間、合戦をくり返した。合戦はしだいに京都から地方へと広がり、全国的に内乱状態におちいった。


 戦いの中心になったのは足軽(あしがる)と呼ばれるやとわれた兵で、多くは浪人(ろうにん)か農民の集団であった。足軽(あしがる)は、やとわれた兵であったため、自分が得する方へねがえり、京都の町中で火をつけたり、金品を盗(ぬす)んだりしたため、京都は無政府状態となった。

 この戦争により、京都では、貴族や武士の屋敷、御所(ごしょ)、寺院など3万けんほどの家が焼け、焼け野原となったという。


      
                     応仁の乱の様子


 東軍、西軍とも力にあまり差がなかったため、両軍とも相手を打ち破れず、いつまでたっても勝負がつかなかった。そのうちに、1473年3月に山名宗全(やまなそうぜん)が死に、5月には細川勝元(ほそかわかつもと)が死んで、ようやく戦いが終わるきざしが見えてきた。1474年4月、山名宗全(やまなそうぜん)の息子の山名政豊(やまなまさとよ)と細川勝元(ほそかわかつもと)の息子の細川政元(ほそかわまさもと)の間に講和(こうわ)が成立したが、その後3年間、両軍のにらみあいは続いた。また、畠山氏(はたけやまし)のあとつぎ争いも続いていた。結局、1467年から始まった京都での戦争は1477年にようやく終わることになった。だが、地方では依然として、争いが続いていたのである。

【応仁の乱(おうにんのらん)の結果】

 11年におよぶ大乱の結果、

@ 室町幕府(むろまちばくふ)と将軍の権威(けんい)がなくなり、
  守護大名や武士が命令に従わなくなったこと

A 守護大名がその領地をとりあう戦争の時代にうつっていった
  こと

B 大切な神社や寺、屋敷(やしき)が焼け、大切な宝物(ほうもつ)
  が焼けたこと
C 都である京都が焼け野原になり、その復興(ふっこう)に多大な
  労力がかかったこと