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鎖国(さこく)について





歴史で知りたいテーマのいちらん

【鎖国(さこく)とは…】
【鎖国(さこく)以前の江戸幕府(えどばくふ)の政治】


 江戸幕府(えどばくふ)が行った外国との貿易(ぼうえき)の禁止した政治のこと。
 オランダと中国(清)との貿易以外は禁止をした


【朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)】
 江戸幕府(えどばくふ)もはじめは外国との貿易のメリットを考えて、
朱印状(しゅいんじょう 貿易の許可証のこと)を与えたものにだけ外国との貿易を許した。これを朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)という。朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)での外国との品物のやりとりは下の表の通りである。











       ※ 輸入品(ゆにゅうひん)…外国から日本に入ってきた品物のこと
          輸出品(ゆしゅつひん)…日本から外国へ出した品物のこと

 この貿易のおかげで、日本人は取り引きを進めるためにどんどん東南アジアにさかんに出て行くようになり、あちこちに住み着くようになった。やがて、そこには日本人町(にほんじんまち)ができた。



【朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)の問題点】
 ところが、朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)にも問題点が出てきた。

@ 朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)でもうけているのが、江戸幕府(えどばくふ)
 が警戒(けいかい)している外様大名(とざまだいみょう)であったこと。
  何をするにもお金が必要である。江戸幕府(えどばくふ)が信頼していない外様大
 名(とざまだいみょう)が力をためると反乱を起こすかもしれないため、外様大名(と
 ざまだいみょう)がお金をたくわえることを江戸幕府(えどばくふ)はきらった。



A キリスト教が民衆に広まっていったこと

  江戸幕府(えどばくふ)は武士・農民・職人・商人の身分制度を確立し、武士が民衆
 を支配する政治システムを作りあげようとしていた。キリスト教は、神のもとで人間
 は平等と教えていたため、江戸幕府(えどばくふ)の政治と対立していた。江戸幕府
 (えどばくふ)は、キリスト教の教えをもとに、農民が武士に反抗することをおそれて
 いた。
  

    
外  国 オランダ 中  国
輸入品
(ゆにゅうひん)
生糸(きいと)
絹織物(きぬおりもの)
ガラス細工(ざいく)
布地(ぬのじ)    

砂糖(さとう)
輸出品
(ゆしゅつひん)
銅(どう)

陶磁器(とうじき)
いりこ、こんぶ   
ほしあわび

【鎖国(さこく)後の貿易と影響について】

● ヨーロッパではオランダとのみ貿易をする。
 貿易は長崎の
出島(でじま)のみで行う。
 医薬と航海術(こうかいじゅつ)以外の本は輸入させない。
 出島には昼も夜も見張りをさせ、オランダ人が出島から出ることを禁止した。

● 中国の清(しん)とも貿易を行う。
 中国との貿易は長崎の町はずれの唐人屋敷(とうじんやしき)で行う。

 また、朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が送られた。

宗門改(しゅうもんあらため)と隠れキリシンタン
  江戸幕府(えどばくふ)は踏み絵(ふみえ 絵ふみともういう)などを行い、キ
 リスト教の信者を仏教の信者に転向(てんこう)させた。その時、キリスト教か
 ら仏教に宗教を変えたことを証明させる証明書を寺院から出させた。特に島
 原の乱ののちは、村にキリスト教の信者がいないことを村でまとめて領主に
 提出させた。これを宗門改(しゅうもんあらため)という。

  これほどの厳しい取りしまりにもかかわらず、キリスト教をかくれて信じる者
 もいた。このような信者を
隠れキリシタンという。

鎖国(さこく)の完成

【徳川家光(とくがわいえみつ)のポルトガル人来航(らいこう)禁止令】
  ポルトガル人が日本に来ることの禁止
 @ポルトガル人が日本に来ることを禁止する。
 Aオランダ人は長崎の出島(でじま)に移る。

島原の乱(島原・天草一揆)

【徳川家光(とくがわいえみつ)海外渡航(とこう)禁止令】
  日本人が外国に行き来することの制限
 @外国に5年以上住んでいる者は日本に帰ることを禁止する。
 A朱印船(しゅいんせん)以外の船で外国へ行くことを禁止する。 

【徳川秀忠(とくがわひでただ)のキリスト教禁止令】
  外国人の移住(いじゅう)の制限
 @外国人は日本国内で勝手に商業をしたり、住んだりしてはいけない。
 A貿易は、長崎と平戸(ひらど)の2つの港だけにする。

【徳川家康(とくがわいえやす)のキリスト教禁止令】
  キリスト教の宣教師(せんきょうし)とキリスト教の教えを捨てない者を
 外国に追放した。

 鎖国(さこく)は一度にできあがったわけではない。徳川家康(とくがわいえやす)、徳川秀忠(とくがわひでただ)を経て、徳川家光(とくがわいえみつ)の代に完成した。




                      




                        




                       


                       




                      




 このようにして、段階を追って、鎖国(さこく)は完成していった。

【鎖国(さこく)の完成について】

日本人町と朱印船(しゅいんせん)の航路

出島の様子  〜中央のおうぎ型の島

   踏み絵(ふみえ)

マリア像やキリスト像をふむことができれば、キリスト教の信者ではないと証明された。

● 鎖国(さこく)の影響(えいきょう)について
  よい点としては、外国の文化の影響(えいきょう)を受けず、日本独特の文化
 が花開いたことである。歌舞伎(かぶき)、浄瑠璃(じょうるり)、浮世絵(うきよ
 え)などの日本にしかない文化が生まれた。
  また、外国の動乱に巻きこまれることなく、明治時代まで約260年におよぶ
 平和な時代が続くことになった。

  反対に悪い点としては、せっかく東南アジアにできた日本人町がほろんでしま
 ったことである。せっかく、日本が東南アジアに作りあげた国際関係、商業のネ
 ットワークの土台が、つぶれてしまったのである。
  また、ヨーロッパの進んだ文化が入らなくなり、近代科学や民主主義などの発
 達におくれをとったことである。