正倉院(しょうそういん)について
【正倉院(しょうそういん)の名前ついて】
東大寺(とうだいじ)の北西300mくらいはなれた松林の中にある床の高い倉庫のこと。どの寺院でも一番大事な倉(くら)のことを正倉(しょうそう)と呼び、むかしは法隆寺(ほうりゅうじ)や興福寺(こうふくじ)にも正倉院(しょうそういん)があった。しかし、今は東大寺にしか残っていないため、東大寺の正倉院(しょうそういん)と呼ばれるようになった。
【校倉造(あぜくらづくり)について】
正倉院(しょうそういん)は南北312.7m、おくゆき東西9m、高さ13mの倉庫である。正倉院(しょうそういん)はゆかが高く、土かべを使わず、三角形の木材を井げたに組んで積み重ねてかべをつくり、その上に屋根をのせた建物である。このように三角形の木材を井げたに積み重ねたつくりを校倉造(あぜくらづくり)という。
この校倉造(あぜくらづくり)は、乾燥(かんそう)した季節には木材がちぢみ、内部の換気(かんき)をよくし、雨の多い季節には木材がふくれて、外部の水気が内部に入らないようにする役割がある。
【正倉院(しょうそういん)の宝物について】
正倉院(しょうそういん)には、大仏開眼(だいぶつかいげん)の儀式の時に使った筆やすみが残っている。この他に聖武天皇(しょうむてんのう)やその妻の光明皇后(こうみょうこうごう)が日ごろから愛用した書物、帯、尺八(しゃくはち)、琴(こと)、刀剣(とうけん)、よろい、かぶと、鏡、びょうぶ、仮面(かめん)、楽器、美術品などがおさめられている。
【正倉院(しょうそういん)の宝物のふるさとについて】
このころ、中国の唐(とう)帝国は、世界帝国とも言われ、アジアの全域にその影響(えいきょう)をおよぼしていた。そのため、唐(とう)の都の長安(ちょうあん)には、西はローマからはじまり、西アジア、インド、東南アジアの国々の人々がシルクロード(絹の道)を通って集まってきていた。このことで、正倉院(しょうそういん)には、遣唐使(けんとうし)を通じて、世界からのめずらしい美術品や工芸品などがおさめられることになった。
紺瑠璃杯
(こんるりはい)
ガラスのコップ
五弦琵琶
(ごげんびわ)
漆胡瓶
(しっこへい)
伎楽面
(ぎがくめん)
みずさし
琵琶
(びわ)
お面