文芸、お気に入り

(春秋胡氏傳序から)

永いこと、読んだものの中で心に残るフレーズを書きためてきました。

この際、お目にかけることにしました。また、俳句が好きで自身につ

くりますが、どなたに師事したということもありません。専門家がみ

てくださると季語の使い誤りなどありそうです。したがって「俳句も

どき」を詠んでいるようなものです。どうぞそのお積もりでご覧くだ

さるよう、あわせてよろしくお願いします。

 

 

箴言、短文などの部

(順不同)

始末、算用、才覚西鶴

食少なくして事煩わしそれよく久しからんや魏・司馬仲達

悪筆は浮世の人の笑い種物をば書いて恥をかくなり(?)

事未だ成らず小心翼々
事正に成らんとす大胆不敵 事既に成る油断大敵(勝海舟

著者の目にうつった人生は、陰鬱の色をもつている
しかし著者がこのように暗い色で描いたのは、絵画そのものがほんとうにそういう色だと
思ったからで、決して色眼鏡を以って見たわけではない。また気まぐれ者の腹立ちまぎれ
によって描き出したのでもない。その点自信がある。(
マルサス人口論 序文から)

人は生まれながら革新の敵である内村鑑三

形は心を整える心は形によつてけじめを生む(?)

英国人は戦争をスポーツと考え
ドイツ人はスポーツを戦争と考える(佐貫亦男

ねがわくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ(西行)

うつ人もうたるる我ももろともに ただひとときの夢のたはむれ(西行

人生は緩慢な死である(?)

結婚したその日から、二人が一緒に生きられる日数は一日づつ減っていく。
どうして彼と結婚したのか、どうして彼女と結婚したのか、心の中で何か燻すぶって
いるものがあったら、夫婦になることを決心したときの自分を思い出してみなさい。(?)

すべて一度きりのことは苦しくありえない
長い人生も短い生涯も死んでしまえば全く一つになる。アリストテレスが言ったが、
ヒュパニスの河辺にはただ一日しか生きない小さな虫がいる。朝の八時に死ぬのは
若死である。夕べの五時に死ぬのは老衰して死ぬのである。こんな僅かなときの長
い短いを、幸せだとか不幸だとか考えるのを見て、我々のうちに笑わないものがい
るだろうか(
モンテーニュ

いずれにせよ結婚せよ。
良妻なら幸せになれるかも知れぬ。悪妻なら哲学者になれるだろう(ソクラテス

人は勉強によって術を得ることはできます
しかし誠意を得ることはできません(石光真澄)

序結はていねい、目次はななめ、本文指でなでるだけ内藤湖南

一灯を提げて暗夜を行く
暗夜を憂うることなかれ。ただ一灯を頼め(佐藤一斎

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表わす
奢れる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし
猛き者も遂には亡びぬ 偏に風の前の塵に同じ(
平家物語

発心正しからざれば万行空しく空ず空海

三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れ生の始めに暗く、死に死に死に死んで死のおわりに冥し(
空海

むつかしいことをむつかしく書くのは普通のバカ
やさしいことをむつかしく書くのは本当のバカ、
むつかしいことをやさしく書くのが本当のリコウ(
本多作左衛門重次

目立たず悔やまず活動し
貶なさず怒らず 名もなく去るべし(ボランティア十訓から

此世をば どりゃお暇に線香の 煙とともにはい左様なら(十返舎一九

親も無く 妻無く子無く版木無し 金も無ければ死にたくも無し(林子平

仏教の目標は苦から自由になることである
サンスクリットで苦は「自由にならぬ」という意味だそうである。
欧米人は「思うようになるようにしよう」と様々な努力をした。
これが彼らの自由の本質である。ところが仏教は この「思うように
したい」という心から自由になることを考えた。
それが「とらわれない」とか「空」とかいわれるものである(
井上信一

皺はよる ほくろはできる 背はかがむ 頭は禿げる 毛は白うなる
手は震う 足はよろける 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる
涎垂らす 目汁は絶えず 洟垂らす とりはずしては小便もする
またしても同じ噂に孫自慢 達者自慢に若きしゃれ言
くどくなる 気短になる 愚痴になる 思いつくことみな古くなる
身に添うは 頭巾 襟巻 杖 眼鏡 たんぽ 温石 し瓶 孫の手
聞きたがる 死にともながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話焼きたがる(
横井也有

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候
死ぬる時には死ぬがよく候
これはこれ、災難を逃るる妙法にて候(
良寛

死は前より来らずかねてより後ろに迫れり(?)

事業の進歩発達に最も害するものは、
青年の過失ではなく老人の跋扈である(伊庭貞剛

伊吹おろしの雪消えて 木曽の流れに囁けば 光に満てる国原の 春永劫に薫るかな
夕陽あふれて草萌る 瑞穂が丘に佇めば 零れ地に咲く花菜にも うら若き子は涙する
見よソロモンの栄耀も 野の白百合に及かざるを 路傍の花にゆき暮れて 果てなき夢の姿かな
花に滴る日の水沫 命の啓示を語るとき 希望に漲る若き頬を はるかに星は照らすなり(
八高寮歌

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に助けまいらすべしと
よき人の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり
念仏はまことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん
また地獄に落つべき業にてやはんべるらん
総じてもて存知せざるなり
たとひ法然聖人にすかされまいらせて念仏して地獄に落ちたりとも、
さらに後悔すべからず候ふ
そのゆえは
自余の行をはげみて仏になるべかりける身が念仏を申して地獄に落ちて候はば、
すかされたてまつりてという後悔も候はめ
いづれの行も及びがたき身なれば、
とても地獄は一定すみかぞかし(
伝 親鸞上人


 

随 筆

こころの目覚め

人の立ち居振舞いには、複雑な心の動きを伝える能力がある。
この事実に気付くのは、一般的にいって男性より女性のほうが
早いのではないかと思うが、このような目覚めはわたしの場合
いつごろのことであったろうか。

それは何の打算もなく、いわば遊びを遊んでいたような中学生
時分ではない。スマートな町っ子たちのなかで小さくしていただ
けが前半で、後半は厳しい受験勉強に追いまくられ、終には田
舎者のままで過ぎてしまった高校生時分でもない。
それはやはり、大学生になったころだと思う。

入学間もないころ、同窓の女子学生と帰りのバスでいっしょにな
った。当時は運賃が路面電車より3割がた高かったバスで乗り
合わせたのは、貧乏学生のわたしとしてはある程度無理をした
ことになる。で、折角の機会にどんなことを話題にしたか、残念
ながらひとつを除いて覚えていない。

彼女はわたしの方を見て「このごろコーヒー中毒になっちゃった
みたい」といって肩をすくめ、クスッと笑った。この瞬間わたしに
は、初めてピリッと来るものがあった。彼女はいまコーヒーを欲し
ているのだ、と。ところがわたしは、コーヒーなる飲物があること
を知ってはいたが、まだ試みたことがなかった。喫茶店へ入った
ことがなかったのだから、彼女のささやかな願いをどう実現させ
たものか、わたしのアタマの中はまさにバニックだった。

しかし気持ちのうえの負担もさりながら、成熟した女性の物言い
の精妙さに気付いて、大いに驚いたことをはっきり覚えている。
わたしにとって目覚めの始まりは、このころでなかったかと今に
して思う。

(キタン新聞 1986年12月 第456号 ”ひろば”へ寄稿)

 

俳句の部

(順不同)

晴れやらぬ雲間に上がる雲雀かな 中途半端な昇進に悩む人もいた

うぐいすのひと苦労する初音かな 部下が昇進して転勤してゆく

笹小舟水に任せし行方かな 時と所を得ず、ついに退職にいたる人も

人の世や泥鰌の桶に浮き沈み 失意の人を慰めるための句でした

若鮎は漁どりかねたる齢かな 退職挨拶状への返信に、自愛を祈って

時雨るれば笠かたむけよ一人旅 遠地へ単身赴任する人へ贈った句

高く舞う鳶に霙の小止みなし 遠方で責任者となる人を励ます

去る人の肩に霙や寒椿 荒れ模様の寒い日に転勤者が挨拶に来社

暮れなずむ海に人あり春の潮 終わりの余韻を楽しむ気持ちです

青剃りの尼の伏し目や春の宵 軽くイッパイやって外へ出たときです

春雨の滴る先につくしの穂 自然の正直さ

うす墨に茜のさして伊吹暮れ ときどき木曽川の堤防に上り西の方を見る

横たうる地蔵の首やキリギリス 近くの地蔵堂が改築中でした

花売りの汗かえりみぬ大暑かな ハナヨー、サカキヨーの売り声が懐かしい

つくぼうて蟻堰きとむる指の先 庭先に巣替りでしょうかアリの行列です

畦ごとに紅置くころや彼岸花 誰が植えたでもないのに華やかな紅が

病む秋は鳥の声にも子を思ふ 入院中の友人は何思う

川下を見やれば靄の立つ瀬かな 迫り来る漠とした危険の予感です

番いにて鳶の舞たる柏原 二羽の鳶は伸びやかに飛んで

這うごとく飛ぶや枯れ野の冬鴉 これ誰かの句でないの?

冬枯れの欅は天を掴みけり 樹形のよいケヤキ並木を見上げています

くさめして真顔にかえる別れかな 友人急逝の報に接して

払われし松が枝いずこ秋の空 忌明けの品を頂いた返信に添えた句です

白玉の露ばかりなる身の嘆きかな 同上

降る雪にすぼめし傘や寒の寺 「寒の寺」連作のうちから

木枯らしや人みな疎し寒の寺 同上

人の世の情けに鳴くや軒の鳩 思いがけない人から頂き物をして

参道に霜踏むころや落ちる雁 季感にやや無理アリか

夕映えをうがつや鳥の黒き影 一羽また一羽ねぐらへ急ぐ

降り敷きし落ち葉に光る雨の色 雨にぬれた落ち葉の色や、よし

きのこ早や旬を過ぎたり霜近し 河川敷に年毎に変わった茸が

死してなお野性とどむる鱒の貌 新鮮で巨きな鱒が到来した

木洩れ陽に指先染むる昼下がり 時はゆっくり過ぎて

煮凝りの独り震える夜の膳 単身赴任のころを思い出す

夜の雪闇より出でて闇に入る 眼前を絶え間なく過ぎる雪片の数々

春あらし幹くろぐろと過ぎし雨 木肌しっとり、緑も生気を取り戻す

黄塵の伊吹を巻きて春漠々 黄砂が目立つ年もある

小庭に桜は過ぎて藤は未だ 花の主役の交代を待つ

藪蔭に野性を見たり雉子の赤 突然に雉と遭遇し感激した

田深くて貌に届きし泥のあと 機械化されても農作業は重労働です

春の墓尼したたらす手水かな 尼でも美人はトクです

経読まむ桜散り敷く春の墓 墓前に何を祈るか、感謝するか

春のどか巨き蜂の木齧りおり 動物園へ送りたいような見事な蜂

雨しとど葬列映す水溜り 雨の葬儀は、故人を偲ぶにピッタリ

旧友も過ごしかねてか梅雨見舞い 何日も何日も降り続いて

突法師のひといき入れて夏の風 短い生涯にも一息が要る

夏夕餉去りゆく時を愛おしむ いつもながらの老妻の手料理だが

蝉の羽の空しく地うつ彼岸かな 羽に生まれつきの奇形ある蝉

さながらに湖となりぬ梅雨の河 川幅がいやに広くなって、気味が悪い

心なきを責めず自然にまかす雨 各地に豪雨災害のニュースあり

蟷螂の身を反らせ食む松の蝉 一瞬の動作で獲物を捕らえ逃さない

何やらむ豆と煮ており路地の秋 通りすがりに、特有のにおいに気づく

伸びほけし人参やあわれ秋の畑 ここにも高齢化の波か、放置作物

病む鷺の佇むばかり夏の畔 まさに尾羽打ち枯らすさま、哀れ

春が来てまた春が来て結ぶ縁 めぐる季節にただ感謝

師走はや小魚の皿に煮凝りて 我が家では、夜、無人の台所が最も冷えます

ほととぎす厠半ばに出かねけり(時の権力者、西園寺公の招宴を断る漱石

以上