滅びの芸か、落語

(昭和30年代のもの)

語る(身振りを含む)ことをもって芸とする、これを「話芸」の定義

としてみます。端的には、落語・漫才・コント・トリオ・講談・もの

まねなどの寄席芸術が、それに当たります。寄席芸ではありませんが、

朗読・物語りもふくめてもよいと思います。また、話しを主にほかの

芸をあわせて披露するものも、広義の話芸です。語りに節をつけるた

めに簡単な伴奏楽器を用いる浪花節(浪曲)・浪曲ショー・ボーイズ

もの・三味線粋曲なども、ふくめてよいでしょう。歌曲リサイタル・

薩摩琵琶・ひとり芝居・歌舞伎・民謡・長唄・手品などが、たくみな

ナレーションとともに舞台で披露されるとしても、「話芸」とはいえ

ないでしょう。私は話芸のうち、落語、漫才をとくに好みます。

 

落語も、浪花節(浪曲)、講談がたどってきた衰退への道にあるように

私には思えます。ただ漫才は、現代の諸現象をテーマに取りこんで、

しぶとく生きのびているようです。これは、落語の筋立て、背景、登場

人物がすっかり現代ばなれしているためでしょう。新作落語もあります

が、こうなると漫談などとの境目がハツキリせず、存在意義がうすれて

しまいそうです。長屋、大家、八五郎、武家、煙管、渡し、丁稚、遊郭、

吉原、扇子、算盤、居候、幇間などは、まくら(冒頭)に振つたりして演

者が苦労するところです。漫才にはこんなテーマは全くでてきません。

大衆話芸としての落語はどうやら先がみえてきたようです。

 

ついては

絶滅に瀕したかにみえる落語のかずかずと

往年聞こえた噺家の誰彼について、あらためて

私ふうにレクイエムを準備してみました。

 

東京落語の部(お気に入り20選)

演目 演者 コメント
大坂屋花鳥 金原亭馬生 花魁と浪人者の悲恋物
夏の医者 三遊亭円生 チシャとイシャ 、一字違いが
三十石 三遊亭円生 いい声で
五人廻し 林家正蔵 オチの妙
宿屋の仇討ち 林家正蔵 冗談で済まされてはたまらない
鰍沢 林家正蔵 円生もいいが、こちらは凄みがある
真景累が淵水門前 林家正蔵 道具話の白眉、大円朝作。
仙台高尾 三遊亭金馬 チラリ博識が出る
蛙(カワズ)茶番 三遊亭金馬 下ネタだが、実にオカシイ
三軒長屋 古今亭志ん生 鳶の頭と剣術使いがひと芝居うつ
火炎太鼓 古今亭志ん生 古道具屋稼業の起死回生
品川心中 古今亭志ん生 板頭女郎の移り変わりの苦心
風呂敷 古今亭志ん生 風呂敷捌きのほか、夫婦喧嘩も珍
らくだ 三笑亭可楽 志ん生もあって、兄たりがたく・・
反魂香 三笑亭可楽 亡妻恋しの一心でくべたものは、
花筏 春風亭柳橋 パートで関取を勤めるとどうなるか
野晒し 柳家小せん 文楽もあるがこっちもいい
源平盛衰記 林家三平 珍しい古典物 焼け牛に水の語源?
禁酒番屋 柳家小さん 番人へトンデモナイ仕返しが
付き馬 春風亭柳朝 やや早口だが、実におかしい

(順不同)

注:平成13年10月1日、古今亭志ん朝が逝去。63歳
若いころは早口に辟易したが、近年はとみに円熟
を加えていた。上方噺の期待の星 桂枝雀、若手
桂三木助ともども、その早世を心から悼む。

平成14年5月16日、柳家小さんが逝去。87歳
アノ文楽も志ん生も円生もなれなかった人間国宝
になった。滑稽はなしが得意だった噺家。これで
新旧の世代代わりが、決定的になつた感がある。

合掌

 

 

上方落語の部(お気に入り20選)

演目 演者 コメント
高津の富 桂文枝 たつた一枚の富くじに千両が当って
舟弁慶 桂文枝 雷のオマッサンの目をかすめて舟遊び
初天神 松福亭松鶴  
市助酒 松福亭松鶴 希代の酒呑みが酒呑みを演じる
天王寺詣 松福亭松鶴 松福亭のお家芸、賑やかな門前の描写
     
稲荷車 桂米朝  
地獄八景亡者戯 桂米朝 演者の並みはずれた力量を示したもの
     
祝い熨斗 桂春団治 工面上手の女房の一策は
高尾 桂春団治 東京落語では反魂香
代書屋 桂春団治 まとまりのない依頼人に四苦八苦
壷算 松福亭仁鶴  
猿後家 桂染丸 金満家の後家さん、猿面が悩み
蔵丁稚 桂小文治  
池田の猪買い 桂枝雀 新鮮肉を求めて池田まで
シビンの花活け 橘ノ円都 田舎侍の怒り
日和違い 橘ノ円都  
始末の極意 桂文我 驚くべき、驚くべき倹約の極み、

(順不同)

漫才については、いずれ項を改めたいと思つております。

以上