トップページ > 社会の部屋 > 歴史で知りたいテーマ > 天台宗や真言宗について


天台宗(てんだいしゅう)

      真言宗
(しんごんしゅう)について






歴史で知りたいテーマのいちらん

              天台宗(てんだいしゅう) 真言宗(しんごんしゅう)
開祖(かいそ)
教えを開いた人
最澄(さいちょう)
伝教大師
(でんぎょうだいし)ともいう。
空海(くうかい)
弘法大師
(こうぼうだいしともいう。          
教えの内容 「人間はだれでも仏になることができる」
「人間は、生きたまま仏になれる」
本  山 比叡山(ひえいざん)
  延暦寺
(えんりゃくじ)
高野山(こうやさん)
  金剛峰寺
(こんごうぶじ)
 旧仏教の勢力        への対応 旧仏教の勢力と対立したため、激しく攻撃を受けた。また、その攻撃に対しては正面から受けて立った。                                             旧仏教の勢力と対立することはさけ、内部から少しずつ改革していく姿勢を取った。やがて、旧仏教の勢力も少しずつ取り込まれていった。                                                             
そ の 他 「僧は人々のためにつくさなければならない」と考え、学問にはげみ、修行をつむようにした。その教えは深くむずかしかった。

鎌倉時代におこる浄土宗(じょうどしゅう)、禅宗(ぜんしゅう)、日蓮宗(にちれんしゅう)のもとになる。
「僧は人々のためにつくさなければならない」と考え、民衆とともに悲しみ、苦しもうとした。ため池や堤防(ていぼう)などの工事などを行い、民衆を救おうとした。

真言(しんごん)とは仏の教えをあらわした秘密(ひみつ)の呪文(じゅもん)のこと。呪文(じゅもん)をとなえることが、大切な修行となっている。
【仏教の改革】
 大化の改新(たいかのかいしん)の後、仏教は大和朝廷(やまとちょうてい)の保護を受けて発展した。聖武天皇の時代になると、地方の国ごとに国分寺(こくぶんじ)を建設し、その中心として東大寺や大仏を建設するなどして、民衆の間にも広く行きわたった。

 だが、このころの仏教は民衆を救うと言うよりも、国をおさめるためのものという考え方が強かった。律令政治(りつりょうせいじ)のもとで、僧は「国を守るため」に教典(きょうてん)を読むことがつとめとされ、民衆に仏教の教えを広めることをとりしまった。そのため、貴族の中に入り、玄ム(げんぼう)や道鏡(どうきょう)のように、「国の安全」と称して政治に口を出す僧まであらわれるようになった。

 桓武天皇(かんむてんのう)は、都を寺院の影響(えいきょう)が強い平城京(へいじょうきょう)から平安京(へいあんきょう)に移し、仏教と政治を切り離そうとした。また、僧の非行(ひこう)をとりしまり、僧が山で修行をしたり、人々に仏教の教えを広めることを許したりした。

 このころになると、僧の間にも、都から離れた地で修行をし、民衆を救おうとする僧があらわれるようになった。最澄(さいちょう)や空海(くうかい)などである。
【天台宗(てんだいしゅう)と真言宗(しんごんしゅう)】